シャンプーにみる頭皮の清浄と健やかさ

お湯シャンを含めた「髪断食」にトライして2週間が経ちました。

 

髪断食からみえてきたものとは ?

 

□ お湯だけで頭皮と髪を洗う

□ 上記にプラスリンゴ酢リンス

□ 気が向いた時に被膜を残さないタイプのシャンプーとトリートメント 髪の毛だけ

□ 粉のハーブシャンプーで頭皮と髪を洗う

□ 添加物フリーのシャンプーで髪の毛だけを洗い、粉のハーブシャンプーでリンス

 

これらを適宜、気の向くまま。

 

結果として、

 

□ 脱縮毛矯正の途中だけどまぁまぁ落ち着いている、ただし髪の手触り、髪の形、ヘア・スタイル、フォルムはまだまだ。毎日ひとつに結んでターバン・タイプのカチューシャで抑え、スタイリングのまずさをごまかしている

 

というレベルに達しています。

 

梅雨&夏だから許せるというか、脱縮毛矯正といういわば髪と頭皮のリハビリ期間のようなものなので、これといったトラブルが出ないだけでありがたいというか。

 

お湯シャンというのはシャンプーを使わずに「お湯」だけで頭皮&髪を洗うという考え方です。

 

お湯シャンをすると髪がべとつく、時に獣臭がするという情報がネット上にたくさんあったのですが、私はベトツキは出ましたが獣臭は感じられません。

 

この「獣臭」ってなんなんでしょうか。

 

我が家にはワンニャンがいて、ニャンの方は9年間ほとんどシャンプーしてませんが、獣臭なし。ワンの方は1~2週間に一回お湯シャンをする生活3年ほどですが獣臭なし。ちなみにニャンはほとんど「肉食」、ワンは肉食メインの雑食。先代犬は3~6か月に一回のシャンプーで15年過ごしましたが一度も獣臭はしませんでした。

 

肉食、もしくは肉食メイン雑食のワンニャンでさえ臭くならないのに、なぜ人が獣臭 ?

 

もしかして日本人の生活に「合成香料」があふれていて、生まれた時から「合成香料」の「人工香」に包まれてきた人たちがたくさんいるため、それと異なる自然により近い匂いを「獣臭」と感じているということがあったりしないでしょうか。しかも動物性脂肪たっぷりの食事が好きで、とかの。

 

自分の匂いはわかりにくいというので私の場合口の悪い夫に何回も頭に鼻をくっつけて匂いを嗅いでもらいましたが、「臭くないよ、シャンプーの匂いもしないけどね」の返事しか返ってきませんでした。

 

普通に歩いていて、「なんだ、この匂い ?」と柔軟剤やヘアケア製品の匂いに「ウッ」となることはあっても、「何、この獣臭 ?」と感じたことは一度もありません。いわゆる加齢臭だったり、洗濯ものが生乾きでカビが生えている匂いとか、汗の匂いとかはあっても。

 

「獣臭」の認識を抱いている場合、もしかしたら頭を洗剤で洗わない人は「不潔」「汚い」「臭い」という刷り込みがあってのことだとしたら、刷り込み自体に「認知の歪み」があるということもゼロではないかもしれません。

 

あまりにも多かったんです、「お湯シャンで獣臭」という表現が。

 

言い訳がましく聞こえるかもしれませんが私は大丈夫でしたよ、いまのところですが、ということだけお伝えしておきます。

 

さて、本題に入ります。

 

シャンプーの語源を調べてみました。

 

シャンプー『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

↓↓↓

英語の shampoo の語源はヒンドゥスターニー語の chāmpo (चाँपो [tʃãːpoː]) に因むもので、1762年には使われていた。ヒンドゥスターニー語の chāmpoは、ムガル帝国のビハール州周辺において行なわれていた香油を使った頭部(髪)マッサージの事を示していた。

 略

この頭部マッサージの習慣は、18世紀には英領インドから英国に伝わった。1814年にビハール州出身のシャイフ・ディーン・ムハンマドが、イギリス南部のリゾート地ブライトンの浴場ハンマームで頭部マッサージの提供を開始し、イギリス王室にも認められるところとなった。

 略

その後1860年ごろには、シャンプーが頭部マッサージから洗髪を意味するようになった。

↑↑↑

となっています。上記をよりコンパクトに整理します。

 

□ シャンプーとは元々はインド・ヒンドゥー圏での頭皮マッサージのこと

□ その習慣がイギリスに渡った

□ その後イギリスでは頭皮マッサージではなく洗髪をシャンプーというようになった

 

日本でシャンプーの概念が一般的になったのは明治時代だといいますから、その時代の覇権国家であったイギリスの考え方をそのまま踏襲してのことだと言えるでしょうか。

 

では「頭皮マッサージ」はなんのために行われたのか。

 ↓↓↓

頭のツボを刺激する事で、デトックスやエネルギーの向上の効果があり心身共に満たせるとされ、ヘッドスパは、このアーユルヴェーダの影響力が強くあるのです。

 

ドライヘッドスパの発祥の地はインド?その理由をご紹介! より

 

↑↑↑

そう、日本で現在ヘッドスパと呼ばれている「頭皮マッサージ」は頭のツボを刺激することで頭皮や毛根、そして髪の毛のエネルギー・バランスの不均衡を整えるために行われていたもので、決して頭皮や髪の「不浄を清浄化」させることが主目的ではなかったというのです。

 

それが「シャンプー」の本来の目的。ところがそれがいつしか清浄化を目的としたものに変わってしまい、それがいまの世界の主流、日本の主流になっているということのようです。

 

※ 2024/07/12 追記 ↑ 「それが」が三回続いています。何かのメッセージの可能性。

 

わかりやすく言うと、ヒンドゥー圏での「心身の健やかさにおける頭皮周辺部分のケア」がイギリス圏の「頭皮&髪の清浄化」へとシフトしたということになります。そこで出てきたのが石油系液体シャンプー。

 

ではお湯シャンはどうかというと、本来は清浄化より頭のマッサージの目的の方が近かったのかもしれません。もしそうだとしたら、10分におよぶ「お湯シャン」などは方向性が異なるもの ?   どちらかというと「清浄化」目的メインでしょうか。

 

ケミカルシャンプーを減らしたり、卒業したり、の目的は頭皮の皮脂をとりすぎないようにして、頭皮環境を整え、結果として毛根を健やかにし、さらにその結果髪の状態もより健やかにすることによって、心身の一部である頭皮、毛根、毛髪の本来のポテンシャルを引き出すことだとしたら。

 

いくらお湯シャンとは言え、ゴシゴシと頭皮を洗ったり、必要以上のブラッシングは場合によっては頭皮や髪にダメージを与えることがあるのかもしれません。

 

もしかしたらそのせいで皮脂分泌が過剰になり、今までの匂いとは違うから「獣臭がする」と捉えてしまう場合もあるのかも。

 

念のためですが、「お湯シャン」の流儀云々にケチをつけているわけでも、私のスタイルが正しいと主張しているわけでもありません。

 

自分にとってのベストは自分にしかわからないもの。そのベスト自体にヒエラルキーは存在しません。

 

そういえば最近は「頭部リンパ流し」や「頭皮マッサージ」の情報も増えています。私も試しています。始めたばかりなのでいまのところこれといった効果は感じられていませんが、頭がスッキリすることだけは確かです。

 

以上のことから、あくまでも個人的に、ですが、

 

□ 頭皮&髪の不浄はそれほど多いと思えないので、もちろん「汚れているな」と認識できるようなヘアケア剤などをつけた時はしっかり髪を洗剤で洗髪。それ以外は、極力お湯シャンで

 

□ 髪への異物はしっかり落とした方がいい場合もあるので髪にはケミカルもハーブ・シャンプーなど天然のものも「気分」によって使い分ける

 

□ 逆にいうと頭皮にはたとえ天然、自然のものだったとしても最小限の活用

 

□ ブラッシングのブラシも最小限の活用

 

□ つまり、「頭皮」への外部的刺激は極力抑える

 

□ 洗髪時、ドライ時などの時間の短縮によって生まれた時間に自分の手で行う頭皮マッサージで本来の「シャンプー」行為を楽しむ

 

が私の現時点での方向性だと感じました。

 

簡単に言うと、頭皮に洗剤、薬剤の類は極力つけない、髪の毛はしっかり洗浄。ただし美容院に行った場合などはそこで提供されるサービスとしてのシャンプーを楽しませてもらう。頭皮マッサージは自分のペースで適度に楽しむ、ということです。それと「洗いすぎない」「使いすぎない」。

 

清浄文化、清浄と穢れ。この二元論は本来、この国のネイティブの概念ではないとする説があります。

 

イヤシロチ、ケガレチ。神道で有名なこの概念さえも。

 

コロナの時に私たちは大騒ぎしました、「コロナ・ウイルスをやっつけろ、マスクをしろ、うがいしろ、手洗いしろ、消毒しろ」

 

こういう考え方を「公衆衛生」といいます。公衆のための「清浄化」。ただしこれは「個」の免疫のバランスを崩すものと捉えるのが一般的です。

 

シャンプーはそもそもが「個」のエネルギー均衡による頭部周辺の健やかさを目指したものだった。ところがいつからかそれが全体の「清浄化」を目指すものへとシフトした。再び「個」の健やかさにシフトする時が来た、ということでしょうか。

 

たかがシャンプーですが、大切なことに気づかせてもらえました。

 

これと言うのも、今年の梅雨&夏が暑いから。私がくせ毛、かつ脱縮毛矯正の最中だから。私が割としつこいタイプだから。

 

すべてがギフト。

 

方向性が見えてスッキリしました。

 

穢れ文化、清浄文化の超越。

 

 

 

 

※ 当エッセイの内容はあくまでも「私の場合は」というものです。なんか違うなと思ったらすぐに軌道修正します。

 

私と異なる考え方の人を非難したり排除したりの意図はありません。

 

まだまだ発展途上なので。

 

 

 

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