大地母神の帰還、凱旋 9  土着のカミは捧げものを要求しない

ヒンドゥー教について調べていたら、目からウロコの情報に遭遇しました。

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ヴェーダ時代の古代インドにおいてアスラは単に「主」という意味であって、神(デーヴァ)の称号として用いられた。とくに目立った例としては『リグ・ヴェーダ』8.25の例があり、ここではミトラとヴァルナの2神を「デーヴァにしてアスラ」(devāv asurā, 双数形)と呼んでいる。

ヴェーダの散文時代になるとデーヴァとアスラは対立し、戦いあう存在としてとらえられるようになり、肯定的な側面をデーヴァが、否定的な側面をアスラが代表するようになった。「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という俗語源説も、この転回から生まれた。

アスラ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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私なりの要約をしてみます。

 

□ ヴェーダ時代の古代インドにおいてアスラは単に「主」という意味であって、神(デーヴァ)の称号として用いられた。

そもそも「神」の本来の役割は「主」であった。

 

□   ヴェーダの散文時代になるとデーヴァとアスラは対立し、戦いあう存在としてとらえられるようになり、肯定的な側面をデーヴァが、否定的な側面をアスラが代表するようになった。

そもそも同じ概念であったデーヴァとアスラが分離し、対立の関係へと変わっていった。肯定的な側面をデーヴァが、否定的な側面をアスラが代表するようになった。

デーヴァ側が設定した概念と考えられる。ということは ?

 

これもそもそも論です、「デーヴァは現世利益を司る神々」、一方「アスラは倫理と宇宙の法を司る神々」とのこと。私たちがよく目にするところの、【ブラフマー/創造神】【ヴィシュヌ/維持神】【シヴァ/破壊神】は「デーヴァ」神族の神々。この中で一番人気があるのが【シヴァ/破壊神】です。

 

その【シヴァ/破壊神】の前身とされるのがアスラ神族の【ルドラ/暴風神】。ちなみにルドラはゾロアスター教ではダエーワ(悪魔)とされているんだとか。

 

実はアスラとは、インドの土着の神様の事で、一方デーヴァとはヨーロッパ・中東から流れ込んできた神様のことだそうです。古代の戦争は国の争いであると同時に、宗教の争いであったことは世界的にも認められていますがインドもまた例外ではなかったということなんでしょう。いえ、もしかしたら現在でもそこかしこで宗教戦争が続いているのかもしれませんが。

 

その中で勝者であった者たちの宗教( の神様 )は正義の神であり、敗者となった者たちの宗教( の神様 )は、悪魔と呼ばれ貶められたという歴史が残っているということになります。歴史は勝者の視点で創られるということは一般的によく言われる事実です。

 

わが母子里においても同じことが言えるのかもしれません。

 

□ 元々土着のカミは「主」と呼ばれる存在、あるいは役割だった

□ 後から流れ込んできた「宗教と神」が土着のカミを破り、あるいは封じ込めることで自らが絶対正義となった

□ 敗れた側の「カミ」は時に「鬼」と呼ばれたり「化け物」「妖怪」とされたりしながら、西洋でいうところの「悪魔」的存在へと貶められていった

 

さて、この、後から流れ込んできた宗教と神、あるいは仏は「現生利益」をもたらしてくれるものが少なくありません。 古来より神仏に依ってこの世における祈願成就、つまり「現世利益」を求める行為を「呪(まじな)い」と呼ぶそうです。つまり現世利益とは「呪術」「魔術」の対象であったということが言えるわけです。

 

神仏に手を合わせて「この世界が平和になりますように」と祈願することは「呪術」に他ならないと。これは私にとっては驚きの事実。

 

神社や教会巡り、パワースポット巡り、聖地巡礼などは「呪術」につながる。さらに密教系不動明王や鬼子母神など現世利益を請け負う天部・諸天は密教の支配下にあると捉えられるんだとか。確かにたいていの密教寺院では加持祈祷による安産祈願や病気治癒、厄払い、水子供養など多種多様な現世利益が請け負われています。それに対して私たちは「対価」を支払います、「現世利益」を得るために金銭による契約が執り行われているという捉え方がなされても不思議はありません。

 

こうした行為を偶像崇拝と設定する説があります。

 

話をもとに戻しましょう。

 

そもそもこの母子里の土着のカミは「主」と呼ばれる役割をもっていたのではないか。これは「創造主」もしくは「宇宙根源神」と記号化されるエネルギーと同一のものの可能性がありはしないのか。おそらくこの時の「土着のカミ」は人格神でさえなかった。宇宙そのもののシステム・エネルギーだったのかもしれません。

 

それらは決して自分の外側に拝みの対象物としての「像」を求めたりすることはなかったでしょうし、また私たちの欲を満たしてくれる代わりにと何らかの対価を求めたりはしなかったのではないでしょうか。

 

それが「土着」の意味だったのでは ?

 

インド神話で大人気の「シヴァ神」は確かに像がそこかしこに創られています。日本の七福神の1柱である大黒天はシヴァから発展した神格であると考えられています。大黒天は元々は軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされていましたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られ、それがわが国では財宝、福徳開運、五穀豊穣などのご利益を司る神様になったといいます。

 

そもそもシヴァ神は、現代のヒンドゥー教では最も影響力を持つ3柱の主神の中の1人であり、特にシヴァ派では最高神に位置付けられている神格です。その前身とされるルドラも風水害をもたらす反面慈雨をもたらし、大地に豊穣を呼び込むモンスーンの神格化と考えられているそうです。人々がその怒りを恐れる、強力で荒ぶる神である一方で聡明さと優しさを兼ね備え、人々の健康・安寧を保障する存在でもあり、医薬を司るともされた威厳のある存在、またはエネルギーです。

 

それが「財、または福の神」とはあまりにもデフォルメが過ぎるのでは、と感じるのは私だけでしょうか。ただしシヴァが恐ろしい形で適応した不動明王の存在も忘れてはなりません。こちらは怨霊や物の怪の調伏、治病の祈祷、安産祈願へと用いられました。

 

いずれにしろ、オリジナルのシヴァ神とはかなり毛色が変わっていることに改めて驚かされます。

 

その理由は、密教の究極は大日如来との一体化にあるものなので、現世利益を請け負う天部・諸天は密教の支配下にあると捉えられているものだからなのかもしれません。大日如来より上の存在があってはならない、というのが密教の教えだという明確なメッセージがここにあります。

 

私たちには「欲」がありますから、つらい時、苦しい時、どうしても偶像を崇拝してしまうのはいたしかたのないことなのでしょう。私自身もそうしてきましたし、これからもまったくしないとは言い切れません。けれどそれは「呪術」であり、「魔術」でもあるということも覚えておく必要がありそうです。

 

つまり、「魔」が入る可能性が大きいということ。一説によると「三人集まると魔が入る」とも言われているらしく、例えば大人数で読経などをあげたり、集団で瞑想などをしたら、もしかしたら、という可能性もゼロではないのかもしれません。

 

同時に、あまりにもそれらに没入すると「土着のカミ=主」とひとつになる方法からどんどん離れてしまうのではないか、という事実を意識しておくことも大切なのかもしれません。

 

それらをすべて踏まえての「偶像崇拝」なのでしょう。

 

宗教から土着信仰への回帰、でしょうか。

 

それとも「密教の呪詛の超越」、でしょうか。

 

なんとなくこころの中が軽くなった気がしています。

 

 

 

最後になりますが。

 

私はいかなる宗教も信仰していません。またいかなる思想も信仰も揶揄したり、批判したり、排除したり、の気持ちはありません。

 

自分自身の真ん中の意識の整理を進めるためにエッセイをしたためています。

 

ご理解のうえ、ご覧いただけると助かります。

 

 

 

 

◇ 参考 

 

※ 私は極力AIの情報を活用しないようにしています。自分でひとつひとつ情報を確認することで何かのメッセージが感じられることもあると思うからです。一見無駄なことにこそ意味があるのでは、と。

 

カクヨム インド神話の成り立ちっぽいもの

シヴァ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルドラ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

現世利益を求め願うことを仏教・神道・キリスト教はどう捉えているか 

不動明王 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

 

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