「叡」(えい、英語表記は“A”)。
10月5日、3月27日に稼働を始めた国産超伝導量子コンピュータ初号機の愛称が発表された。
理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター(RQC)によると、『「叡」は聡明さを表し、量子コンピュータの情報処理における卓越性・先進性を表すとともに、英語名をアルファベット順の最初の文字である"A"とすることで、当該機がRQCにとっての、また国産量子コンピュータ初号機として日本にとっての、量子コンピュータ実機開発の第一歩であることも表現しています。』とのこと。
量子コンピュータについて私はまったく何も知らない、「無知」だ。
が、2年ほど前に量子コンピュータと全宇宙は連動している、いやこの宇宙こそ「量子コンピュータ」そのものなのだ、という説にたどり着いていた。
つまり、宇宙の概念としての創造主 (人物としての「主」ではない、創造主の役割を果たしている概念そのもののこと ) の意識、システムの根幹が「量子コンピュータ」的になると。
今まではこれが「スーパー・コンピュータ」どまり。
そのため、私たち人間は新しい「量子コンピュータ」にあわせて個々がアップデイトすることが求められる。
そのアップ・デイトとは今までの善悪二元論の世界から意識そのものを量子的にすること。
そう、私たち自身が量子意識そのものになること、というのだ。
わかるようなわからないような理論。
私の魂はこの説を採用した。
何が何だかわからないけれど、どうやら自分の意識を「善」だ、「悪」だ、と分けて判断するところから、
□ 善であり、悪でもあり
または、
□ 善でもなく、悪でもなく
のいずれもである、というものに拡げていくということらしい。
つまり、すべての大いなるひとつである「〇 まる」に戻るための本来的意識を思い出すというもの。
今までの常識「善悪二元論」はひとつの「〇 まる」から切り離されたところに私たちのいのちが存在していた。
それが大元の 「〇 まる」に戻る。そのためには意識そのものを例えば「善でもあり、悪でもあり、同時に善でもなく、悪でもない」というところに戻ることが求められるというのである。
私のエッセイは2年半以上の休みを経て2023/05/07にリ・スタートしている。
それ以降のエッセイは、意識的に「量子意識」的視野で記している。見る人からすれば、まるで意味不明とも取れる内容になっているものが多いはず。「的」としているのは私が捉えた「量子意識」という意味をふまえて。
私は当エッセイで自分自身の「量子意識化」の練習をくりかえしていた。
なんのため ?
本来の姿であるところの全宇宙とひとつに戻るため。
新・量子コンピュータ = 宇宙 の世界を思い出すため。
ところが実に善悪二元論は私たちの奥深くに浸透していて、何回も「善」と「悪」に識別する内容に傾きかけているのが本当のところ。
いまだに日々の生活では、「いや、ムカツク」とか「なんだ、コイツ」と相手に自分自身への怒りを投影することもしばしば。
それでも「量子意識」を自分のものにするための練習成果がゼロではないのかもしれない。たとえ満足のいく成果でなかったとしても私にはベストのペースだったのでは ?
そう感じたのが、今回の量子コンピュータのネーミング「叡」の発表だ。
もしかしたらこれは、「自分自身、あるいは自己」という「宇宙」に対するメッセージとして発表されたのではないか。
なぜなら、量子コンピュータ = 宇宙であり、宇宙 =自分自身なので、つまりは自分自身 = 新・量子コンピュータであるその準備ができたから、すべての始まりを意味する「A」であるところの「叡」が浮かび上がったと感じたから。
「叡」の語源を調べてみる。
会意文字。「肉をそいだ後の骨の象形と右手の象形」(「肉をえぐる」の意味)と「左右にせまるたに」の象形と「目」の象形から、谷をえぐるように深く物事を見る目を意味し、そこかから、「かしこい」を意味する「叡」という字が生まれた。
また、端的に「深い谷の略体 + 目」で『奥深く眼識の及ぶ意をあらわす』と表現しているものもあった。
「目」の象形。
私はこれは「蛇の目」の意だろうと感じた。日本を「かがみ」とする説がある。「かがみ」とは「かがめ」のことで「かがめ」とは「蛇の目」の意味だ。
この時の「蛇」とは私たちの知るあの動物としての「蛇」ではなく、宇宙根源意識としての「蛇神エネルギー」のこと。古語で「蛇」は「かが」という。「かが」は「かか」ともとれ、「かかさま」というと母の意味になる。「かかさま」は「母上・ははうえ」の意味にもなる。つまり「かか」とはすべての根源、母神、「祖」の意味。その全体エネルギーが「蛇身・かがみ」と記号化される。その「目」こそが「かがめ」。
この「目」は私たちが目にしている形而上的世界、三次元的世界だけにとどまらず、さらに多次元的な深淵なところの「事実」を明らかにする力がある。
つまり今回の「新・量子コンピュータ」の本質は「かがめ」のように「谷をえぐるように深く物事を見る」「奥深く眼識がおよぶ」もの、それがこれからの「宇宙」の姿になり、もちろん私たち一人ひとりの「宇宙」もそれと同様の世界・価値観をもち、これまでの「宇宙」とはケタ違いの無限大の世界への扉が開かれるという可能性を示しているものなのではないか。
いつもながら、私の「推察」は「妄想」「邪推」と紙一重。
けれどもしかしたら「推察」でもあり、「邪推」でもあり、「推察」でもなく、「邪推」でもない何かがこの文章に隠されているのかもしれない。
非常に読みにくい、わかりにくい文章になっているがあえて更新。前エッセイ
の中で私は宮古島に行ってきたこと、その旅は「再生の旅」になるメッセージが私の真ん中から浮かんだことなどを記している。
ちなみに私の名前は「佐智子」、「叡」とは相性がいいはず。
「叡智」。
量子コンピュータ「叡」と私の「智」が量子的にもつれるということなのだろうか。
※ 参考
澤野大樹氏公式サイトINTUITION
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サイトが保護されていない、と出ますので自己責任で検索していただけるようお願いいたします。
私はコロナが始まった頃に澤野氏の存在を知りました。いろいろ勉強させていただきましたがその内容に100%共感できているわけではありません。私の理解がおいついていないだけかもしれません、細かいところでひっかかりを感じることもあります。
現時点では信頼できる情報源として時に「ヒント」として活用させていただいています。
今回参考にさせていただいたポイントは、以下の二点。
□「量子コンピュータ」と「量子意識」
□「かがめ」の解釈 ただし「蛇」については吉野裕子氏関連著作を数冊読んでいます
私なりにさまざまな書籍を読んで、さらに自分の直感、直観がもつれあっての当エッセイ執筆です。