きょう「10」日は愛猫・海・かいの月命日。「1」と「0」の日です。
2024/01/01。令和6年元旦。「2」から「1」までをすべて足すと「10」になります。
2011/03/11。東日本大震災の日。「2」から「1」までをすべて足すと「9」になります。
「9」の日の大地震と「10」の日の大地震。
日本海側と太平洋側の違いがありますが、今回の最初の震度「7」の地震該当エリアは東日本大震災の時とほぼ同じ形をしていました。水面鏡に映ったかのように左と右が反転したような形。
日本列島はその形が「龍」のそれであり、そのことから「龍体列島」と呼ぶとする説があります。
その「龍」の前面と背面、どちらがかはわかりませんが、そこで起きた大地震がほぼ同じような形をしたエリアで起きていました。
その一方が「9」の日。その一方が「10」の日。もしかしたら今回の大地震は東日本大震災とのもつれでひとつの意味を成すものではないかと瞬時に浮かんできました。
東日本大震災の時に割と早い段階に「これは人工地震だ」と騒ぎだした人がいました。今回も同じようです。
真偽はわかりません。私自身は「たとえ人工的に起こされたものだとしてもその大元は地球の創造主意識 ( 人格神ではなく、性別もなく姿、形のない概念という意味 ) によるもの 」だと捉えています。もっともそう思えたのは震災から4~5年経ってからのことでしたが。
ですから、「人工地震だ、犯人を捜し出せ」という意識も「そんなのはウソだ。だから陰謀論者は信じられない」という意識も必要なく、ただ淡々と、「今回のこの地震のそもそもの意味は」とできるだけ感情をはさまずにできるだけ俯瞰で物事を感じ取ることができたら 「大地震」という一見「大災害」が「意味のある自然といういのちの営み」としてみえてくるのではないかと感じていました。
私自身、東日本大震災の時に「被災者」側の立場になったため、「なんでこんなことが ?」「なぜ私たちが ?」「なぜこの地域が ? 」とパニックになって気持ちが落ち着くのには一年ほどかかりました。特にあの時は原発および放射性物質問題の本質がまるでわからない中でのパニックでした。
地震の翌年、元気だった愛猫・海・かいが突然旅立ちました。ある友人は、「海・かいはこちらでの生活が楽しくて予定より一年長居をした」と言っていました。いま思うと、私が落ち着くまで旅立ちを延ばしてくれたのかもしれません。本当にそんなことができるのでしょうか。
いずれにしても今回は「客観的」にものごとを捉えることができる立場におかれたためか、早い段階から「この大地震のメッセージは ? 」という意識がいくつも浮かび上がって来ていました。
そのうちのひとつが、「東日本大震災と今回の地震はセットでもつれあい、ひとつの意味をなしているのではないだろうか」というものでした。
日本列島は龍体列島。この意味は日本列島、この母子里・もしりの母は「龍」のエネルギーを携えている、ということです。「龍」は伝説上の生き物ですが、それは「辰・たつ」とも呼ばれ、今年の干支でもあります。
また「龍」は「りゅう」と読み、令和「6」年の「6」は漢字では「六」。これは中国読みをすると「りゅう」と読むんだとか。
能登半島では、2020年から地震活動が活発になっていて、地下に「流体」が流れ込んだことが今回の地震の原因の一つだと指摘されていたと言います。また国土地理院によると、石川県輪島市の西部で最大4m程度、「隆起」が起きたということが報道されました。
どちらも「りゅう」なのです。
しかも「隆起」に関してはこんなニュースもありました。
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「とくに能登半島の北西の沿岸にかけて隆起をしています。珠洲市から輪島市の市街地の西部まで隆起していて、そういうところでは隆起をした分だけ津波の高さが低くなっているという側面も実はあるんです。これ(隆起)がなければ北の沿岸の津波被害はもっと大きくなっていた可能性はあります」(日テレニュース 1月8日)
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上記から、
「地震」を起こしたのは「龍」、同時に「龍」のエネルギーが沿岸部における津波被害を抑えている、と取れなくはありません。
さらに「龍」は同時に「大蛇または蛇」と同じものとする説が少なくありません。
ちょっと調べてみました、たまたまヒットした「龍学」というサイトに「 能登半島は神と祀るもの、邪と封じるもの、双方の竜蛇譚が大変濃い」との記載がありました。
そう、このエリアは龍や蛇を「神」と祀る人がいる一方で、それらを「邪」と封じ込めようとした人たちもたくさんいるということ。このエネルギーのことを東洋思想では「相克」と言います。
そのいずれもがもつれあって「能登半島」のエネルギーとなっていた。ところがおそらく「封じ込め」の意識が強くなりすぎてバランスが崩れてしまったため、両者の均衡を保つために、「龍体エネルギー」の意識によって今回の一見「災害」その実「自然現象」が起きているのでは、というのが私の中に浮かんできていたもう一つの意識です。
新潟で液状化が起きたと報道されました。その場所の地名は「弁天」。元々「弁財天」が祀られていたところをつぶしてビルや商業施設をつくった土地らしいのです。
「龍」「大蛇」と同じ意識とされるのが水の「カミ」弁財天です。弁財天は「瀬折津姫」とも同じエネルギー、同一神とされているそうです。
これらはすべて私たちが認識しやすいように「記号化」されていますが、どれも人格神ではなく「意識概念」であり「システム」です。「大蛇」と言っても私たちがイメージするあの「蛇」ではありません。あえて「カミ」という言葉を使うとしたら「宇宙根源神」でしょうか。これは「いま」の私の意識です。将来的にまた異なる概念が生まれることもあるかもしれません。
私たちの世界は長い間、「有=1=生」と「無=0=死」のいずれかという「二元論」の中で営まれてきました。
ところが2024/01/01、それは「有」であり「無」でもありと言った「0」と「1」が同時に存在しなおかつそれがもつれる世界、それを「一元論」と呼ぶそうですが、そこにシフトした、というのが私の中に浮かんできた三つ目の意識です。
2011/03/11の東北・関東における太平洋岸「地震」を受けて2024/01/01の日本海沿岸能登半島「地震」があった、そのいずれもの存在のお蔭で、この「龍体列島」が本来のエネルギーをもつ、本来のにほんと呼ばれる島に戻るための「破壊と再生」がもつれ合いながら進行しているのではないでしょうか。
すべては「ひとつ = 本来の〇」に戻るためのステップ。
それが私たちの肉眼によるミクロの視点だと大変つらい、人々の自然への畏怖が現象化したともいえる「大災害」。
マクロの視点だとやっと「ひとつ」の「〇」がみえはじめて来た。本来のあるべき姿への回帰の胎動ではないか、と思えました。
余談になりますが、2016年に起きた熊本地震。この時茨城県の南部や北部でも何回も地震が起きていたそうです。そのエリアはこの「龍体列島」の脊髄にあたるのでは、としている説があるとのこと。
そう考えると、本来の「〇」を取り戻そうとする「龍」エネルギーのめざめは段階を踏んで、ということになります。一度に目覚めたらあまりにもの大混乱になる。それさえ「龍」意識、システムのはからいなのかもしれません。
愛猫・海・かいは私にとって特別すぎる存在でした。
その海・かいの月命日が「10」の日だったということにあらためてこの世界のシステムの完璧さを想わずにいられません。
海・かい、は私が当エッセイの内容にたどり着けるように導いてくれた。その「死」をもって。
海・かいは「死んだ」、同時に「生きている」、この「宇宙」で。
「東日本大震災」の時は「人工地震説」に流されていた人たちが少なくありませんでした。私も友人から聞かされ、被災した恐ろしさもあって自分のおさまりどころをすっかり見失っていました。
今回もまた「人工地震」説は流れました。すでにそこから「卒業」した人も多いのではないでしょうか。
ということはすべてを包含した「ひとつ=本来の〇」への扉を開いた人が少なからずいるのかもしれません。たとえ、それが「まだ」だとしても、そう遠くない未来にその時が来ることを確信しています。
いま、私にできること。
地に足つけて、私の直観を言語化すること。
2024/01/10 海・かいとともに。
海・かいは私であり、私は海・かいであり。同時に海・かいは私ではなく、私も海・かいではなく。
※ 当エッセイ、文章が「バラバラ」です。
いつものことです、海・かいがはりきるとこうなります。
これは何か「エンティティ」のしわざ ?
おそらくそれは卒業。
もうそれら「外」の存在に頼る必要はなくなりました。
ちなみに海・かいの月命日は夫の月誕生日と同じ日。海・かいの月誕生日は私の月誕生日と同じ日。
海・かいははじめから「生」と「死」のもつれの存在だったようです。私の意識がようやく「きょう」そこにたどり着きました。