大地母神の帰還、凱旋 3  女神の饗宴 ~ パリ

「テロリストエネルギーの終焉」

 

テレビでパリ・オリンピックの閉会式を観ている時に突然このキーワードが浮かんできました。

 

そもそもこの星は水の星。

 

いつから太陽神が至高神になったのでしょう。

 

水の星の「神 =カミ = 根源」は水の特性を携えているものなのでは ?

 

水がすべての源泉だから水の星なのでは ?

 

そろそろ思い出してもいいのかもしれません、この星の源は水だったはずだと。もちろん太陽神を排除するのではなく、太陽神の存在のお蔭で、この大切な事実をいま思い出す機会をもらえているのだという気持ちをしっかりと胸に抱きながら。

 

パリ・オリンピックの開会式を目にした時、とっさに浮かんできたのは「これは女神再生のサインなのでは」ということでした。

 

女神、とは人格神ではなく、概念というかそのエネルギーというか、システムそのものの意味。女神的エネルギーを携えたこの世の仕組みそのものといった感じです。エネルギー的には男性性、女性性を兼ね備えた両性具有。

 

そもそも「パリのセーヌ川」の「セーヌ」という名前、これはケルト神話の女神セクアナを由来としているそうです。セクアナというのは「癒しの女神」のこと。なんでも舳先がガチョウ、あるいはカモか白鳥の頭の形をした船に乗っているとされているんだとか。もしかしたらあの開会式のボートと何らかの関係があるのかも、と思ったりして。

 

「セクアナ」という言葉は、「ゆったりとした(=ケルト語の「ソグ」)」、「河川(=ケルト語の「ハン」)」という意味の合成語で「ソグハン」が転じて「セクアナ」となったとのではないか、といわれていると言います。

 

セーヌ川流域の中程にある「中州」、「シテ島」。有名なノートルダム大聖堂のあるところです。

 

セーヌ川、中洲、ガチョウ、あるいはカモか白鳥の頭の形、川の女神、セクアナ。

 

何かと似ている。そう、私の中ではインド・ヒンドゥーのサラスヴァティとつながりました。一説によるとサラスヴァティはサラスヴァティ川の化身であり水の女神、乗り物は時に「白鳥かクジャク」。日本の弁財天と同格とされる川の神、水の神の象徴でもあって、瀬織津姫と同格とする説が一般的です。

 

ちなみに川の神の位置づけにはないものの、宇迦神もまた弁財天と同格とされています。

 

念のためここに出てくるサラスヴァティ、瀬織津姫、宇迦神ともに人格神ではなく、この地球の大地母神エネルギーであり、いわばすべての根源のエネルギー、または宇宙根源システム・エネルギーという捉え方をしています。

 

瀬織津姫も宇迦神も「女神性」が記号化されたもの。そのエネルギーは両性具有、そして「水」。

 

もしかしたら派手な女装のドラァグクイーンやトランスジェンダーのモデルらによるオリンピック開会式のパフォーマンスは多次元的にみた時の両性具有の現象化と受け取れなくもありません、あくまでも多次元的、多層的にみた場合という但し書き付きで。

 

では、そもそも「パリ」とは ? 

 

大聖堂が建つシテ島がパリの発祥の地で、ケルト系民族のパリシィ族が住んでいたことがパリの語源となっているとする説がみつかりました。あるいはエジプトの女神イシスの町 Par-Isis(イシスを通って)からきているとする説も見つかりました。さらにローマ時代のユリウス・カエサルが言及する文書によるとケルトの地に住む人々をPARISIS ( パリ‐イシス ) 族とラテン語で呼んでいたとのこと。

 

このあたり、私自身不勉強かつにわか勉強なので諸説あり、の範疇ではあるんですがノートルダム大聖堂はもともとイシス神殿が作られていた場所であるとする説もあったりしました。

 

どうやら、

 

□ パリとイシス信仰

□ パリとケルト民族

□ ケルト民族とイシス信仰

 

のエネルギーが重層的に複合的にからみあっているということは言えそうです。

 

ということは本来がキリスト教徒の土地ではなかったということが浮かび上がります。

 

オリンピックの閉会式には、ギリシャ神話の勝利の女神「ニケ」も登場してきました。「ニケ」自体、はじめて目にする名前なのでまったく理解できていないのですが、ネットで検索したところ、おそらくゲームの内容なんでしょう、『地上を奪われた人類に勝利をもたらす最後の希望』との説明が見つかりました。

 

パリのルーブル美術館に飾られているニケの像には頭がありません。私の脳内では、

 

 □『地上を奪われた人類に勝利をもたらす最後の希望』

 □ 頭がない、顔がない = その存在を隠された、封印された

 

がつながり、瀬織津姫のイメージと同格なのかもしれないと感じました。

 

セーヌ川の中州はシテ島だけではなく、ミラボー橋上流にも島があり、そこには白鳥の小径という遊歩道があるそうです。島の先端にはグルネル橋が架かっていて、そこに立つのは自由の女神像。

 

「白鳥と女神」。これもセクアナ流れの水の女神の意味ではないでしょうか。

 

このように今回のパリ・オリンピックはまさに「水」と「女神」のオンパレードだったのです。

 

一方、パリといえば、そして今回のオリンピックの中でやはりエッフェル塔の存在は群を抜いていました。

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エッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会(パリ万博)のモニュメントとして建設されました。この年は、フランス革命から100周年を記念する重要な節目であり、パリ万博は、その祝典の一貫として、また1871年の普仏戦争敗戦からの国の復興を象徴するものとしての意味合いも含まれていました。

 

20年で解体される予定だった!世界で一番高い建築物を目指したエッフェル塔 より

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エッフェル塔の高さは32m、その高さは当時の建築物としては驚異的。当時世界中でより高い建造物を創ろうとする動きが顕著だったといいます。エッフェル塔が完成した時点でそれは世界で最も高い建造物となりました。

 

実は男性原理の象徴は槍、ちなみに女性原理は杯だとする説があるそうですが、当時の人々はより高く、より上へを具現化していった、つまりタワーや塔は男性原理のシンボルということになります。あるいはそこには教会の尖塔も含まれるのかもしれません。

 

槍、顕在意識の象徴でしょうか。

 

女性原理の象徴は杯、そこになみなみと注がれる水。水は感情やこころの象徴でもあり、潜在意識そのものでもあったりします。

 

より高いもの、より尖ったもの、より天に近いもの、より太陽に近いもの。顕在意識。

 

より低いもの、より丸いもの、あるいは蛇行したもの、より地に近いもの、より水に近いもの。潜在意識。

 

本来このどちらもがもつれ合っていい塩梅でこの地球が成り立っていたのではないでしょうか。ところがいつからか「一方」だけが突出し、「一方」を必要以上に抑え込み、まるで亡きもののように扱った。

 

その意識そのものを「テロリスト」というのかもしれません。ある時には暴力的に他者を押さえつけ、本来のバランスではない世界をこの地上に創り出したエネルギー。

 

「テロリスト」エネルギーは私たち一人ひとりの中に息づいていました。

 

人より高く、人より上に。自分の中で闘いが起きていた。何が何でも勝たなければいけない。

 

その集大成が今回のパリ・オリンピックだったとしたら、この後のオリンピックは他者とのバランスの中でより緩くておおらかでなだらかなものへと移行していくのかもしれません。今回のオリンピックは同時にそのスタートだった可能性はないでしょうか。過去と未来の量子もつれ。

 

セーヌ川の語源「セクアナ」という言葉は、「ゆったりとした(=ケルト語の「ソグ」)」、「河川(=ケルト語の「ハン」)」という意味の合成語でした。

 

セーヌ川の水質汚染がたびたびクローズ・アップされましたが、川を汚したのは一体何だったのでしょう。奇しくもオリンピック前からセーヌ川の再生プロジェクトが大々的に行われていました。

 

この「再生」が意味するものは ?

 

私たちはもう尖った槍だけでこの世を動かす必要はないのかもしれません。

 

そのためにパリに古来の女神エネルギーとされるものたちが集結したかのような、いっぺんに蘇ったかのようなそんなイベントが視覚化されたような気がします。

 

それも尖った槍のエネルギーでこの地球をリードしてくれたエネルギーグループがあったからこそ。

 

どちらもお互いに必要だった、この星の水のエネルギーをアップデイトするために。

 

ということはお互いの協同作業だったという事実が浮かんできます。

 

実は潜在意識ではお互いに納得のうえだった。

 

その納得の種は一人ひとりのこころの中にまかれていた。

 

 

 

※ 暑くて意識が朦朧としたなかの執筆。

 

私はオリンピックの競技は一つも観ていません。開会式と閉会式も全部は観ていません。そんな中で自分の中に浮かんできたことだけを言語化しました。

 

ひとつ書き足せなかった内容があります。それは「自由の炎」の話。

 

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パリ、セーヌ川にかかるアルマ橋の近くにある「自由の炎 Flamme de la Liberté」。このモニュメントの下のトンネルでダイアナ元英皇太子妃を乗せた車がパパラッチに追われ事故を起こし、ダイアナ妃が亡くなったことから、現在は彼女の慰霊碑となっています。

このモニュメント、実はニューヨークの「自由の女神」の松明のレプリカなんです。

パリ ダイアナ妃、没後20年 より

 

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ここでまた「自由の女神」。オリンピックの開会式では10体の黄金の像がセーヌ川から姿を現したり、気球状の黄金の聖火台が聖火を空に運び上げたり、また閉会式でもゴールデンボイジャーが登場したり、と「黄金」三昧というか。

 

ダイアナとはギリシア神話の狩猟の女神、また月の女神であり、ローマ神話のディアナDianaにあたります。ギリシャ神話のアルテミスと同一視されています。

 

ということはこの「黄金の松明=自由の炎、その他黄金のモチーフの数々」はもしかしたら太陽神から月の女神への昇華、あるいは物質世界、物質的価値の昇華の意味をあらわしているのかもしれません。一般的には月の女神は太陽神と比べて「陰」のエネルギーとされています、それは「水」の持つ「潜在意識」をあらわすものなのでしょうか、より深く。

 

パリに集結した女神エネルギー、は男性性だけでなく女性性にも真の自由、それは時に「解放」の意味でもあるけれど、本来の姿を取り戻すためにエネルギーの均衡化を図っているよ、というサインなのではないかと感じました。

 

それらは私たち一人ひとりの意識とリンクしたもの。

 

 ◇ 参考資料 

 

セーヌ川 自由の女神像

ノートルダムとかパリとかイシスとか・・

パリは神秘に満ちている

女神ニケの物語

「セーヌ川」の由来 ガロ・ローマ時代に舞い降りた女神セクア

みやじまん.com【地誌編】アイルランド②

エッフェル塔の建築技術: 高さと構造

 

 

 

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