「桃太郎と鬼 ~ ヤマト、大和朝廷とまつろわぬ人々」の構造か

桃。

 

古代中国では邪気を祓い、霊力を授ける「仙花」だったと言います。中国神話においては理想郷「桃源郷」のシンボルとして、また道鏡においては異世界 ( 桃源郷 ) と現世を結ぶ「生命の樹」として、同時に「不老不死と再生」のシンボルとして人々に大切にされ続けてきたそうです。

 

さらに「生長がはやく多くの果実をつけるため」その生命力の強さから「魔除け」の力があるとされ、あるいは果実の形が女性の乳房、お尻に似ていることから「女性のたくましさ」を象徴し、ひいては女性性のシンボルとして「桃崇拝」の概念が定着しているようです。

 

「にほん」ではそれほど「桃崇拝」の概念を感じたことはありませんが、あの『桃太郎』の話もその根底に「桃崇拝」があるらしいとのこと。

 

さっそく調べてみると興味深い視点でまとめられたサイトがみつかりました。大前提のところをそのサイトから引用させていただきます。

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ず、物語は「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」から始まるが、お爺さんが刈りにいったのは、「芝」ではなく「柴」という木の枝であったというのは、意外と広く認識されている考えだ。

お婆さんの「川へ洗濯に」を妄想逞しく考え、「川での禊、心の選択」と捉えると、おじいさんの「山へ柴刈りに」「山へ祀葉(しば)=榊(さかき:神社での玉串奉納される植物。日本全国に生息)刈りに」と捉えることができるのではないか。これらの行為はそのもの神々への奉仕であり祈祷とも考えられる。

今でも神社でご祈祷をお願いすると、まず修祓の儀(お払いの儀式=穢れ払い=禊・みそぎ)が執り行われ、その後玉串(榊=祀る葉=祀葉)奉納が執り行われる。すると祈りや想いは神様に届けられるわけだが、『桃郎』においては命の誕生そのものを表現する「桃」が、川の上流から流れてくるのだ。

◇ 物語は「お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に」から始まるが、お爺さんが刈りにいったのは、「芝」ではなく「柴」という木の枝であったというのは、意外と広く認識されている考えだ。

 

お婆さんの「川へ洗濯に」を妄想逞しく考え、「川での禊、心の選択」と捉えると、おじいさんの「山へ柴刈りに」を「山へ祀葉(しば)=榊(さかき:神社での玉串奉納される植物。日本全国に生息)刈りに」と捉えることができるのではないか。これらの行為はそのもの神々への奉仕であり祈祷とも考えられる。

 

今でも神社でご祈祷をお願いすると、まず修祓の儀(お払いの儀式=穢れ払い=禊・みそぎ)が執り行われ、その後玉串(榊=祀る葉=祀葉)奉納が執り行われる。すると祈りや想いは神様に届けられるわけだが、『桃太郎』においては命の誕生そのものを表現する「桃」が、川の上流から流れてくるのだ。

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つまり、『桃太郎』の話には「神事」の前提があるということ。

 

※ 以下同サイトを参考にしながら個人的解釈を加味して執筆しました。

 

では『桃太郎』に出てくる鬼は誰なのか、なんなのか、というと、鬼の「角・つの」と虎・寅・トラのシマパンにそのヒントが隠されている。

 

古来「うしとら・丑寅」の方角「北北東」は「鬼門」と呼ばれ忌み嫌われてきた。が、しかし、それは奈良や京都を中心とした「朝廷目線」によるもの。大和朝廷からみると「北北東」にあたる東北地方には朝廷に「まつろわぬ」人々、土着の民 ( この時の「土着」は「元々その土地にいた先住者」という意味で蔑称ではありません)、ネイティブ・ジャパニーズとされる「蝦夷」がいた。

 

そう、物語の中の「鬼」は「丑寅・うしとら」の「牛・うしの角・つの」と「トラのシマパン」を身に着けさせた縄文の民の子孫・末裔である東北の蝦夷の姿だった。

 

一方「桃太郎」は言わずと知れた「朝廷側」、仮に誰かと限定するのなら、「征夷大将軍 坂上田村麻呂」。

 

つまり『桃太郎』とは朝廷の蝦夷征伐のことを物語化したものでなおかつそれは「神事」をストーリー化したもの。ということは桃は神聖な果実でなければならない、ここに「桃崇拝」の概念がうかびあがってきます。

 

※ 同サイトに即した内容はここまで。

 

『桃太郎』は第二次世界大中、海軍省の要請によって漫画映画、アニメーション映画の主人公として大日本帝国のプロパガンダに使われていました。征伐の対象としての「鬼=鬼畜米英」をやっつける「桃太郎」という設定です。ということは「桃太郎」=「桃崇拝」がここにもいきていて、それは言葉をかえれば「日本」の権力者たちはみんな「桃」の存在、崇拝されるべき存在、それに逆らう民や民族、国は「鬼」の存在であるという意識があったのではないか、ということがうかがえます。

 

「日本」では昔から攻撃、排除の対象として「鬼」というレッテルを活用し続けてきたことの背景がそこに含まれていることにならないでしょうか。

 

さて少し疑問がわきました。

 

桃は中国では「女性性」の象徴です。もちろん「邪気払い」の力がありますが「仙花」です。

 

「花神・かしん」が教えてくれたこの世の仕組み で記しました、花神とは中国の古来のカミで「女神または女仙」をあらわす言葉です、ところが「日本」の権力者たちはこれを「花咲か爺さん」におきかえました。

 

「桃」は女性性の象徴、ところが「朝廷」側の末裔でしょうか、権力者たちはこれを男性である「桃太郎」におきかえています。

 

彼らの共通項として、

 

□ 中国に憧れながらも同時に強いコンプレックスを感じていたのでは ?

 

□ 女性性に強い憧憬、または畏怖、畏敬の念を感じながらも同時にそれを感じないようにしながら優越感に浸りたかったのでは ?

  

ということが浮かんできました。

 

とにかく何がなんでも自分が一番でなければ気が済まない、気にいらない奴らは征伐して排除しろ、というように。

 

「桃崇拝」についてはこんなお話もみつかりました。

 

「日本」では邪悪な「蛇」をおいはらうために「桃」の力を使ったという伝承が多数あると。

 

大和朝廷にまつろわなかったとされる「蝦夷」たちは「蛇」「大蛇」「龍神」に象徴されるエネルギーをカミとしていた民族です。そもそも日本列島そのものが龍体の形をしていてそのエネルギーは「龍」とされています。

 

そんな彼らが「蛇」を邪悪ととらえるという話には無理があります。

 

ということは「蛇」を邪悪な存在としたのは異教を信じる人々ではないでしょうか。

 

だとしたら、もしかしたら「桃崇拝」という概念そのものが歴史上の後付けのものなのかもしれません。

 

卑弥呼の時代に「桃核」を使って祭祀を行っていたのでは ?  いえいえ、それより遥か昔の縄文の遺跡から「桃核」が見つかったのですから「桃崇拝」は縄文時代からのものでは ?

 

さまざまな説があるようです。

 

私は「にほん」の「桃崇拝」に関しては「保留」。

 

ただ少なくとも「邪気祓い」の概念は縄文にはなかったと感じています。

 

縄文はすべてが一つの「〇 まる」という概念で成り立っていたという説に個人的に共感しています。

 

その時代のカミは「蛇」エネルギーだった。「宇宙」は「蛇」のエネルギー、らせん、もつれのシステム・エネルギー。

 

そこにあえて「桃崇拝」という概念が生まれるでしょうか。

 

いえ、もしかしたら本当に桃を使って祭祀などを行っていた可能性もあるのかもしれません。

 

ちなみに農林水産省のホーム・ページには、

 

「ももの原産は中国といわれ、日本では、弥生時代の遺跡からももの種が見つかっている」

 

との記述がありました。

 

こういう風に情報が錯そうする場合、一般的には歴史修正チームが何らかの手を加えていると捉えることが多いようです。

 

ということは、「桃」は「桜」と同じようにもしかしたら政治利用された可能性があるのかもしれないということ。もちろん断言はできません。

 

私は個人的に桃の花も果実も大好き。

 

古代の桃はいまの桃とは異なり食用ではなかったとの情報もありました。

 

「桃崇拝」についてまだまだ調べる余地がありそうです。

 

こんな風に世界中で封印され続けてきた数々の「女性性」シンボル。

 

発掘するのが楽しい一方、ここまで用意周到に隠してきた人々の執念 !  の本質はなんなのか、それらもひとつひとつ紐解いていく楽しさがあって、なかなか奥深い作業だと感じています。その奥の奥にあるものはおそらく私自身の真ん中にあるものと同じだから。

 

 

※ 当エッセイは私の「いま」の直感・直観で自分自身の整理のために執筆したものです。他者を非難したり排除したりの目的はありません。

 

 

◇ 参考 

日々、木のこと。 ← 桃太郎について

『鬼と日本人の歴史』 小山聡子著

『神話と伝説にみる花のシンボル事典』 松原梨江子著

 

 

 

 

 

 

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