弁才天、弁財天、辯天。
一般的には「水神」、あるいは「龍神」とのつながりとしての概念で捉えられています。
自分の中に何かしらのひっかかりがあって、調べものをしていたらビックリ。
大阪府に【 辯天宗(べんてんしゅう)】という宗教法人がありました。なんでも1934年(昭和9年)に奈良県宇智郡野原村(現五條市)の十輪寺の住職である大森智祥の妻であった大森智辯が大辯才天女尊より天啓を受けことによって始まった仏教の宗派なんだとか。( 敬称略 )
十輪寺は高野山真言宗の寺院。【 辯天宗 】も高野山真言宗の流れを汲んでいるそうです。
大辯才天女尊とは弁才天のこと。弁材天とは仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティが仏教に取り込まれた呼び名です。
そう、私たちが弁天さんと呼んでいるあの「弁才天」のことです。
ところがこの「弁才天」、どうやらインドの「弁才天」と同一ではないらしいことがうかびあがってきました。
インドのサラスヴァティはよどみなく流れる水のように弁舌がさわやかであるとの連想から「弁才天」「大弁功徳天」と表記されるのが一般的。その後宇迦神と習合しての姿なのか日本においては「弁財天」と表記されているものが少なくありません。
弁財天は大辯財功徳天、辯天と表記される場合もあります。中国から日本に渡ってくるうちに弁才天がインド系ダキニ天と習合してそれが日本に来ると白狐に乗った着物姿の女神風に変身し、いわゆる稲荷系弁財天、宇迦神系弁財天へと権現したということのようです。
わかりにくいので整理します。
□ インド「水の神」サラスヴァティ
↓
□ 仏教に取り込まれて「弁才天」
↓
□ さらにインド系ダキニ天と仏教・密教の宇迦神と習合して「弁財天」あるいは「稲荷」、または「宇賀弁財天」
ちなみに宇賀神(うがじん、うかのかみ)は、日本で中世以降に信仰された神のこと。一般的には蛇神の姿をしているとされ、その概念は比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられたといいます。ということは「神」とついていても「仏」のことなんでしょうか。それが弁才天と習合あるいは合体したとされ、宇賀弁財天と呼ばれるようになったとのことです。
インド系荼枳尼天・ダキニテンの起源であるインドのダーキニーは、人肉を食べる魔女とされています。また宇迦神を頭にたくわえ、8本の手を持つ八臂姿の弁財天はそれぞれの手に何やら武器のような道具を持っていて「戦闘神」としての姿が強調されています。これについてはインドの戦いと殺戮と破壊を好むドゥルガーとその様がよく似ています。
つまり、宇宙根源システム = 瀬織津姫エネルギーと同一視される水神エネルギーとしての「弁天」は日本に来る前にすでに中国で様変わりをしていて、さらに密教系仏教の中で「人肉を食べる」とか「戦いと殺戮と破壊を好む」神(仏)のエネルギーがふくらんでいた可能性が考えられるということです。
もちろん調べた限り仏教系のサイトにそんなことは書いてありません。私の個人的な妄想です。
さて、昨年G7広島サミットが開催された世界遺産でもある国宝嚴島神社の弁財天はどこに泰安されているのでしょうか。
それは厳密には嚴島神社内ではなく、すぐそばの大願寺です。大願寺は、総本山を和歌山県高野山の金剛峯寺とする、高野山真言宗の末寺です。この弁才天は「八臂弁財天像」。この秘仏は弘法大師空海(774年- 835年)の作と伝えられています。この時すでに弁才天に「戦いの神」の要素が込められていた可能性がうかがえるような気がします。
宮島観光協会のホームページ「大願寺」の内容にこんな記載がありました。
【 江戸時代末期の慶応2年(1866)、第2次長州戦争の際、幕府方の勝海舟と長州藩の広沢真臣[さねおみ]らがここの書院で講和会談をいたしました。】
当時彼らは「弁財天詣で」を好んでいたという情報もどこかで目にしました。それは「水神 弁才天」だったのでしょうか。それとも「戦いの神の色濃い八臂弁財天」だったのでしょうか。
日本で「仏教」と呼ばれているものは実はインドの釈迦の教え本筋とは異なるもの。大乗仏教、密教は特に釈迦の教えに「ネストリウス派キリスト教」の流れがブレンドされ、さらに中国で「景教」となったものです。
仏の教えに明るくない私ですが、確か釈迦は「自分を崇拝してはならない、偶像崇拝をしてはならない」といったような言葉を残したような。「仏像」とか「八臂弁財天像」とか、何も知らない私はそれだけでも不思議な気がしています。
冒頭の【 辯天宗 】は高野山真言宗の流れを汲んでいます。教祖は大辯才天女尊より天啓を受けた、とされています。日本のそこかしこに飾られている「八臂弁財天像」は弘法大師空海の作であることが少なくありません。もしかしたらその天啓を授けた大辯才天女尊は「戦い」の意思を強く持った「八臂弁財天」だった可能性も考えられるかもしれません。
私の旧姓は「かわかみ」です。昔からサラスヴァティとの縁を強く感じていました。
ところが「弁才天」、特に「弁財天」はしっくりこない。
たいていの場合、私は「サラスヴァティちゃん」とか「弁天ちゃん」とかを口にしていました。これは人格神としてのそれではなく、宇宙根源意識エネルギーに親しみを込めて、のことでした。
なんとなく、私の潜在意識はこの辺の流れをキャッチしていたのかもしれません。
いやいや、後出しかな、これは。
宇迦神に関しては「宇宙根源意識」であり「豊受」であり「瀬織津姫」エネルギーであり、という説をここ数年採用してきましたが、確信のもてる段階までいったん「保留」にさせてもらうことにします。
宇迦神独自のエネルギーと宇賀弁財天はまったく別物と捉えた方がいいのかもしれませんし、記憶違いでなければ宇迦神の遣いが白蛇というのも引っ掛かります。このことから弁財天の遣いも白蛇としている情報も少なくありません。シンプルになぜ「白」なんでしょう、「黒」ではいけないのか、「穢れ」思想なのか、あるいは風水的要素が加わっているからなんじゃないか、そんなことも気になっていました。「弁財天」にしろ「宇迦神」にしろ、いろいろな脚色がなされすぎて何が本当なのか、いまひとつ判断ができかねるというのが正直な気持ち。
そういえば、空海と言えば大日如来=神仏習合の解釈では天照大神(大日孁貴)と同一視もされるいわば太陽神系。また護摩炊きなど「火」の要素もある拝火教の流れも汲んでいると記憶しています。
火は水に弱い。だから水の神につながる「弁才天」の力を封印しようとして、本来の「弁才天」とは異なる密教独自の「弁財天」を設定し、本物に憑依させた、という推察も100%ない話ではないかもしれません。
また高野山の中では僧侶が十字を切っているのは有名なお話。ということは当然、イエス・キリストおよびキリスト教の流れを汲んでいるということ。
彼らは水と同様のエネルギーを携えた「蛇」を忌避するという考え方を持ち合わせているとされています。
彼らにとって「竜・ドラゴン」は悪魔の象徴でもあります。
一部に「空海は瀬織津姫を守るためにあえていったん封印した」という説があるようですが、さて、本当のところはどうなのか、果たして明らかになる日はくるのでしょうか。この時の瀬織津姫エネルギーは一般的にはインドにおける弁才天エネルギーと同一とされています。
いずれにしても「宇宙根源意識」としての「システムエネルギー」が「蛇」「龍」的エネルギーだということはいまのところ疑問を抱くには至っていません。それらが「水」のエネルギーと大いに関係あるということも。
だからたいていの場合、小島や中洲のようなところ、あるいは池のそばなど「水」のあるところに本流であるだろうところの「弁天」の名を記した小さな祠があったり、あるいは地名がついていたりするのでしょうから。
その名称がなんであれ、「水」につながるエネルギーがこの世界の太母なのではないかとの確信をもとに。
こんなグルングルンな見解を述べたのも、大乗仏教に関する素朴な「?」があったからこそ。
それらすべてを含み「宇宙根源システム」の大いなる流れということなのかもしれません。
※ 満月の影響もあるのか当エッセイは執筆にてこずりました。文章も読みにくい。なお、私のエッセイはすべてそうですが、何かを揶揄したり、非難したり、排除したりという意思では執筆していません。
すべて私自身の意識の整理のために時間をかけて執筆しています。
当エッセイに関してはにわか勉強のところも多々ありながらの執筆なので、自分では注意しているつもりでも明らかなまちがいがあるかもしれません。ご理解のうえ、お読みいただければ助かります。
◇ 参考
辯天宗 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
荼枳尼天 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弁才天 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弁才天?弁財天? ―仏さまの名前のはなし名前のはなし―
大日如来 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』