私はリゾートが大好きだ。
海からの風、潮の匂い。
音楽もラテン系だったりボサノヴァだったりを聴くと妙に和み、馴染み。
多分私の前世はどこか南の島の、実は昔から感じていたのは「酋長の娘」だったんじゃないかと。
【い~ろは黒いが南洋じゃ美人 ♬ 】
突然浮かんだので調べてみる。
これは「わたしのラバさん」が歌い出しの『酋長の娘』(しゅうちょうのむすめ)という歌。なんでも1930年(昭和5年)にレコード発売された昭和のコミックソングだそうだ。
歌詞は、ミクロネシアで島の酋長(首長)の娘と結婚した実在の日本人(高知県出身の森小弁)がモチーフとなっているという。なるほど、
サイパン、わがこころの故郷 ~ 日本に浸透した「仏教」という名のキリスト教
で記したように、私はもしかしたら「ミクロネシア系」なのか。
ミクロネシアと言えば大日本帝国の戦場となったところだが、そこには「日本」にはない真っ青な海がある。
と思っていた。
ところが、もちろんミクロネシアはアジアではない、東洋一美しい白砂のビーチが宮古島にあった、そう「東洋」とはどこまでをさすのか、ミクロネシアは南洋だから東洋ではないのか。
頭がグルグル回り文章が変だ。なぜなら私の脳は多動性の傾向がある。一説によると動くのは「脳」ではなく「ハート」らしいという考え方もあるようだ。いずれにしても……。
そう、ここではじめて「宮古島に行ってきた」という話につながる。
世界屈指の透明度を誇るビーチが数多く存在し、「宮古ブルー」の名前で知られる宮古島。長く白い砂浜と透明度抜群の水で東洋一とも言われるビーチの名は「与那覇前浜(よなはまえはま)」ビーチ 。
そこそこのリゾート巡りを楽しんだ経験があるけれど確かにこのビーチの白砂は圧巻。
「東洋一」なんて大仰な枕詞があるところなのに、ビーチ自体は庶民的。マリンスポーツがいろいろ楽しめるけれど、もしここがグレーの砂浜だったら房総の海と言ってもいいんじゃないか、くらいの敷居の低さ。
今回は視察がてらだったので、このビーチは「見学」程度で通り過ぎさせてもらったけれど。
気に入った。というか大感動。
こころの中で「サイパン、ごめんね」。
サイパンは私のこころの故郷でもある。
何もない、海しかない、海がある素朴な島。その海はただただ壮大で、あれだけの海があれば豊かに暮らしていけるだろうと思うけれど、実は島の生活は豊かではない。物質的にみると。けれど人のこころは豊かだと信じている。
近代社会における「豊かさ」だけが「豊かさ」ではないはずだ。
サイパンには底知れない力がある、と勝手にそう思い込んでいる。
「今度行くとしたらやっぱりサイパンだな」
毎回旅先の候補の筆頭にあがるけれど、今回はなぜか「宮古」だった。
「宮古」に確かに呼ばれた。
羽田から宮古島に向かう飛行機の中で突然浮かんだのは「再生」の言葉。
「今回の旅であなたは再生するのですよ」
明確な概念として浮かび上がった。
泊まったホテルは大開発のもと創られたリゾート・シティの一画に位置する。自然を破壊して創ったんだから自然じゃないじゃないか、の声もあるかもしれない。
それを行ったらゴルフ場だってそう。
自然を破壊して創造した「偽の自然スタイル」かもしれない。
それでもリゾートの前に広がる、エメラルドの色彩を放つ大海原は本物だ。
またこのリゾートの開発コンセプトに「自然との調和、共存を大切に整える」というものがあったらしい。
そのお蔭なのか、鳥たちが羽根を休める姿はさながら「野鳥の楽園」のよう。
さらに植物の種類は250種強だという。
季節は晩夏から初秋といえるか。
そのため、ハイビスカスはこころもち少なくかんじたが、「アマランダ」「ハナチョウジ」「ランタナ」「ハナキリン」「ブーゲンビリア」「キョウチクトウ」、さらにガーデニングでお馴染みの「日日草」などが咲き乱れていた。
珍しい花の解説は別のエッセイで。
私たちの部屋の真ん前にはゴルフ場の池があった。
そこで最初に目にしたのは、【幸せの青い鳥】と呼ばれる「イソヒヨドリ」。鷺はシロサギもいたけれどアオサギが目立った。
そう、何もかもが「青づくし」。
カラーセラピー的にみるとどうやら「青」は、高次なエネルギーを示す色であり、幸福を呼び込む力が強いと考えられているらしい。
今回の旅はまちがいなく「青、蒼、藍、碧」といったさまざまな「あお」のエネルギー体によって招かれたものなのだろう。
その正体を旅から戻って知ることになる。
今度行くとしたら「宮古島」になるかどうかはわからない。
が、リピート決定。
やっと「日本」の中にも私のこころの故郷が見つかった。
旅から戻って私には珍しく「宮古島」の風と匂いと色と味と音とひかり、そして波動を反芻する。
◇ 参考