椰子に蛇の目 ~ ソテツにほおずき !?

蛇神あらわる !?

 

そう、わが街は昔漁師町でした。ということはそもそもの海の民、水の民、龍蛇の民のエネルギーがいまなお息づいている地なのではないか。

 

わが街「埋め立て地= いわゆるケガレチ」は実は縄文の聖地、一般に言われる「イヤシロチ」だったのでは、というのが私個人の推察です。

 

ただし、ケガレチ、イヤシロチの概念そのものがこの地にはなかったというのも私の個人的推察ですが。

 

埋め立て地、わが街にあらわれつつある水のカミのシンボル

 

この妄想ワールド、私の顕在意識が書いているのか、それとも潜在意識が書いているのか。

 

さて、わが街の植栽のメインは椰子系樹木です。

 

民族学者の吉野裕子氏によれば、椰子の木、特に棕櫚・しゅろの木は古代神事に活用され、その形は「蛇神」の象徴とされていたとのこと。わがマンションには棕櫚の他多種の椰子が植えられています。私の中ではそれらすべてが「椰子」であり、「大蛇神」のシンボルなのではないかと感じています。

 

今朝雨上がりの街、何気に街路樹の巨大ソテツに目をやると、なんとそこに多数の赤オレンジ色の丸い実。

 

「かがめ=蛇目だ」

 

瞬時に浮かびあがってきました。

 

椰子、蛇、赤オレンジ色の赤い実、蛇の目 =かがめ。

 

高いところにある実なのでなんの実かはわからず。

 

が咄嗟に「ほおずき」が頭の中に浮かんで来たのです、正しくは私の中に。さっそく調べてみると、そのものズバリの内容がヒットしました。

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 「古事記」には、須佐之男命(スサノコノミコト)が退治した八俣の大蛇(ヤマタノヲロチ)について、「彼の目は赤加賀智の如くして、身一つに八頭八尾有り…」とあり、原文に付記されている注釈には、「此に赤加賀智と謂へるは今の酸漿(ほほつき)なり」とある。略

 

 (「かがち」とは蛇の古称であり、赤加賀地とは赤々と燃え鏡の如く光り輝く蛇の目への形容として用いられたと言う。「かがち」に纏わる考察は吉野裕子先生著「蛇」に詳しい。)

 

天地(あめつち)に遊ぶ より引用

 

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「古事記」については内容そのものが創作である可能性も否めないため、このエピソードの是非、可否はおいといて、ただ、

 

□  八俣の大蛇(ヤマタノヲロチ)の目は赤加賀智の如くして「此に赤加賀智と謂へるは今の酸漿(ほほつき)なり」

 

の部分のみを採用します。

 

すると、「大蛇 = 赤加賀智・あかかがち = 酸漿(ほほつき)」となり、この「酸漿(ほほつき)」こそ「ほおずき」のことになるのです。

 

正しくはあの実が「ほおずき」なのかどうかはわかりません。その木だけにその赤オレンジ色の実はなっていて、いつもなら見上げることもないその木をなぜかきょうは見上げていた。

 

「大蛇神のかがめ・蛇目」が私に何かを伝えてくれようとしていたのではないか。

 

そう、妄想です、なんの根拠もない、けれど潜在意識の中で何かが動き、何かが反応し、という可能性はゼロではないかもしれません。

 

わが街、まもなく8年ぶりに「浦安三社例大祭」が行われます。

 

私はこの手のお祭りにはまったくと言っていいほど興味がありません。小さい時からお祭りが大好きと感じたことは一度もなく、むしろ苦手。三次元的にいうとまっくもってかわいげのない子供だったわけですが、多次元的にみるともしかしたら私はその真ん中に気づいていたのではないかと。

 

今回の三社大祭は「8年ぶり」というのが大きなポイント。元々4年ごと、オリンピックと同じ年に行われていたんだとか。ここにもヒントあり。

 

また「三社」と打とうとした時に「三蛇」と出ました。もちろんこれは蛇関連について述べていたからですが、そんな偶然にもメッセージがあったりするのかもしれません。あるいは「参蛇」とか。

 

この地は水の地、水神の地、滝神の地。この時の「神」は人格神ではなく「宇宙根源システムおよびそのエネルギー」の意味です。

 

三社のひとつに「清瀧神社」という神社があります。三社例祭の仕切りと言うんでしょうか、正しい表現はわかりませんがどうやら「清瀧神社」がリーダーのような存在のようです。それが「今年限定」のことなのか、それともいままでもそうだったのか。

 

三社のひとつに「豊受神社」があり、そこは規模も大きく、一見するとこの街の中心に見受けられます。一方、「清瀧神社」の末社には「龍神社」があり、本殿には「龍」「浦島太郎」「竜宮城」の姿が彫られています。なんでも「浦島太郎」「竜宮城」は住民からの要望で掘られたものなんだとか、権力者側の意向ではなく。

 

また、こんな興味深いエピソードも。

 

『清瀧神社の創建は西暦1196年(建久7年)。お隣にある清滝山宝珠院の本尊を守る神様として創建されたと言われています。略豊受神社同様、その由緒については大津波による記録の流出により定かではありません。

清瀧神社の神職は、元々お隣の宝城院の住職が代々別当を勤めていましたが、明治維新後の神仏分離令により、明治9年より豊受神社の神職が清瀧神社、稲荷神社の神職を兼務することになったといいます。』

 

津々浦安散歩 より抜粋

 

何が興味深いのか。

 

□ お隣にある清滝山宝珠院の本尊とは不動明王のこと

□ 由緒は大津波による「記録の流出」により定かではない

□ 清瀧神社の神職は、元々お隣の宝城院の住職が代々別当を勤めていた

 

これらを深読みすると、今回の「三社例大祭」の意味も、また私がきょう「かがめ = 蛇の目」を感じた意味もひとつのまとまりでではないかと思えてきます。

 

妄想ワールドとは言え、そこにはそれなりのストーリーが託されているような気がしてなりません。

 

ちなみに「浦安」という地名の由来は「大和言葉」によるものだそうです。「浦安町」は、明治42年に誕生しました。

 

「大和」、朝廷側の意味。

 

朝廷側は果たしてこの地に何を託したのでしょうか。

 

 

※ 

 

2024/05/06  

両性花、アンズ、シャリンバイは何思う ~ ジャガマイタ

の中に以下の記載がありました。

↓↓↓

 

その瞬間、はじめて耳にした「ジャガマイタ」という祭事。

 

「ジャガマイタ」とは毎年5月5日に行われる「栃木県・間々田のじゃがまいた」と言われるお祭りのこと。祭りの主役となるのは子供たちで、長さ15mを越える龍頭蛇体の巨大な蛇(ジャ)を担ぎ「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」のかけ声とともに町中を練り歩くんだとか。

 

龍蛇信仰の名残りのひとつ。

 

「ジャガマイタ」とは「蛇が参った、参上した」、または「蛇がトグロを巻いた」の意味だそうです。

 

↑↑↑

当エッセイ冒頭の「蛇神あらわる !?」はここにつながっていたようです。

 

 

 

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