「火事」が相次いでおきています。
そもそも「火事」にはどんな意味があるのでしょうか。
私たちの肉の眼からみると、「火事」が起きた場合、すべての「消滅」というように感じられないでしょうか。そこにあったもののすべてがそこで「リセット」される、というように。
この概念はアメリカの言葉を借りるなら、「キャンセル・プロモーション」と呼ばれるようです。
そう、そこにあったものの「歴史」をキャンセルするという意味。それらは存在しなかった、と外側に対して仕向けたい場合のプロモーション。
では、「火事」を能動的に起こす場合、そこにはどんな意味が含まれているのでしょうか。
「消去」「隠滅」という流れが浮かんできましたから、その意味で「証拠隠滅」という「キャンセル・プロモーション」が始まっているのでは、と捉えられます。
なんでも「火事」による「キャンセル・プロモーション」は火を神聖視することから「不浄なものを焼き尽くし清浄にする」という捉え方をする場合もあるんだとか。
「不浄なもの」と「清浄なもの」、ここに二元論が成立しています。
ということは、「善悪二元論」の思想に基づく拝火教「ゾロアスター教」の流れによる宗教的儀式によるものに近いのかもしれません。
そういえば私も以前は「浄化」のために家で「セージ」を焚いていた時期がありました。
いまは卒業。好きな香りのお香を焚いて時々気分をリフレッシュさせる程度です。よくよく考えてみるとこれも「浄化」儀式の名残りとも取れなくはありません。
もしかしたら三次元において「火」を活用する場合、その多くは「穢れしものの浄化」の意味が強いのでしょうか。
ではこれを多次元的に捉えると。
そこにある突出しすぎたもの、本来の「それ」ではないものや現象をまず「取り払う」「焼き払う」。同時にそれと同じ量の今まで隠されてきたもの ( 本当は「隠れてきた」)、伏在させられてきた ( 本当は「 伏在してきた」) 多次元レベルにおけるエネルギーを引っ張り上げて、本来のありかたへの均衡バランスを整える。これが同時に行われているのでは、と感じました。
よく言われる「破壊」と「再生」。けれど「破壊」だけでなく「再生」だけでなく両者が同時にもつれあう感じでとりおこなわれるのが「火事」のもつ多次元的意味なのではないでしょうか。
「火事」を災害と捉えるのは、私たちヒトの視点、ミクロの視点。
「火事」は「火」を使った「カミ仕組み」のひとつであって、それは必ずこの地球における何らかの新しい創造を含んでいるというマクロの視点。
ミクロの視点だけでなく、もちろんマクロの視点だけでもなく、両者の視点をもってこの地球の「営み」が進んでいるのかもしれません。
この手の考え方をすると、「火事」=「悪いこと」「災害」「被害」という視点が薄くなり、「火事は悪いことでもあり良いことでもあり、同時に悪いことではなく良いことでもない」といった「フラット」な意識にたどりつくことができます。するとそもそものところのベースとなっていた「穢れしものの浄化」という「二元論」から超越することができるようになります。
先に出てきた「拝火教」とは実は「石油文明」の象徴ではないかとする説を目にしたことがあります。ということは同時に「物質文明」「拝金主義」の象徴でもあるのかもしれません。
そんなことを踏まえ、いま、自分自身が「火事」の当事者になってしまったら。
まず、現象的にできる対処法、対応を考えます。
その時に気が動転しやすいので「ちゃんとおさまるところにおさまる」と 自分自身に言い聞かせます。
その上で、「火事」に「対処」。
火がおさまって、後片付けなども終わったら、そこで、「今回の均衡バランスのメッセージはなんだったんだろう」と考えます。
視点をミクロからマクロに変える、自分自身の意思で。
そのメッセージを紐解く行為をするうちに、すでに私たちの「未来」が始まっているのではないでしょうか。
古代エジプトでは「死は生の中断に過ぎず」という死生観があったそうです。
「火事」によってすべてを失った。それをもし「死」の状態だと仮定するのなら、それは次なる「生」へのステップにほかならず、本当は死んだように見えている新たなる生命そのものの姿をあぶりだしているものなのかもしれません。
目白の田中邸焼失についての多次元的メッセージ、個人的に浮かんできたこと。この場合、「田中角栄 (敬称略 )」という「イコンまたはアイコン(「記号」のような意味)」」の意味を踏まえながらですので、現象面に対する私自身の感情は横においといて、ということになります。
ご理解の上読み進んでください。
□ 人間の力による「列島改造」が突出しすぎてきたのでこの「母子里」の本物の「母」による「列島再生」「列島回帰」「列島リ・スタート」サイン
□ 行き過ぎた金権政治の「再生」、本来の政治の「リ・スタート」サイン
□ 「目白」を長い間守り続けてきたの渡来の「神様」から「本来の母子里の水神 = 大蛇 = 龍」エネルギー、システムへの移行、再生サイン
□ 中国共産党・江沢民派との太いパイプ「リ・セット」のサイン、 新しい中国との関係「再生」サイン
これだけ大きな役割を果たしてくれていたのがアイコンとしての「田中角栄元首相」ということになります。あくまでも「いま」の私の個人的捉え方です。
当エッセイ執筆途中で愛犬・宇宙・そらとお散歩に行きました。
そこで二羽の「メジロ」に遭遇。
二羽、というところに意味がありそうです。
今回の目白の田中邸焼失という現象、その他各所で起きている「火事」についてあくまでも私見ですが。
「お金」と一体化した「神的存在 ( 現人神 )」による「政治」の「人工的インフラ整備」「国造り」の時代のリ・セットでは。
もしかしたら、「この島本来のカミ意識、カミシステムによる本来の国造り」が同時に再スタートしているのかもしれません。
もちろん前者があったからこその「いま」です。
2024/01/01。地震発生とともにそのことが「直観」として浮かんできていました。
地震や火災による多くの「被害」が肉の眼にうつっている段階のため、あえて執筆せず。
それらは「1」と「0」に関係しています。明日、「10日」に執筆予定です。
※ 当エッセイは私の「直観」と「直感」のもつれによってできるだけ多次元的視点を取り入れて執筆しているものです。
既存の渡来の「神」概念については「神」、本来のと思える神システムについては「カミ」と使い分けをしています。
なお、確信を持てない内容の文章を一部削除しました。