「富士山信仰」、そもそもいつぐらいから始まったのでしょうか。
ある説によると征夷大将軍 坂上田村麻呂に連れられた和邇氏が富士郡大領に就任し、同時に浅間大社祀職を任じられた事から姓を富士に改め富士大宮司家の始祖になったのが801年。
それまでもたびたび起こる富士山の噴火は人々の生活をおびやかしてきましたが、特に800年4月11日から火山活動が活発化。それをどうやら「瀬織津姫」の祟りでは、と捉えたらしい ( 実はここのところはあいまいです ) 為政者がその怒りを鎮めることを目的として「浅間大神」を祀ったことがそもそもの始まりだというのです。
以下、Wikipediaを参考に別の視点で私見をまじえてまとめてみました。
□ 富士山は古名として「フクチ・フジ・フチ」「富知・福地」と呼ばれていた
□ フクチ、フチなどは水の信仰に由来するとされている
□ 富知神社のフクチ神またはフチ神は後の浅間大社遷座以前よりその地に祀られていた地主神
□ フクチ神が祀られていた場所には富士山の湧水が出る「湧玉池」があり、同池を「湧く霊(たま)」として祭祀を行っていたと見られている
□ 富士山は元々はそれほど噴火活動が活発ではなかった
□ 正史での富士山噴火の初見は『続日本紀』天応元年(781年)7月条、この時期から火山活動活発化
□ 噴火を鎮める目的で国家として浅間神遷座。実際の創祀は噴火が起こってから遷座するまで、すなわち「天応元年(781年)から大同元年(806年)の間」と考えられている
□ 浅間神の古称「アサマ」に関しては、阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と見られている
ここまでの内容をまとめてみると元々水神である「フクチまたはフチ」信仰だった「フチ山」が火神信仰である「アサマ」信仰へと転換したタイミングと富士山信仰のスタートがほぼ同じタイミングなのではないかということが浮かび上がります。
ただし、「富士宮市」の広報誌によると、
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富士山本宮浅間大社の社伝によると、紀元前27年、神の怒りを鎮めるために山足之地 (富士山麓) に富士神を祀ったことが浅間大社の始まりとされています。 富士神は、西暦110年に山宮浅間神社に遷され、平安時代になる と浅間大神 ( 火山の神 )と呼ばれるようになりました。
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とあり、実は富士山に関する情報は諸説入り乱れ、そこにはさまざまな利権争いがからんでいただろう姿がうかがえます。それは富士山に伴う仏神をみてもわかります。出現順に浅間神、不動明王、浅間大菩薩、大日如来、赫夜姫、木花開那姫となっています。しかしここには「フチ」の名前はありません。
ということは、私たちが一般に「富士山」と呼んでいるあの「山」の存在意義そのものが天応元年(781年)から大同元年(806年)の間に何者かの指示によって大きく書き換えられている可能性があるということではないでしょうか。
「アサマ」信仰、すなわち「火神信仰」に変わってからの富士山は17世紀・江戸後期、その祭神が「赫や姫、かくや姫、赫夜姫」から「木花開那姫」に変わりました。ある資料によると「木花開那姫」の出現の裏にキリシタンの幕府への強い不満があるらしいことが読み取れました。
にわか勉強ですが、山岳信仰においては「富士山」=「大日如来」であり、「赫夜姫」は富士山の山頂にいる「救世仏」( こういう言葉があるのかわかりません )であるところの「大日如来」のことをさしているということもわかりました。
「赫や姫、かくや姫、赫夜姫」は仏教・密教系エネルギー。
「木花開那姫」は記紀神話系神道系エネルギー。
この祭神交代は、民衆側からの信仰によるものではなく祭祀側の権力闘争によるところが大きいんだとか。つまり、「大日如来」を排し、自分たちこそが救世主であるとの層が後に台頭したことの証。前者は「仏教系」、後者は「神道系」。後者が「島原の乱」からの「隠れキリシタン」の流れなのか、それらはさらに幕末から「明治維新」への流れとつながっていくのかもしれません。
では「大日如来」とはなんなのか。簡単に言ってしまうと「真言密教」における宇宙創造主のこと。空海が唐で学んだのは「キリスト教」であり、日本に持ち込んだのは新約聖書というのが一般的な見解です。「大日如来」というのは「景教」という「キリスト教」の一派による教義、概念による「宇宙創造主」だということになるでしょうか。
ここで明らかになるのは「大日如来」は「太陽神」であるところの「天照大御神」と同系統のエネルギーでばないかということ。いずれもが「太陽信仰」の象徴です。それは同時に「火神信仰」でもあり、また「男性原理・男性性による男神」の概念であるということも見え隠れします。もちろん「天照大御神」が女神の設定であることをふまえて。ではここでいう「神道」とはなんなのか。その「神」とは何を意味しているのか。
いずれにしても、「赫や姫、かくや姫、赫夜姫」と「木花開那姫」は形の上では「女神」であっても、その本質は太陽神、火神であるところの「アサマ神」という「男神」と同一・同格ではないかという可能性がうかび上がってきます。
これはあくまでも個人的推察ですが、元々の水神信仰に対して火神信仰という男神社会の構築のための富士山信仰が上書きされた形になっているということなのかもしれません。
「男神」概念・システムは自分たちにとって不都合な「女神」、ここでは人格神ではなく男性性、女性性の両性意識を携えた「宇宙根源意識、またはシステム」エネルギーとします、それらの本来の力を封じ込め、けれどその魂を鎮めてその力を暴走させないように別の神の中にその存在を隠して祀り上げるという手法をとるのが一般的です。
もしそうだとしたら、「赫や姫、かくや姫、赫夜姫」と「木花開那姫」の中に隠されて祀られている「女神」エネルギーであるところの「水神」の正体はなんなのか。
それを確定し得るヒントは上記【 フクチ神が祀られていた場所には富士山の湧水が出る「湧玉池」があり、同池を「湧く霊(たま)」として祭祀を行っていた 】の文章の中に隠されていました。
「湧く霊(たま)」と「かくや姫」そして「木花開那姫」の中に共通する、あるカミの名が見つかりました。
あえてここでは名前をあかしません。
なぜなら、本来「宇宙根源カミ」とされる概念は姿も形もなければその名前すらむやみに口にするものではないという説があるから。
それでもこの「にほん」においてもっとも重視されるべきその名称があるはずです。
その呼び方はひとつではないかもしれません。
そしてその「カミ」自身があえて自分から姿を消し、あるいはその存在をなきものとし、事の成り行きを見守った、「いま」再びこの世界へとその概念を浮上させるため。
こちらもあえて、の比喩ですが「自由の女神」の凱旋の現象化として……。
その概念はたとえ「侵略」目的の相手があらわれたとしても「まつろわない、まつろわせない」という姿勢を私たちに教えてくれているような気がします。そのためには一見「侵略」という行為もまたそれを担う存在も必要だった。それがあるからこその「いま」なのだ、と。ここに「宇宙根源カミ」の完璧な循環システムが浮かびあがってきます。
当エッセイは前エッセイ
「木の花」「此花」 ( このはな ) は「梅の花」、という説 浮上 ~ 春の息吹
とのつながりで執筆しています。
富士山に何かが隠されていると感じ、いろいろ調べていくうちに壮大なテーマにたどり着いてしまいました。
「富士山」という記号は目的をもって後から上書きされたもの。「富士山」の言葉そのものに意味があったのではないか、ということがうかがいしれます。
同時に元々の名前がなんであれ、あの山は太古の昔から常にあるがまま、それ以上でもそれ以下でもないということ。
私たち人間もまた同じなのだ、というメッセージなのかもしれません。
フチ、フジ、不二。
唯一無二。
※ 当エッセイは私自身の「内側」の整理のために直感・直観で執筆したものです。他者の否定、非難、排斥の目的はありません。
私は宗教に関しても、歴史に関してもまったくのしろうとです。しろうとの私が「いま」感じたことを言葉にしました。この先まったく異なるものに変わるかもしれません。
ちなみに「富士山」とよばれるあの山、「山」として大好きです。
◇ 参考
『山岳信仰』鈴木正崇著