古代インドという言葉をよく耳にします。
古代インドとはいつ頃のことなのでしょうか。私自身記憶のかなたに飛んでしまっているので歴史を軽くおさらいします。
□ インド最古の文明
ドラヴィタ人によるインダス文明……紀元前2300年頃~紀元前1800年頃(終了した原因は不明)
□ その後
アーリア人によるヴェーダ時代……紀元前1500年頃~紀元前600年頃
インダス文明の遺跡からインダス文字による印章などがみつかっていますがインダス文字は未解明のまま。
一方、ヴェーダ時代に現在のカースト制度の基礎ができあがっています。構築したのはアーリア人バラモン教僧侶。私たちになじみの深い仏陀・ガウタマ=シッダールタ(ブッダ)はさらにその後西暦紀元前565年4月8日に生まれたとの説が一般的です。そして仏教というものが世に広まり始めたのは紀元前500年ごろ、マウリヤ朝アショーカ王時代、ヴァルダナ朝時代とされているんだとか。
そう、仏陀の誕生はインドにおいてはそれほど古いものではなく、しかもアーリア人の移入後であるというのがひとつのポイントです。
また詳細な記録が残り、解明されているのは、アーリア人によるヴェーダ時代以降の歴史。
これってわが母子里の歴史と似ていませんか。記録が残っているのは「古事記」「日本書記」以降のもの。それまでの歴史、当然この土地のネィティブとされた縄文の歴史などはなぜか公式のものが一切明文化して残されていません。
文字がなかった ? 普通に考えてありえないように思えますが。ここでスピリチュアル系の古文書云々の話は横においておきます。あくまでも個人的に、ですがなぜか響きを感じません。
話は飛びます。
古代エジプト時代とはいつ頃のことなんでしょうか。
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ナイル川流域に生まれた古代文明。前3000年頃、エジプト古王国が成立。ピラミッド、ヒエログリフなどに見られる高度な文明を発展させ、前1世紀のヘレニズム時代の終わりまで続いた。
ナイル川下流の大三角州地帯である下エジプトの古代エジプト人が、メソポタミア文明の影響をうけて前5000年頃から潅漑農業による農耕文明に入り、ノモスという小国家の分立を経て、前3000年紀頃にノモスを統一してエジプト古王国を成立させた。エジプトは、農耕文明はメソポタミア文明より遅かったが、統一国家の形成はそれより早い時期であった。
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上記から以下のことがわかります。
□ 紀元前5000年頃から小国家による農耕文明
□ 起元前3000年紀頃、エジプト古王国が成立
小国家から古王国へと移行しています。これもわが母子里と似ています。
さらに話は飛びます。
古代エジプトの成立を仮に紀元前3000年ととらえてもインド最古の古代文明はそれより後にはじまり、ここに7世紀あまりの時間差があることがわかります。さらに仏陀の登場は記録によれば紀元前565年頃です。
私は蓮が大好きで、当エッセイでも何回か「古代蓮」関連の話を記しています。
昨日、東京・水元公園の古代蓮をみにいってきました。
今年は「千葉市」「行田市」そして「葛飾区」の三か所の古代蓮巡りを慣行しました。
蓮といえばお釈迦様の誕生や仏教そのものと深い関わり合いがある聖なる花としての位置づけが一般的です。当然「蓮池」などの看板にはその手のことが記されています。
ところが突然遭遇したこんな情報。
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古代エジプトで崇拝されるハス・lotusロータスは蓮ではなく睡蓮のこと。別名 ナイルの花嫁。
エジプトにおけるロータスの歴史は古代にさかのぼります。太陽が昇ると開花し夕方には閉じるという習性や、中央が放射線状に開くことから古代エジプトの最高神、太陽神の象徴となりました。古代エジプト遺跡の壁画や彫刻にもロータスの髪飾りが描かれ、花束やロータスの香水なども発見されています。
エジプトの国花 ロータスについて より抜粋
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一般的に私たちは「lotus」といえば「蓮」と認識しています。
□ 英名 「lotus」 蓮
□ 英名 「water lily」 睡蓮
英名、というところがポイントかもしれません。確か「百合 lily」はキリスト教でいうとマリアさまの花ではなかったでしょうか。
いや、実は 睡蓮こそ「lotus」だったその歴史を後からひっくり返した人たちがいるのかもしれないと邪推かもしれませんがそう感じてしまったのです。
ちなみに「エジプト神話」における「睡蓮」は「神聖」「生命力」「復活」「創造」「太陽の恵み」「死後の再生」のシンボルとして設定されているそうです。
一方、インドでは「蓮」は「豊穣」「多産」「繁栄」「健康」「長寿」などあらゆる吉兆の象徴として仏教が起こる前から聖なる花として珍重されていたといいます。
どちらでもいい話なのかもしれないけれど、ひっかかるのも事実。前者は「生命力」「死後の再生」といのちの循環システムの要ともいうキーワードが含まれています。
一方、インドの「蓮」は「現生利益」的な匂いを感じます、「吉兆」という言葉もあって、もしかして「善悪二元論」 ? あるいはこれも後づけの理論 ?
「千葉市」の古代蓮は「大賀蓮・大賀という人の名前」。「行田市」の古代蓮は「行田蓮・行田という土地の名前」。「葛飾区」の古代蓮は「和蓮・唐蓮との対比」との情報がありました。いずれにしてもそれらは「本当」の古代には「蓮」とさえ呼ばれていなかったのかもしれません。それに後世の人が「古代」という単語をつけて「古代蓮」そのものをブランド化したような気がします。
この国では桜、特に「ソメイヨシノ」が政治利用されたように、もしかしたら蓮も政治利用されたものなのかも、と。何のため ? 思想統一のためでではないでしょうか、この国独自の仏教を定着させるための。
それはどんな層とバッティングするのでしょう。
本来「lotus」であったはずの睡蓮を「water lily」とした人たち ?
釈迦の教えとは本来は、
□ 上座部仏教……伝統的な仏教。厳しい戒律に従う出家僧侶のみが解脱できるという考え方。個人の内的指針のようなもの
を言うとされています。わが国の主流は、
□ 大乗仏教……新しい部派。全ての者がブッダと同じ悟りを得られるというもの
です。そして後者は釈迦の教えに「ネストリウス派キリスト教」の教えが習合されたもの、中国で「景教」と呼ばれたものとされています。
蓮とお釈迦さまを関連付けたエピソードはもしかしたらこのルートで確立されたものかもしれません。あくまでも個人的にそう思うというレベル。
蓮大好きな私だからこそこう思えるのかもしれません。「和蓮」という名前に引っ掛かりました。「和」は「大和」「倭」という意味。「大和」「倭」は朝廷側のエネルギーの記号。この母子里のネイティブのエネルギーではないとする説があり、私個人はそれを採用しています。
調べて調べて調べていくうちに大好きな「古代蓮」周りになんだか異質な情報が垣間見え始めてきたのが昨日のこと。
もしかしたら、睡蓮の花の上に蓮の花のエネルギーを憑依させ、蓮こそが本物のカミに直結するものだというストーリーを考えた人たちがいるのかもしれません。
いずれにしても、睡蓮も蓮も古代蓮もただ在る存在。私がつながるのは人間が創った彼らの背景ではなくその真ん中。
その本質はすべてひとつの「〇」につながっているはず。
そういえばわが街の「弁天」のつく植物園チックな公園、ビオトープに睡蓮の花が咲いていて、家から少し距離があるのですが、私は毎週のようにそこに足を運んでいます。「サラスヴァティーちゃんに会いに行かなくちゃ」、と。
この時の「サラスヴァティーちゃん」は一般に知られるところの人格神ではなく、宇宙根源システムエネルギーのポータルの記号化されたものとして表現しています。「ちゃん」としているのは私のエゴ。
大切なものはわが街にあったのかもしれません。私以外の誰かが設定した、遠くの何かに憧れなくても。
歴史の「死」が「生」へと息を吹き返してくれているような予感。
※ 蓮華とは、仏教の伝来とともに日本に伝わった言葉で、蓮の花と睡蓮のことを指します。
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なんだか「神仏混淆」「神仏習合」の発想と似ているような気がします。
ということは ?
いま突然浮かんできました、バリ・サラスワティ寺院のすぐ近くにカフェlotusというお店があります。もちろん美しい蓮の花に囲まれています。バリ島は島民の約9割がバリ・ヒンドゥーを信仰してるといわれています。
もしかしてヒンドゥー教はインド、ひいてはバリにおける「神仏混淆」のようなものなのではないでしょうか。
仮にもしそうだとしたら、その主体は ?
そしてそこから再生されるものとは ?
◇ 参考
【盲点になりがち!】インドの歴史(マウリヤ朝末期~13世紀まで)
『神話と伝説にみる花のシンボル事典』杉原梨江子著