パソコンがかわりました、初投稿です。
私、超アナログ人間。パソコンが変わっただけでアタフタ、ジタバタしています。
さて、ここ数日、我が家に「クモ」が何回も出没。一説によると、クモは古代文字の番人なんだとか。
「書きなさい、書きなさい」、そう私に伝えてくれているのでしょうか。
背中をおされ、やっと重い腰をあげた気分。
ここ一か月、私の中で大きなウネリがあって、書きたいけれど書けない、書くことはできるけれど書きたくない。そんな気持ちが渦巻いていました。
6月。
わが街「浦安」で三社祭りが行われました。
私の中では「三蛇」、または「参蛇」。蛇の蘇りという意味でかなり大きなインシデントとして捉えています。
きのう、6月26日。26日は神猫・ラグドール海・かいの月誕生日。この時の「神猫」、なぜか私は海存命中から確かに海は「神猫」なのだとメッセージを感じていて、おそらくそれは私の意識の深化とともに、その内容が変化するものだったように感じています。
その海の月誕生日。夫とともに千葉市の「蓮」の花の元に、またその近くにある蛇石のある弁財天へと足を運びました。
現在の正式名称は『厳嶋神社弁財天』。私は五年位前から神社仏閣にほとんど興味がなくなり、普段はどこへ行っても神社詣でをすることはなくなりました。
ここだけは別格。なにしろ「蛇石」と「蛇穴」があるのです。
「蓮」はオオガハスとよばれる古代蓮。ただし埼玉県行田市は「古代蓮の里」として「古代」を前面に出しているのに対し、千葉の場合はハス博士といわれた故「大賀一郎」博士(当時関東学院大学教授)の名である「オオガ・大賀」を前面に出している点がなんとも千葉市らしいというか、権威側の含みがあるというか、屈折している私はここに引っ掛かりを感じています。
「蓮」について調べてみるとこんな興味深い内容が見つかりました。
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インド原産地説は、インドで生まれた仏教が、蓮の花と深くかかわっているからと思われます。紀元前3000年前のインダス文明の遺跡から発見された地母神像の髪が、蓮の花で飾られています。このことからも、インドでも古くから蓮が生育していたことが分かります。
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◇ 「蓮」の原産地はインドである
◇ 仏教発祥のインドと蓮の深いかかわりあい
◇ 紀元前3000年前のインダス文明の遺跡から発見された地母神像の髪が、蓮の花で飾られている
特に三つ目、インダス文明の遺跡から発見された「地母神像」とあるのが興味深く、さらに調べてみるとこの像がどうやらヒンドゥー教「シヴァ神」の原型なのではとの説が見つかりました。
シヴァ神は言うまでもなく「男性神」としてのポジショニング、破壊と再生の神、または宇宙根源神として世に知れ渡っている存在。ちなみにインドのヨーガはシヴァ神が最初にはじめたものとする説もあります。
この「シヴァ神」の原型らしき存在を調べてみると、どうやら、姿形は「女神」です、しかも動物と人間のハイブリッド。見方によっては宇宙人そのものといった様子です。名称はみつかりませんでした。
それが「地母神」。つまり、あくまでも私が調べた範囲の話ですが、そもそもの地母神は「女神」、どうやら動物とのハイブリッドらしい、それが後に完全なる人間の姿をした「男神」であるシヴァ神へと習合されていく。
そこで「仏教」とのつながりが出てくる。
ということはそもそも仏教が出てきた時点で「宇宙根源神」のシンボルが両性具有の「女神」から単性の「男神」へと変わっているということが見え隠れしているのではないでしょうか。実際には「男神」であっても意識は男性性・女性性が備わっているのですが、彼らはあえて「男性」と「女性」と分離してとらえているところが特徴的です。
私は以前当エッセイで「ヨーガは男性のバラモンが神になるために体系化された概念なので、女性が没入すると自身の男性性の力が強くなり、同じく自身の女性性との間に明らかな不均衡が生まれ、かえってカミから離れてしまうのでは」、との推察を記しています。
おそらくですが、これはまちがいではないでしょう。
ヨーガも仏教も男性優位、男性至上主義の中での概念。
それが生まれる前の「地母神」は両性具有の女神。その「髪」には蓮の花が飾られていた。
そう、古来「蓮」は「カミ」と深いつながりのある花だった。いつからかそれが「仏教」特有のものへと変化した。つまり、仏教のとく「宇宙観」とそれまでの地母神が包含する「宇宙観」には大きな開きがあるのだろうということがうかがい知れるわけです。前者をしいて言うのなら男性的宇宙観でしょうか。
日本で蓮が自生していたことは、約7000万年前から1万年前の「蓮の化石」が各地で発見されていることから証明されているといいます。
オオガハスの発見者とされる大賀一郎氏は昭和26年、千葉市近郊の検見川で、蓮の実を、約2000年前の泥炭層から発見し、2年後に開花させました。当初これは「二千年蓮」と呼ばれていたんだとか。後にそれが「大賀蓮」と命名されて、今日では、蓮の花の代名詞のようになっています。
古代蓮という名前が一般化したのは、昭和48年に埼玉県行田市でゴミ焼却場を造成中に、地中で眠っていた蓮の実が自然発芽して咲いたのが発見されてからです。おそらく、ですが古い蓮だから単純に古代蓮と呼んだのでは、との見方がなされているそうです。
古代蓮、太古のロマンなどと言われていますが、少なくとも日本の古代蓮ブームの実質はそれほどロマンティックなものではなく、人々が勝手にそういうイメージに押し上げた感が感じられなくはありません。
私は蓮が大好き。当エッセイでも蓮についていくつものエッセイを記しています。
それはそれらが「古代蓮」だから、なのではなく、そもそもが「地母神」と直結していたものらしいというその背景のエネルギーに引っ張られていたからなのかもしれません。
蓮は仏教以前の原始宗教、さらに言えば宗教という言葉、概念さえなかった、神=カミとヒトが一体化していた頃からのエネルギーを携えた存在。それを「男性神」は「仏教」に結び付けて自分たちの大発見であるかのようなイメージ創りをした。
これって何かと似ていませんか。
彼らは仮にそれが侵略だったり奪略だったりの目的で行われた行為だったとしてもまるで自分たちは英雄、偉人であるかのようなストーリーを創る名人だった。まさに自分たちこそが「神」なのだといわんばかりに。
それが良いとか悪いとかではなく、ただそうだった。そしてそれらの特性は私たちひとりひとりの中に潜むものでもあったということです。
一方、両性具有の「女神」である「地母神」はもしかしたら動物とのハイブリッドだった可能性もゼロとは言えず、そんな事実さえ隠され、その存在をなきものにされて、それでもいつか蘇るその日のために、じっくりとこの地球の様子を観察し続けていたのかもしれません。
そのうち誰かが気づくかもしれないと強いエネルギーを放射しながら。
ちなみにオオガハスは少なくとも2000年前以上のものではとされ、一方行田の古代蓮は約1400〜3000年前の蓮では、と言われています。
シンプルにみてこの1000年の差はどこからきているのでしょう。
私は疑い深い性格でもあるので「古代蓮」ムーブメントそのものに何者かの匂いを感じざるを得ません。
それでも私の蓮好きは変わることなく。
2023/06/20、以下のエッセイをアップしています。
古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー ~ 時空のもつれ【前編】
古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー ~ 時空のもつれ【後編】
なるほど。私は書かされている。
クモが我が家に何回も出没した理由がわかりました。
※ 相変わらず文章があっちにいったり、こっちに来たりしています。「蛇」あらわる。「三社、参蛇」。
◇ 参考