当エッセイで私は「藤原氏」について書き連ねたことがあります。記憶の中では、
□ 藤原氏と富士山の関係
□ 藤原氏と藤の花の関係
について記したのではないか、と。あえて確認せずに執筆を続けますが。
藤原氏といえば「藤の花」、家紋は「下り藤」、そして「紫」色がそのシンボルとされています。
錬金術について調べものをしていたら、たまたま、ですが「紫」の秘密が垣間見える内容に遭遇しました。
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実際的な金属変成の職人であり神秘思想家でもあった錬金術師たちが注目したのは,金属の色の変化であった。彼らは,染色の技法を金属に適用し,始原の神秘な〈黒〉から〈白〉へ,〈白〉から〈黄金色〉への3工程に,最終段階として王者の色として古くから珍重されていた〈紫〉を加えて4工程とする方法を考えた。完全性に向かうこの価値体系は,やがてキリストの死と再生の観念に結びつき,錬金術はますます宗教的色彩の強いものになった。
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上記、色の捉え方に着目。
□ 始原の神秘な〈黒〉から〈白〉へ,〈白〉から〈黄金色〉への3工程に,最終段階として王者の色として古くから珍重されていた〈紫〉を加えて4工程とする方法
とあります。前後のつながりをみると、
□ 紫は王者の色 = 完全性を示す色 = キリストの死と再生の観念
とされていることがわかります。
日本においてももちろん「紫」は最高位の色とされています。だから「富士山」……。「紫」=「藤・フジ」=「富士」なのです。
仏教の袈裟、上級僧侶、そして文化遺産などなど……「紫」。
秦の始皇帝は「紫」を天空の色と捉えてことさら重んじていたんだとか。
秦、天空、藤原、紫、そしてイエス・キリスト。
この並びが何を意味しているのか、捉え方は人それぞれかもしれません。
ちなみに「紫」には「群れで咲く」という意味があり、にほん「朝廷側」のシステムの特徴でもある「群れを重んじる」「村意識」、時にそれらは「同調圧力」などの意味にも受け取れ、ネイティブ縄文の「まつろわず まつわせず」とは真逆の概念であることがうかがえます。
それが「最終形」「完成形」「完全性」の象徴、同時に「イエス・キリストの死と再生」の象徴でもあるということ。
紫の袈裟、彼らの主は誰れなのでしょう。日本の文化遺産とはどこからの目線で見たものなのでしょう。
富士山周りがいろいろと騒がしいのもきちんとした理由があってのことなのかもしれません。
日本・朝廷側のトップは大きくは秦の流れであること。これに関しては上皇自らが天皇家と百済王との関係を発表しています。では仏教はどこからもたらされたのでしょうか。
それらもろもろが現在のNHKの大河ドラマにつながっています。史実に基づいたものではなく、かなりの脚色を伴って。
その主人公は「紫式部」。
錬金術の色の工程をおさらいしてみます。
【始原の神秘な〈黒〉から〈白〉へ,〈白〉から〈黄金色〉への3工程に,最終段階として王者の色として古くから珍重されていた〈紫〉を加えて4工程とする方法】
始原は黒なのです、紫ではなく。
なぜ彼らは黒を悪魔と結び付けたり、穢れ、忌などと結び付けたのでしょうか。
黒こそが始原のエネルギーであることを人々に知られないようにするため ?
紫こそが「完成」「完全」のシンボルであり「上位色」であると人々に印象づけるため ?
黒の蘇り、始祖の蘇り。大地母神の蘇り。
私たち自身が黒であり、同時に紫でもあったことをいま認識。
さて、「にほん」はどこに向くのか。
私たちひとりひとの意識の問題。