私はもう いじめられない。
私はもう 差別を受けない。
私はもう 被害を受けない。
けさ、オレンジ色の蝶々に遭遇した。
ネットで調べてみると、ツマグロヒョウモンという種類らしい。
雌はド派手で雄は地味。私が遭遇したのは雄だった。
なんでも元々は南方系の蝶々だったらしく、1980年代までは近畿地方以西でしか見られなかったんだとか。
確かにきのう遭遇したゼブラ柄のアゲハ蝶と比べると「南洋チック」な匂いがする。
に記したように私は記憶はないけれどおそらく自分のルーツは南洋系じゃないかと感じている。
オレンジ色は以前は苦手だった。
最近、オレンジ色をみるとこころが動くのを感じる。
そういえば先日、どこかで縄文の昔、この母子里の夕焼けの色は私たちのこころを温かく包み込んでくれた、というような話を目にした。
南方 ? 夕焼けの色 ? オレンジ ?
前エッセイ
で私は【「宮古ブルー」とは、「縄文ブルー」、ひいては「シリウスブルー」のことなのではないか。】と記している。
そもそも南方系に生息していたオレンジ色の蝶々は、私の過去生の宮古島での記憶なのか、それとも縄文の記憶を呼び覚ますためにあらわれてくれたのだろうか。もしかしたら、シリウスには「ブルー」と一対になってもつれるような「オレンジ」の何かが存在したのか。
さて、冒頭の、
私はもう いじめられない。
私はもう 差別を受けない。
私はもう 被害を受けない。
これらが浮かんできた理由は、そう、私の意識はもう「男性・男制」社会を後にしているからなのかもしれない。
イジメ、差別、加害。
これらは相手を敵と認識することによって、敵を自分より「下げる」目的で行われるもの。いわゆるマウンティングのひとつ。同時にストレス発散行為のひとつ。
私たちは敵ではなく、お互いにライバルだったりパートナーだったり、の間柄だということをやっと思いだした。
以前だったら、「イジメられた」「差別を受けた」「被害を受けた、被害者だ」と感じていたことも、「何かを乗り越えるためのパートナーがあらわれた」「方向は違ったとしてもお互いに前進するチャンスをもらっている」と思うことが自然にできる世界が視えてきた。
彼らは、私たち自身を成長させるために大いなる存在、宇宙根源神エネルギーがわざわざ私たちに手向けてくれた「プレゼント」だったんだ。
私たちは一人ひとりすべてのいのちが宇宙そのもの。
ということは私たち自身が自分に手向けた存在。
自分が「いま」この時前進するのを後押しするために、ベストのタイミングであらわれた「もうひとりの私」。
だったら、受け身になって、「イジメられた」「差別された」「被害を受けた」と加害者ありきの被害者を演じる必要はなくなるのだろう (もちろん、私たちの顕在意識は演じている気はさらさらない、確かに「イジメられた」と感じているのだが )。
過去に「私をイジメた人」「私を差別した人」「私に被害を与えた人」は私自身そのものだったということがわかったから。しかも絶妙なタイミングで助け舟が差し出されていたのだから。
前々エッセイ
は本当だった。
これを伝えるためのオレンジ色のツマグロヒョウモン。
あらわれたのが「雄」だったということに意味があるのだろう。
私の中の「男性性」が変容のエネルギーを携え、「少しだけ成長したよ」と私の中の「女性性」にアプローチしてくれたのかもしれない。
お互いにお互いを包み込み、かつ補完し合う関係。
◇ 参考
※ 2023/10/21、わが街で季節外れの花火大会が開催されました。
その時に私は「きょうは私の独立記念日だ」と感じていました。
何からの ?
男性意識優位の極の「男神」社会からの、だったのでしょうか。
きょうなぜか朝からお腹が壊れまくり。
破壊と再生のサイン。