井の頭公園 「 井戸の頭、水源 」 ~ 蘇る水神概念

東京・武蔵野エリアに位置する「井の頭公園」。正しくは「井の頭恩賜公園」。「名所江戸百景」にも描かれた景勝地。

 

ここの「井の頭池」は「井の頭」とあるように江戸時代、神田川上水の井戸の頭、そう、水源の地だったそうだ。

 

なんでも井の頭公園の武蔵野市側にある「御殿山遺跡」からは縄文時代の竪穴式住居遺跡や、旧石器時代の石器や敷石住居も出土していて、江戸時代に限らず「井の頭池」が古くから人間の生活に不可欠な水源となってきたことが窺えるという。

 

つまり、ある意味水の聖地とも言えるエリア。

 

私はこのことをきのうはじめて知った。

 

この辺り一帯は、江戸時代、徳川家康の鷹狩りの場所だったそうだ。鷹狩りの際、ある井戸の水でお茶を点てたところ、ものすごくおいしかったため、家康はこの土地と水をことさら大切にしたらしい。お茶を点てるための井戸としてそこは「お茶の水の井戸」と名付けられた。

 

また「井の頭」という地名は、鷹狩りに来ていた三代将軍家光の命名。お茶の水の井戸が一番おいしいという意味で、井戸の1番、井戸の頭、井の頭、井之頭となったという。

 

これらの豊かで清らかな水は神田川の上水として江戸の庶民のために活用された。

 

家康は風水にこだわり、江戸を京都にも劣らない呪術都市に仕立てた。その中でこの井の頭の水源地は殊更大きな役割をもっていたということだろう。

 

水は生命の根源だ。豊富な水源はいのちと共にそこで生活する人々の日々の営みも豊かにする。 

 

この公園には水神であるところの「弁財天」が祀られている。またそのそばに蛇身人頭の石像「宇嘉神」も祀られ、その信仰が篤かったことも見えてくる。江戸時代の特に江戸市民にとっては、弁財天は信仰の地であるとともに行楽地でもあったという。江戸時代には井の頭池と一帯の林が幕府御用林として保護されていたが、明治維新後は東京府が買収した。

 

幕府から政府へ。

 

おそらくここは大きなポイントだ。

 

私は、

 

日本・にほん新時代の胎動 『 水、蘇る 』 ~ 父権社会の終焉

 

新世界の浮上 ~ 帝国の落日

 

のエッセイを通じて、今までの世界は男神・太陽神のエネルギーによるものだったが、いよいよ両性具有の女神・水神エネルギーの世界へと変わり始めているのではないか、ということを記してきた。

 

インドの国名が「インダス川」に由来する「インド」から「サラスヴァティー川」に由来する「バーラト」に変わるかもしれない動きが起きている。同時に国内でも岸田首相が女性閣僚を抜擢し、女性性の復権の暗示をうかがわせている、と。

 

その中で岸田首相の過去最多タイ5人の女性閣僚に対する「女性ならではの感性や共感力を期待」発言が物議をかもしだしている。

 

これは「女性性ならではの」とすれば本質的意味にはなんら問題がないはずだ。あえて重箱の隅をつついている女性文化人が多いのは、彼らが強く男性性エネルギーに引っ張られているからではないだろうか。この件に特定して言うのならむしろ「何も考えていないようにみえる」岸田首相の方が意識が先に行っているのかもしれない、とさえ感じられる。

 

その一方で、ジャニーズ事務所の再生に向けた一見「解体」案件が大々的に行われていること、そしてそれは「大日本帝国・満洲派」に関するエネルギーの「解体」ではないのだろうか、と思えるという事実。

 

そんな中で今回の「井の頭公園」が突然顔を出してきた。

 

井の頭、とは水源のこと、すなわち「水神」の源のこと。水を司るトップの存在の浮上。太陽を司るトップの存在の時代が長く続き、いよいよ世界は本来の姿に戻ることができる、そのタイミングが「いま」。

 

また明治政府系といえば「勝てば官軍」の太陽神のエネルギーの象徴ともいえる。賊軍と言われた江戸幕府系は水神エネルギーが強かったことを「井の頭公園」の存在が証明している。さらにそこに「縄文遺跡」が重なっているのだから、このエリアは本来的に「水」システム、「水」エネルギーの重要箇所だったのではないかとさえ思えてくる。

 

ちなみに私の「旧姓」は水の神「サラスヴァティー」の暗喩ともとれるもの。

 

神田川の上水、つまり神々エネルギーのうずまいた田んぼに流れ込む川の上流にいる人、そう、川や水のエネルギーのトップという意味を含んでいる。

 

私は長い間「阿部」の姓で自分の本質を隠してきたのかもしれない。

 

もういいのだろう、本来の私の姿を世に顕しても。

 

 

実はきょうのエッセイはかなり苦しみながらの執筆だ。

 

自分の中のエネルギーがパツンパツンで息をするのも苦しい。

 

そんな中での執筆は私の内側で「サラスヴァティー = 弁天、弁財天、弁才天」エネルギーが急速に活性化していることがわかる。なぜなら、水の神は流れるように「言葉」を私たちに与えてくれるものだから。

 

「サラスヴァティー」はインドのブラーフマナ神話では言葉の女神バーチュと同一視され、雄弁、学問、技芸などの神となった。 

 

私の宇宙では宇宙根源神システムおよびそのエネルギーは「太陽」を経て「水」へと流れを変えつつある。

 

 「サラスヴァティー」「弁天、弁財天、弁才天」「宇迦神」、そして「瀬織津姫」。それらはすべて「水」を起源にしたエネルギー概念だ。人格神でも天女でもない。

 

水の惑星・地球の創造エネルギーがなぜ「太陽神」エネルギーなのか、「水」エネルギーの方が自然ではないか。

 

けれど長きにわたる「太陽神」時代を経験できたからこそ、いま、「水神」システム、概念のエネルギーがよりパワーアップして戻ってくることができたのではないだろうか。

 

森羅万象全宇宙の根源は「水」システム、「水」エネルギー。少なくとも私の宇宙では。やっと想い出せた。

 

これらを妄想と一蹴されても構わない。

 

たとえ妄想だとしても「水神エネルギー」はそれを「悪」と断定しないから。「悪」でもあり、「正」でもあり、と排除せず受け容れてくれる。

 

それが「おおいなるひとつ」「おおいなる〇・まる」の本質なのか。

 

 

 

◇ 参考

 

【知られざる東京】井の頭池は「神田川の源流」で江戸の町の水源だった!

 

井の頭公園の歴史を江戸時代から詳しく解説!

 

井の頭恩賜公園 『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

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