ジャニー喜多川 (敬称略) の性加害問題。
今年、にほんのテレビ「70」年だそうだ。
NHKのホームページにはこう記してある。
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大勢の市民が街頭テレビを見守ったれい明期。そしてお茶の間のシンボルになった高度経済成長期。昭和から平成、令和と時代が変わっても、テレビは「時代を映す鏡」として視聴者の皆様と歩んできました。テレビの歴史的な節目に、NHKでは「テレビ70年」キャンペーンを展開します。
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次に フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には以下の記載がある。
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2023年8月29日、「外部の専門家による再発防止特別チーム」による調査報告書が、ジャニーズ事務所に提出された。
特別チームは、喜多川が(ジャニーズ事務所設立前の)1950年代に性加害を行って以降、ジャニーズ事務所では1970年代前半から2010年代半ばまで、デビュー前の多数の10代を中心とする少年たちに、長期間にわたり、広範に性加害を繰り返していた事実が認められた、と報告している。
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【喜多川が(ジャニーズ事務所設立前の)1950年代に性加害を行って以降】ということはジャニー喜多川の性加害行為もほぼ「70年」にわたっているということがわかる。
さらに週刊FLASH 2023年10月10日号には、
【「ジャニー氏は小学生を膝の上に」NHK本部にあった“蜜月の象徴”7階リハ室 事務所所有ビルでは「大家と店子」の関係に】
の記事 。こちらは70年前からの話ではない。ただし、2000年にはすでにジャニーズ事務所およびジャニー喜多川のポジションがNHKの上を行っていることがうかがえる記事内容だ。
これをみて、ジャニーズバッシングをしているメディアは「後出し」、「保身」だと捉えるのはごく自然なことではないだろうか。
さらに日刊ゲンダイには、
【本橋信宏氏がふり返る「北公次の告白」ジャニーズ性加害を見て見ぬフリしたメディアへの提言】の記事。
『35年前、元フォーリーブスの北公次(2012年没=享年63)がその著書「光GENJIへ」(データハウス)で、ジャニー喜多川氏からの性被害をすでに告発していた。が、当時の大手メディアはその存在を完全無視。同書のゴーストライターだった作家が近著「僕とジャニーズ」(イースト・プレス)でその内幕を明かした。』
時系列を追うと、
〇1950年代 ジャニー喜多川性加害行為をはじめる ちょうど同じ頃日本のテレビ放送が始まる
〇1962年 ジャニーズ事務所設立
〇週刊サンケイ(1965年3月29日号、産経新聞出版局)『“ジャニーズ”売り出しのかげに』、女性自身(1967年9月25日号、光文社)『ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー』
〇1988年 北公次の告発本『光GENJIへ』発刊
〇2000年 ジャニーズJr.による番組『ザ少年倶楽部』のリハ室、NHK7階に常設 (上記日刊ゲンダイ記事より)
〇2023年 ジャニー喜多川の性加害問題が表面化
となる。詳細を追っていけば、今回のことはテレビをはじめ、大手メディアとジャニーズ事務所の「合意」事項ではないかという考えさえ浮かんでくる。そしてその真ん中にいたのは、今もいるのは「広告代理店」。そこに他の権力チームは加担していないのか。
上記、北公次の告発本『光GENJIへ』のゴーストライターであり現作家の本橋信宏氏の言葉にこんなものがあった。
【強制的な肛門性交は、当時でも傷害罪が成立したし、相手が未成年であれば、法改正前の当時でも逮捕案件です。】
この意味を大の大人がわからないわけはない、わかっているからこそ見てみぬフリをし、いまも沈黙し続けている存在はどれだけいるのだろう。
テレビ70年、戦後78年。
戦後の大半が男色・少年愛文化を盾に結果、大きな犯罪が隠蔽され続けてきた国、ニッポン。
私たちは「いま」気づくチャンスをもらっている。
テレビ70年。NHKが展開する「テレビ70年」キャンペーンよりもっとおもしろくて、強烈でリアルなことが現実として起きている。
メディア再建の時。戦後のメディアを引っ張ってきただろう一人のジャニ―喜多川によって与えられた起死回生のチャンス。
メディアは果たして生き残れるのか。
消費者としての私たちの意識が研ぎ澄まされる時がきた。
メディア再建に向けて、私たちも意識によって加担することができる。攻撃、ではなく。
※ 私は社会人になってメディア・グループの一員に加わりました。当時何も知らなくて、「ただ音楽が好きだから」という理由でレコード会社に入りたかったのですが、大学の募集にマスコミは少なく、唯一来ていたある「放送局」に応募。
コネは一切ありませんでした。
入社してからなんて封建的な世界なんだ、と驚きました。当時はセクハラ、モラハラ、パワハラの毎日。それはフリーランスになっても変わりませんでした、つい先日まで。
はからずも「ゴースト・ライター」の仕事もしました。自分で希望したわけではなく、仕事を紹介する、と言われた先のオファーが「ゴースト・ライター」だったのです。
「ゴースト・ライター」時代の悔しさは私の血となり肉になっています。告発、暴露、なんでもこざれ状態です。
もちろんそんなつもりはなく、ただ今回の「本橋信宏氏」の言葉、活動がとても嬉しく、勝手ながら「再浮上の時」というメッセージを感じました。
出版業界には「ゴースト・ライター」という職業が存在します。
他の方はわかりません、私はまるで徒弟制度の中の丁稚ドンのような働かされ方をしました。
それは私が「作家」として著書を上梓してからも続きました。
人権なんて無視。いまは健康を取り戻すことができましたが、一時はトコトン身体も壊しました。
それらはすべて「男制社会マインド」によるもの。
自分の力で「女制社会」「男制社会」の均衡バランスのとれた世界を創り、そこで言葉を発し続ける。
そのために、当エッセイを執筆しました。
メイン・ストリームから外れたところで開く花一輪として。
長い間、踏みつけられ、存在をなきものとされるそんな選択をしたからこその「いま」。
同時に踏みつけてくれた存在がいるからこそ「再浮上」の体験を楽しむことができるのです。