2024年6月。
わが街、「三社祭り」。
私はこれを「三蛇」、または「参蛇」と捉えています。
「三蛇」であれば「じゃじゃじゃ」。
幼いころ、父は私によくこういっていました。
「佐智子はいい子じゃ、いい子じゃ、おじゃじゃのじゃ」
父は東京出身、いろいろ調べてみましたが、「じゃじゃじゃ」に何らかの意味があるとの情報はキャッチできず。
そうだとすれば私の感じている「三蛇 =じゃじゃじゃ」の解釈もまんざらではないのかもしれません。
蛇は古語で「カカ」、または「カガ」とされていたとする説があります。
「カ」は「アイウエオ」でみていくと6番目。だから6月 ?
「カカ」がみっつで「カガミ」ととれなくはない。
あるいは三つの「カガ」で同じく「カガミ」。
そう、「三社=三蛇」にはもしかしたら「カガミ」の意味もあるのかもしれない。それが「参上」する、だから「参蛇」でもあって。
もしもそうだとすれば父の「おじゃじゃのじゃ」は「カガミ」の意味 ?
つまり、「佐智子はカガミ」というメッセージを父は潜在意識で感じ取っていた可能性があるのかもしれません。
「カガミ」、「蛇身」、または「カガメ」、「蛇の目」。
前エッセイ 初投稿 両性具有の大地母神、凱旋【前編】 の中で私は千葉市の『厳嶋神社弁財天』に6月26日に足を運んでいることをお伝えしています。
6月26日。6が二つ、「カカ」=「蛇」。ちなみに『厳嶋神社弁財天』は明治以降に名付けられた名称。元々は弁財天を祀る祠、あるいは石があったといいます。
時代とともにそれらはさまざまに形を変え、現在は「蛇石」と「蛇穴」が残されている状態です。蛇穴の奥に「弁財天像」が描かれたものが祀られていましたが、私はそれにはハートが響かず。
私の場合、そもそも弁財天は、一般に知られているような人格神としての「女神」だとは認識していないから。
弁財天は瀬織津姫、または宇迦神、あるいはアラハバキなどと同格、つまり人格神ではなくシステム概念としての「宇宙根源意識エネルギー」そのものではないか、と感じています。
『厳嶋神社弁財天』には蛇が描かれた石「蛇石」が祀られ、人々に触られてのことでしょう、ピカピカに輝いています。
その奥に「蛇穴」があるのですが、これが不思議。一番奥に観音開きだろう木の格子戸のようなものがあって、その手前に鉄でしょうか、小さい鳥居があって、さらにその前に密教系のものなのか、見慣れない形の燭台のようなものがおかれています。
もしかしたらユダヤを象徴する「メノラー」と呼ばれる燭台 ?
私はこの手のことに疎いのでまったくの「勘」でしかないのですが、どうみてもその格子戸の奥に何かが閉じ込められていて、鉄の鳥居と燭台は何らかの呪詛目的でつくられたものではないか、結界なのかあるいは鍵なのか。そんな風に感じられて仕方ありませんでした。
またもその手のことに疎い夫が「確かに牢獄みたいだよね」と。
それが千葉市『厳嶋神社弁財天』の蛇穴に関する正直な感想です。
仮に私たちの「勘」が少しでも何かをかすっていたとしたら、蛇穴の奥に封印されていたのかもしれない「蛇神」「龍蛇神」の正体は後に「弁財天」と記号化された原初の「宇宙根源意識エネルギー」そのものではないかと推察することが100%まちがいとは言えないのではないか、と。
前エッセイで私は「蓮」にからめてインドのシヴァ神の原型は両性具有、なおかつ動物と人間のハイブリットだろう「女神」だったのかもしれない、とのヨミをしています。
それこそが「弁財天」の原型だとしたら。
ここではじめて当エッセイのタイトル『両性具有の大地母神、凱旋』の意味が明らかになってくるのではないでしょうか。
実は『厳嶋神社弁財天』はどちらかというとかなり地味なところにヒッソリと創られ、また鳥居なども古めかしく、ともすればわれわれ一般人が見落としがちな神社といっても言い過ぎではありません。
ところがその鳥居が綺麗に塗り替えられていたのです、「どうだ」と言わんばかりに。それがなされたのが今年の「6月」なんだとか。
十二支でみると「蛇、巳年」は6番目。
「蛇」の古語「カカ」もアイウエオの次の6番目。
そして私たちは6月26日に、その地に足を運んでいる、正しくは運ばされた、何者かに誘導されて。
その26日は、今は亡き「神猫・海・かい」の月誕生日。
人間によって「神」と記号化された存在のない存在はもしかしたら「6」の日にメッセージを集約してきたのかもしれません。
一般的には「6」は悪魔の数字との認識がなされています。「666」などと言ったら最悪の凶数だと。
本当でしょうか。
私はいかなる宗教の信者でもなく、いかなる宗教を排除する者でもなく。
ただし、「埋もれてしまっていたもの」の声なき声をキャッチするようなお役目をいただいている部分もあり、それを言語化して空気に触れさせるという、なんとも奇妙かつユニークな力を少しだけ授かっているような気がしています。
「埋もれさせてしまわれたもの」なのか「自ら埋もれていた」のか、それともそのいずれも、なのか。
2024年6月。
□ パソコンが壊れ、新しいものに変わった
□ 数十年ぶりに歯を抜き、私の口腔内の設計が変わった
たったこれだけのことなんですが、それが「6」月だというところに大きなヒントが隠されている気がしてなりません。
パソコンも私の肉体も、もしかしたら精神もアップデートした ? この「6」月に。
何によって ?
でもまだまだ油断ならない。なぜなら同時にアップデートを全力で阻止しようとする力も働いているはずだから。
◇ 参考
当エッセイは私の頭の中にある知識と直感、直観によって執筆しました。
ことさら調べものをしなかったので参考資料は記載しません。