この国に「天」の概念が生まれたのは弥生以降 !?
前エッセイでマカオでの概念【 航海の女神「阿媽(あま)」】はセイレーンの魔女のことではないか、はたまた瀬織津姫のことではないかという内容を記しました。いずれも人格神ではなく宇宙根源を司る概念として、またそのシステムエネルギーの記号として固有名詞的に表現しています。
大地母神の帰還、凱旋 6 マカオ・航海の女神とわが街・セイレーンの魔女
※ 念のため、私はいわゆるスピリチュアルと言われる世界は7年くらい前に卒業させてもらっています。いかなる団体にも属していません。右でも左でもありません。もしかしたら右であり、左でもある側面があるのかもしれないけれど、思想的活動とは無縁なところで生きています ※
さらに以下のような内容も記しました。
□ 古代メソポタミアでは「お母さん」はシュメール語で「アマ」といっていたと言います
□ 印欧諸語においては「マー」は「母親」を意味する基本的な音節であり、しかも、マーそのものが「女神」の本源的な名称として崇拝されたとする説があります
そう、つまりこの星、地球の誕生に際し、「アマ」、あるいは「マ、マー」に大きな意味が隠されているのではないかということです。
「あま」について調べてみると興味深い内容が出てきました。
□ 海 ・あま - 海(うみ)の古称
□ 天・あま - 空(そら)の古称。縄文時代に徐々に生成された最古期の日本語には、空(そら)の概念しかなく、天(てん)の概念は無かった。弥生時代に大陸から日本列島に漂流/入植しはじめた弥生人が天(てん)の概念を持ち込んだ。古日本語には天の概念が無かったため当初は空の「そら」の発音を当てていた。後に海と同じ「あま」と発音することとされ、現在に至る。[要出典]
まず「海」です、【海、水は人の母】という内容を前エッセイで記しました。
次に「天」。上記内容によれば【縄文時代には天の概念はなかった】【弥生人が天の概念を持ち込んだ】とあります。[要出典]と記載されていますのでソースは不明。ここで少し修正を加えるのなら、「縄文文明」「弥生文明」の方がよりわかりやすい気がします。一般的には縄文時代は原始的生活をしていて「文明」とは程遠いと設定されているかもしれませんが。
※ ↑ 文明なのか文化なのか、どちらが適切なのかまだ判断できかねています 2024/09/15 追記 ※
もしこれが何パーセントかでも本当のことだとしたら、世の中がひっくり返りかねない話になるかもしれません。
例えば「天照大神」、例えば「天孫降臨」、例えば「天皇」、例えば「天国と地獄」、「天使と悪魔」などなど、いずれも縄文文明とはつながりのなかった大陸経由の民が創った彼ら独自の概念だとしたら。
「天皇」に関しては、現上皇が平成13年12月18日の当時陛下お誕生日に際して桓武天皇と百済の武寧王との血縁関係について触れ、ご自身も韓国とのゆかりを感じているという旨の記者会見の内容が宮内庁ホームページに掲載されています。
弥生文明の民が韓国と関係があるかどうかはわかりませんが少なくともこの部分に関しては荒唐無稽な作り話ではないということだけは理解の範疇ではないでしょうか。
私的仮説として、
□ 大陸経由の弥生文明の民はこの母子里にきて自分たち自身が「天から降りてきた神」と設定した可能性が考えられるのでは
□ その事象を「天孫降臨」と設定し、同時にその象徴として神話的に「天照大神」を設定した可能性が考えられるのでは
□ 日本国建国の祖として日本神話上の伝説上の人物「神武天皇」を初代天皇と設定した可能性が考えられるのでは
ということが浮かんできました。
たったひとつの「天・あま」の概念がいつこの母子里にあらわれたのかで歴史が大きく変わってしまうかもしれない可能性があるということなのかもしれません。
さらに「あま」にはこんな意味があるといいます。
□ 海人・海女・蜑 ・あま - 潜水漁師
↓
これはもしかして「人魚姫」の伝説と関係があるのではないでしょうか。セイレーンの魔女と人魚姫伝説はほぼ同一とする説があります。ということはこれも「瀬織津姫」エネルギーとつながってくる可能性が高いということかもしれません。
また、
□ 尼 (ambā) - 出家した女性。宗教を問わず女性聖職者。修道女など。
□ 女性の罵倒語。
↓
前エッセイでマカオでの概念【 航海の女神「阿媽(あま)」】について触れた一方で、【アマ(amah/〈ポルトガル〉ama). もと東アジア在住の外国人家庭に雇われていた、現地人のメイド。 [補説]「阿媽」とも書く。コトバンク】という情報があると記しました。
白人、主にポルトガルからのキリスト教イエズス会系白人に使われたメイドを「アマ」としているのです。
それと同様のことが上記二項目からうかがえます。
尼・あま、女性の聖職者である一方、女性を罵倒する時の言葉としても「このアマ~」といった表現が使われています。深層心理を考えてみるとどちらも「あま」に対して「自分たちはかなわない、自分たちはどうしたってあまにはなれない」という「畏怖」の感情が根底に潜んでいることが透けてみえてきます。
あま、アマ。そもそもは海神のことだった ?
それに人々が気づかないように、あるいはその事実をかき消すかのように後からこの母子里に来た民が「我こそが神だ、天・あま族だ」と名乗った ?
後から来た「天・あま」が元々いた「海・あま」の概念に憑依してこの世界を「天・あま」中心の理論で構築しなおした ?
何のため ?
私たちが「いま」本物の「あま」に気づくためだという可能性はないでしょうか。そのために私たちはトコトン遠回りをした、迂回をした、まるで大蛇がとぐろを巻くかのように。
そのために大切な役割を果たしてくれたのが自称「天・あま族」だとしたら ?
蛇の古語は「ハハ」「ハバ」「カカ」。母と無縁ではないはずです。また大蛇、龍のエネルギーはこの母子里の原初のエネルギーとする説があります。
あるサイトにこんな記述がありました。
【古くから概ねアフリカを起源に、そこからヨーロッパへも広がった海の母(祖母)信仰というものがあります】
= 大地母神信仰と言えそうです。
そもそもこの星は水の惑星です。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明など、大河のほとりに古代文明は生まれています。川の形を蛇に重ね合わせる考え方がありますから「大蛇」エネルギーが文明の母と捉えることに違和感はそれほどないかもしれません。同時に航海によって人々は移動したり、交易など、目に見えるものだけではなく目に見えない、形のないものまでをも相互交換しながら、よりさまざまな文明や生活形態を切り開き、進化していっただろうことがうかがいしれます。
この母子里がまだ「にほん」という国名をもっていなかった時にも世界文明と同じような光景が広がっていなかったとは言い切れないのではないでしょうか。
だから「縄文文明」なのではないか、と。
もしもそうだとすれば仮に「神・カミ」とする概念があるとしたら、それが私たちの知る「太陽神」である可能性よりもむしろそれとは異なる「太陽神」システムが存在する可能性はないのか、それはあるいは「星」なのか、はたまたそれこそ「水の神・カミ」そのものなのではないかという気がするのも流れとしては不自然ではないかもしれません。
□ 海人・海女・蜑 ・あま - 潜水漁師
とありました。海男という表記で「あま」との読み方はありません。代わりにというか「漁夫」という表記が関連項目にありました。上記、「海・あま」から始まって最後の「女性の罵倒語」の項目までどちらかというと「女性」のことが書かれているような気がするのは気のせいでしょうか。
「海・あま」のサンズイ、水。水は女性性の象徴で、感情や意識などともつながっています。それがこの星の原初のエネルギーと関係しているとしたら……。
今回も私の個人的妄想の旅となってしまい、文章がグルングルンしています。
アマが時空をこえてロングパスを送ってくれていたのかもしれません。
当エッセイは誰かの批判、非難、排除のために執筆したものではありません。私自身の意識の整理のために記したものです。いまの私はこう感じている、というだけで後でまた別の意識が浮かんでくることがあるかもしれません。
◇ 参考
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』あま・アマ
宮内庁 天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)天皇陛下の記者会見