ツバキはいまから5000年ほど前の「縄文時代」の遺跡から発掘されています。ツバキ材製の赤い漆塗りの櫛、またヤブツバキの石斧の柄。
そう、ツバキ、おそらくヤブツバキはこの母子里原生、この母子里のいのちそのものだったという話を前エッセイで記しました。
ツバキについて調べていたら不思議な現象に気づきました。
「ツバキ」ではなく「椿」と表記したものをクリスチャン、特に迫害を受けたとされる隠れキリシタンと絡めている情報が多々あらわれたのです。
なぜ ?
「ツバキ」は縄文時代からこの土地にあったもの、後発 ? のキリスト教との関連はかなり「後々」のことのはず。
ところがまるで「椿」はそもそもがクリスチャンの聖樹であるかのようなエピソードが続々と登場してきます。
『ツバキに「椿」という漢字を用いることになったのは、おそらく飛鳥時代に制定されたと思われる。by 柳田國男』
ヒントらしきものが見つかりました。
それまでのツバキは「椿」とは言わなかった。
『万葉集』の中では「都波伎」「都婆吉」「海石榴」などの字が当てられていました。しかし「海石榴」の文字を当てたことは、果実の状態がザクロに似ていることから生じた誤用であるとする説がみつかり、前者ふたつがもともとのツバキだったと考えられます。と言っても縄文の昔には「ツバキ」という名称さえなかったのでしょうけれど。
現存する日本最古の本草書『本草和名』には「和名 都波岐」と記されているんだとか。
上記からツバキにはどうやら「都」という意味と「波」もしくは「婆」の意味のエネルギーが込められているらしいということがうかがえます。
ちなみに中国の「椿」はセンダン科の「香椿 チャンチン」のことを言い、まったく別の花をさしていると言います。
何が言いたいか。
この国ではこの母子里の元々の「サクラ」= 山桜 のポジションを「ソメイヨシノ」へと挿げ替えた層が存在します。 「サクラ」が縄文遺跡から発掘された、という情報はいまのところ見つかりません。そのため、私は「サクラ」は渡来系の民が農耕文化と共に移入したものではないかと捉えています。
それと同じようにこちらは縄文時代から原生していた元々の「ツバキ」=おそらくヤブツバキ、この母子里の固有種を「椿」と置き換え情報を含めて流通させた層が存在するのでは、ということがみえてきました。
もちろんこれは私の個人的な推察。
ただそう考えるとスッキリするのも事実。
こんな情報も見つかりました。
『ツバキ(椿、学名:Camellia japonica)は、日本原産でツバキ科ツバキ属の常緑小高木です。江戸時代から栽培されている古典花です』
江戸時代 ? それまでは自生のみで栽培はされていなかったという意味 ?
さらにこんな情報も。
『英語では、ツバキを「Camelliaカメリア」といいます。世界各国で用いられる学名が、ツバキの呼び名としてこれを採用しています。
カメリアという名は、1600年代のドイツ人、学者にして神父であるGeorg Joseph Kamelカメル(1661-1706)の名からつけられました。』
ツバキ「カメリア」とクリスチャンとのつながりはここで確認できました。
なるほど。
「椿は縄文の木だった」のではなく、「ツバキが縄文の木だった」。縄文時代にはもしかしたら名前すらなかった。それは私たちのいのちの営みに直結した、いわば「生命」そのものの象徴だった。
後に「ツバキ」と命名され、その後それには「都波伎」「都婆吉」「都波岐」の文字が当てられるようになった。
が飛鳥時代だろうか、それは「椿」に変わった。
この母子里の縄文の息吹きを伝える名前のないその木はいつしか「椿」と統一され、キリスト教の聖樹として浸透していった。
なぜ私が唐突に「ツバキ」ネタを執筆させられたのかがわかりました。
「ツバキ」という「生命」のシンボル、つまり私たちにとってのある意味「カミ」とも言える存在がさまざまに名称を変え、流浪の旅を楽しんできた。
いま、縄文の風を思い出させるかのように、名前さえなかっただろう「ツバキ」エネルギーとの再会が果たされたのかもしれません。
「ツバキ」は待っていたのでしょうか。
名前なんて好きに呼べば良いけれど、「ツバキ」エネルギーはこの母子里の母そのものですよ、と誰かが気づくその時を。
『万葉集』の中では「都波伎」「都婆吉」と表現されることもありました。文字の「感覚」「イメージ」では「波」「婆」が特に強く響きます。
「波」の「婆」というと、瀬織津姫、弁財天、宇迦神あたりのイメージが浮かびます。いずれも人格神ではなく「宇宙根源意識エネルギー」として。水辺の女神エネルギー、そのエネルギーは両性具有。同時に「らせん」状。「蛇」、「龍」エネルギー、またはシステム。
もしかしたらすでにどなたかが気づいていたかもしれないけれど、私の調べた範囲では、これはいま私の中から浮かんできた情報です。
私はこれまで「縄文」について意図的に触れないできました。ムーブメントとしての「縄文回帰」ではないなにがしかが動きはじめているのかもしれません。
ここにたどり着けたのは渡来系民が「弥生」文化とともにこの国に来てくれたお蔭です。
と言っても私が「縄文」系で「弥生」系ではないという意味ではありません。
私は「縄文」系であり同時に「弥生」系であり、さらに「縄文」系でも「弥生」系でもない存在なのでしょうから。
◇ 参考
神話と伝説にみる花のシンボル事典 杉原梨江子著