富士山の「コノハナサクヤ姫」や富士信仰について調べているうちに、またまた新しいテーマに遭遇しました。
それは「朝廷」による「統一国家」の概念です。
古代、大陸からの渡来系民が築き上げた「大和朝廷」。「渡来系民」とは特に4~7世紀ごろに朝鮮・中国から日本に渡ってきた人々を指すと言われています。
彼らは663年の白村江の戦の後、それまでの「大和朝廷、大和政権」を「日本・にほん」という国名に定め、アマテラス(太陽神)を崇め奉るように強制的に制定しました。
この時、先住系の土着の民は迫害を受ける形になりました (「土着の民」は私にとって蔑称ではなくこの地に根付いている人々、この地と一体化した人々、という意味で使っています) 。
『【663年】百済が滅亡する(白村江の戦い) むっ、無残(663)な敗北、百済滅亡す。』
白村江の戦の語呂合わせをみると百済が敗北している事実が明らかになります。戦のあと【676年】新羅が朝鮮半島を統一し、その後この列島 =「母子里・もしり」にやってきます。その新羅勢力が北朝天皇を打ち立て、その裏から実行支配をしたのが藤原氏です。
ではそもそも朝廷とは何なのでしょう。
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朝は政(まつりごと)、廷は庭のことで、天子が政治について臣下に尋ね聞く場所をいう。統一国家の政府を意味する語。日本古代では大王の地位が確立し、各地の豪族が臣僚集団に編成された雄略〜継体期に、朝廷としての組織が整えられたとみられている。
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上記はコトバンク情報。さらっと書かれている割に私にとっては少し難解です。あえて解説を加えずに進めますがこの中の【統一国家の政府】という記載に注目。統一国家ですから、宗教をも統一しようという考えです、もちろん民族も統一しようと。私たちに馴染みの深い「大和民族」という言葉はこの「統一国家」の概念からきていることがわかります。
ここには先住の土着の民の意思は存在していないということがくっきりと浮かびあがっています。
さらに、「朝廷」と「幕府」の違いを端的に追ってみます。
□「朝廷」 天皇や貴族が政治を行う場所やしくみのこと
古代の日本では、天皇を中心にして政治を行うしくみができた。
天皇が政治を行う場所や、天皇を中心として皇族や貴族が政治を行うしくみを「朝廷」という。
朝廷による政治は奈良時代、平安時代と続いた。
□「幕府」武士が政治を行う場所やしくみのこと
平安時代の後期になると武士が勢力を伸ばし、やがて武士が政権を握る。政治の担(にな)い手が武士になると武士のリーダーである将軍を中心にして国を治めるしくみができた。
将軍が政治を行う場所や、将軍を中心として武士が政治を行うしくみを「幕府」という。。
幕府による政治は、鎌倉時代から江戸時代まで、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と続いていった。
上記によって時代の大まかな流れがみえるでしょうか。情報がいったりきたりしましたが、朝廷とは「統一国家を実現するために天皇や貴族が政治を行う場所やしくみのこと」どあり、それは奈良から平安時代へと続いたということ。
一般的に「大和朝廷」にはじまった「朝廷」勢には「人々を男神・太陽神であるところのアマテラスを最高神とする大和の民として統一していく」目的があったということです。
アマテラスは太陽神であるのになぜ女神の設定なのか、この話題はここでは脇においておきます。
では平安時代の代表的貴族「藤原氏」は何を目指したか ?
男神・太陽神であるところのアマテラスを最高神とする大和の民の統一国家「日本」の実質トップになること。すなわち、自分たちが「日本」の「王」あるいは「神」になるという目的をもっていたのではないでしょうか。
だから「富士山」なのだ、と。
「富士山」の「ふじ」は「藤原」の「藤・ふじ」……。
同時にここに「藤原の藤・ふじの音読み・とう=唐」の意味も含まれているのでは、と浮かんできました。
真言密教の開祖・空海 (弘法大師) は藤原の時代、「遣唐使」として唐に行き、そこで景教を学びました。その空海が「唐」から戻って富士山に登り修行したとの伝承があります。それが807年くらいではと。では ?、としているのは空海の歴史には不明瞭な点が多いということがさまざまな角度で明らかになっているからです。
ある説によると【 噴火を鎮める目的で国家として富士山に浅間神遷座。実際の創祀は噴火が起こってから遷座するまで、すなわち「天応元年(781年)から大同元年(806年)の間」と考えられている 】とのことなので、空海が登拝したのはその前後ということになるでしょうか。
ちょうどこの頃、浅間神の遷座によって富士山の主祭神が水神から太陽神でもある火神に交代し、それと同時に「富士山信仰」がスタートしたとする説があります。あくまでも個人的推察ですが、藤原氏と空海にはかなりの接点があり、立場こそ違え、彼らはお互い同じところを目指していた「朝廷」エネルギー仲間なのではないかと感じています。
「富士山」という名称はもしかしたら、「この山は藤原氏および唐勢のものである」という彼らの明確な意思表示だったのではないか、という気さえしてきました。
「富士山」や「富士信仰」に関する縁起、歴史が諸説紛々としているのは、この山の利権争いが熾烈に行われ続けてきたことの証ではないか、その中で「藤原勢、唐勢」が一歩抜きんでたのが8世紀後期から9世紀前半。794年 桓武天皇が都を平安京に移す「平安京遷都」がありましたのでまったく筋違いとは言えない話ではないかと。
では水の神、山の神を信仰していただろう先住の土着の民たちはどこへ向かったのか、何をしたのか、されたのか。アマテラスを主軸とした統一国家にすんなりと融け込んでいった民、一方で自分の信仰を守りながら懐柔されたふりをした民、さらには徹底的に自分の意思を貫き、結果いのちを落とした民。
彼らの魂はいまどこに眠っているのか。
その中の一部はもしかしたら富士山のある植物の下に埋められているのではないか。
その植物の名前は ?
「桜」。
その桜は元々は山桜だった、それを特に八重桜とした人々がいた。ところがいつしかそれはソメイヨシノに変わっていった。
人間のエゴに翻弄された「桜」の運命はいま、どこにあるのか、どこに向かうのか。
もしかしたら「桜」に運命を翻弄されたのは人間の方なのかもしれない。
平安時代、雅な貴族文化。
いえいえ、彼らのふるまいこそ、人を人とも思わない「欲望」にとらわれた人外だったと唱える説もあるほどです。そのエネルギーの名残はいまでもこの国に生き続けています。本来フラットであるはずの近代日本になぜ「上級国民」とそれ以外、が存在するのでしょうか。
事の真偽はわかりません、何が本当なのか、何がウソなのか、もしかしたらすべてが虚構なのか。
私たちは「いま」自分自身の真ん中の芯を拠り所とする生き方への転換地点に立っているのかもしれません。
私は「富士山」が大好きです、しばらくは「富士山」という名称を忘れ、自分なりの意識の寄せ方を楽しむつもりです。
あたまを雲の 上に出し
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山
さて、子どものころ何度も口ずさんだこの歌、いま歌詞をみると、
「マウントをとる」
という言葉が浮かんできます。この歌詞の中にどれだけの暗喩が隠されているのでしょうか。
□「マウント」とは ?
多く哺乳類の雄が、交尾のために雌に乗ること。マウンティングをすること。
「マウンテン」に同じ。Mt.と略記する。
□「マウンティング」とは ?
多くの哺乳類の雄が交尾のときにとる、ほかのものに馬乗りになる行動。サルでは個体間の優位性を誇示するためにも行う。背乗り。
男神・太陽神はより高く高く、より多く多くと求め続けます。彼らの「欲望」に終わりはありません。それは明確に目にみえる物質世界・文明の中でのこと。
それが「大和」の意味するところ、目指すところ。それを「統一国家」という。その意識の投影先のひとつがもしかして「富士山」だとしたら ?
これらは長い間この「母子里」の主流のエネルギーとなりました。それはそれで素晴らしい時代だった。
けれど私たちは「超越」した。
これからも「統一国家」を目指すのか、はたまた異なる選択をするのか、私たちの魂の選択はどこに向かうのでしょうか。
「富士山」という名称が私に「統一国家」の概念とその「超越」の時というチャンスを届けてくれました。
当エッセイの中で私自身はこの列島「もしり」の先住民族としての視点で記しています。同時に私の中では渡来系民であり男性神であり、マウントをとりたがる「男性性」のエネルギーが私自身の「女性性」のエネルギーを抑圧していたという事実も認識しています。さらに私の「女性性」はそれを甘んじて受けていた。なぜなら「いま」真ん中に戻るためのステップとしてそれらは必要なものだったから。
どちらが「善」でどちらが「悪」ではなく、どちらも「善」であり「悪」でもあるという意識。
「男性性」「女性性」均衡に向けての愛のシステムはここにも確かに息づいています。
※ 当エッセイは2024/03/08にほぼ執筆できていましたが、なぜか更新は2024/03/18になりました。
内容が行ったり来たりしていることにも意味があるのだと感じています。
なお、当エッセイは私の潜在意識を整理するために執筆しているので(一見)私の外側と思える何かを批判したり排除したりの目的はありません。すべては私の「内」。すべては大いなるひとつ。
◇ 参考
テラコヤプラス by Ameba【世界史】年号語呂合わせ一覧!663年