「木の花」「此花」 ( このはな ) は「梅の花」、という説 浮上 ~ 春の息吹

コノハナサクヤヒメといえば桜、そして富士山の主祭神として有名です。

 

三年程前でしたか、この説に素朴な疑問がわき、いま再びその疑問が再燃してきたのでさまざまな視点から当エッセイを記してみます。

 

『四季口説(しきくどぅち)』。

 

本土の四季を綴ったと言われる琉球舞踊曲。

 

その中にこんなくだりがあると言います。

 

『冬は霰の音添えて 軒端の梅の初花の雪の降る枝に咲くや木の花』

 

これは言わずと知れた『木花咲耶姫』についての歌。

 

『木花咲耶姫』といえば「桜」の代名詞。『古事記』に登場する「コノハナサクヤヒメ」の「サクヤ」が転じて「さくら」になっているとする説があり、また富士山の木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神・あさまのおおかみ)を祀る浅間大社のご神木が桜となっているのは広く人のしるところとなっています。

 

以下はこのテーマに触れている、富士山本宮浅間大社 6⃣ 木の花は梅の花  というサイトからの引用です。

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どうして(『四季口説(しきくどぅち)』の中では・この部分のみ私が加筆)「木の花」が桜でなく梅なのか。

 

その疑問は、語り部の一言であっさり解けた。 

 

「浅間大社の奥宮である富士山頂上の久須志神社の御神木は梅だと、昔の神女たちに聞きましたよ」

「桜じゃないんですか?」

「明治に入るまで、久須志神社は薬師堂といって、梅の花を持った観音様が祀られていたそうです」

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浅間神社の「サクラ」の大半は「ソメイヨシノ」が植えられているとのこと。もちろんご神木も「ソメイヨシノ」。

 

実は「ソメイヨシノ」は幕末末期に人為的につくられた園芸品種です。古来この国の桜と言えば「山桜」でした。「ソメイヨシノ」は後の国粋主義を国民に浸透させるため為政者が山桜よりも短命でしかも見た目が華やかで散り際の美しさを象徴する花として流通させたもの。

 

そもそも「木の花・・・・このはな。梅の異名。此の花・・・・このはな。梅の雅称」という情報もあるくらいで。

 

ということは、

 

□ 浅間大社の奥宮の「梅&観音」パワーを封じ込めるために富士山本宮浅間大社に新種の「桜・ソメイヨシノ」を後から植えご神木とした層がいるのでは ?

 

□ 木の花・きの花・この花といえば「梅」、と捉えられる説があり、それを「ソメイヨシノ」と設定し直したい層がいるのでは ? その境が幕末~明治維新というタイミングなのでは ?

 

□ もしかしたら「富士山」そのものにナニモノカが封印されているのでは ?

 

と個人的な妄想が膨らみます。

 

2024年2月28日(水)22:00~22:45にNHKで『 歴史探偵「大江戸ワンダーランド 大名庭園への招待」』という番組が放映され、その中で「ソメイヨシノ」が紹介されました。

 

春の訪れを告げる風物詩がソメイヨシノ。ソメイヨシノは春のお花見に欠かせない存在。ソメイヨシノ同士では交配できない一代限りの品種で、江戸染井村、いまの豊島区の植木職人によって育成され、それが流通し、以来「日本人」にとって大切な花になっている、というお話でした。

 

その時期は「江戸中期」……。

 

私の学んだ範囲では「ソメイヨシノ」は明治維新以降の軍国主義下でのテーマ「大和魂」の象徴ともいうべき花でもあり、ある意味明治政府 ( 大日本帝国 ) という権威のシンボルとして国策の中で創られたものですから、その開発経緯と時期は重要な要素のはず。

 

メディアはあたりまえのようにこんなミス・リードをしている。リアル・タイムでこれを目にしたことの意味はなんでしょう。

 

また「二月の異名」としてこんな言葉があります。

 

梅見月、仲春。

 

梅の異名として「初花草。風待草。匂草。春告草」とあります。

 

この説によれば春の訪れを告げるのは「梅」の花。「ソメイヨシノ」ではないと。

 

梅はもちろん中国由来の木ですが、万葉の昔には庭園に梅を植えること、そして梅を愛でながらの歌会を開くことはひとつのステータスとされていました。

 

春一番に清らかな香りを放つ吉祥花でもあります。さらに古来、梅は三毒(貪欲・瞋恚 しんい・愚痴)を絶つと言われ同時に梅干しを食べると病気にかかりにくくなるとさえ言われています。

 

それらの「文化」をまるでなきものにするキャンセル・プロモーションには深い意図が隠されていると捉えられなくはないでしょうか。

 

サクラ、特に「ソメイヨシノ」を、

 

□ 潔い死

□ 散り際の美しさ

□ 玉砕なお美し

 

と若者を戦争に導く小道具とした人々の真意はなんなのか ?

 

彼らは戦争を絶対的に正しきものとして、国民に対して天皇、そしてお国のためにいのちを捧げるようにリードしました。何も知らずにいのちを落とした人々の複数を「英霊」として崇め、彼らのための鎮魂と称しその実、それらの魂をさまざまな場所に封じこめてきたという情報も増え始めています。

 

そういう時代はもう終わった、私たち自身で終わらせる時が来たのではないでしょうか。そのために一見「悪役」を引き受け、私たちが真ん中に戻れるようにさまざまなトリックを考えつくした人々が存在するのかもしれません。

 

 

私は花が大好きです。

 

花はそれ自体が「女性性」のシンボルです。そこには生命の循環の神秘が内在しています。いのちの創造と死と再生、それは宇宙の摂理そのものとも言えるでしょう。

 

「男性性」が自我を膨らませ、自分本位にそれを活用したとしてもその力は、一時的なものであってやがて朽ち果ててしまいます。

 

だからこそ、「女性性」との根源的な協調を求めて、一旦「朽ちる」という経験をしているのかもしれません。「朽ちる」という体験があるからこそ、「循環」の本質も浮かび上がる。何より私たち自身が自分の意思で「男性性」と「女性性」の相互補助という均衡バランスを整えていく時が来ているような気がします。

 

私の住む街ではいま、梅と桜がまるで競い合うかのようにその美しさを惜しげなく披露してくれています。もちろん梅と桜の間にライバル意識などありません。「競い合う」という概念は私の中から出てきたもの。

 

いまの桜は「河津桜」がメインでしょうか。

 

「男性性」に政治利用された「ソメイヨシノ」の開花にはまだ少し時間があります。ことしは「ソメイヨシノ」に託された役割をもしっかりと受け容れることでその存在をタイラにできるような気がします。

 

わが街に植えられているのは河津桜、大島桜、染井吉野、いずれもがもちろん「桜」。その美しさに優劣はありません。梅もふくめ、それぞれの美しさとともにこの国の春を思う存分楽しめる、そんな時代に生きていられるその奇跡を「いのち」というのかもしれません。

 

 

※ 私は活動家でも思想家でもありません。直観・直感で自分自身の整理のために当エッセイを執筆しています。

 

当エッセイを執筆している時に「富士山本宮浅間大社」のホーム・ページをチェックしました。

 

その中にすでに「ヒント」は書かれていましたが当エッセイではあえてそれには触れないでおこうと思います。「染井吉野」という名前も大きな「ヒント」のひとつでした。

 

私自身は「富士山」のあの姿も「桜、ソメイヨシノ」の花の形も色も大好きです。

 

 

 

 ◇ 参考

 

富士山本宮浅間大社 6⃣ 木の花は梅の花

『茶道site』

『神話と伝説にみる花のシンボル事典』 松原梨江子著

 

 

 

 

 

 

 

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