日本・にほん新時代の胎動 『 水、蘇る 』 ~ 父権社会の終焉

いよいよ、いよいよ、という感じ、感無量。

 

昨日2023/09/08、新時代の胎動を感じた。

 

現象面として、「ジャニーズ事務所」の記者会見。

 

会見内容については殊更意見を述べるまでもなく。ただ、「動き始めた」「変わり始めた」を実感。

 

そもそも「ジャニーズ事務所」に対して記者などマスコミ陣営の質疑応答ありの記者会見の様子が生放送で行われること自体が驚きだ。もちろん会見内容またはジャニーズ事務所がどこに向こうとしているのか、部外者の私には関係ない。関係ないというか、関与はしていない。

 

観察はしている。

 

 

性加害という「犯罪」を社会全体が容認してきたことが明らかになった。それはこの日本社会が産んだ犯罪だ。

 

性加害行為は大昔からあった。この国のひとつの文化として定着していた。そしてそれは世界も同じ。

 

それが「犯罪だ」との共通認識をもてたことは大きい。

 

そもそも「性加害」という犯罪に無縁で生きてきた人はこの世界にいるのだろうか。

 

「噂では知っていました」、それに関わる多くの人がそれを口にするのなら、それは「噂」ではなく限りなく事実に近い出来事として常態的に行われていたという事の証ではないか。

 

ファンとされる人、消費者とされる人、それらの人さえも、「私も昔からその噂は知っていました、暴露本も出ていましたし」。

 

多くの人が今回の犯罪の生き証人とも言えなくはない。

 

私自身はジャニーズにはそれほど興味がない、が数年前、その手の暴露本情報をネットで調べつくして知っていた。

 

「そういう事実があったのか」

 

けれどそれに対して何か行動を起こすこともなかった。

 

しかし、それらの想いがいまひとつにつながり、重なり、「性加害は犯罪」という認識をやっと持つことができた。それが国民の何割なのかはわからない。

 

けれど「ゼロ」ではない。比率は低くてもそういう認識に息が吹き込まれた。それだけでもすごいことだ。

 

そもそも「性加害」というものは男性優位社会ならではの現象と取れなくはない。女性性主権の世の中であれば、性を搾取するという発想そのものが生まれないはず。

 

女性性には「不足している何かを他者から奪って補う」という認識がないから。

 

女性性は「あふれんばかりに満ち足りた何かをみんなで分け合いましょう、共有しましょう」と考えるものだから。

 

このあと、現実的に「当事者」の方たちのケアがどう進むか、それは遠くからではあるけれど私たちにも見守る義務と権利はあるかもしれない。

 

いまもなお、「告発者は嘘をついている」とか「ジャニーズ・アンチが企てた謀反だ」的発想を続けることは「流れ」に添っていないので苦しいのではないか。もちろん逆流でもがき続けるという選択をしている魂もあるかもしれないので「是非」「善悪」を言いたいのではなく、流れはもうできてしまっているという事実を受け止めた方が自然なのではないだろうか。

 

人生の課題はそれぞれなので、私が誰かに自分の考えをおしつけることはない、できない。

 

 

水が流れるように時代も流れていく。

 

時は変わった。

 

父権社会の最後のあがき。もしかしたらそれさえ、私たちへのGiftなのかもしれない。

 

この歴史的大事件をどうやって自分の糧にするのか。その自由は一人ひとりに与えられている、「選択の自由」。

 

女性性はずっと抑圧されてきた、その状態を自分自身で選択してきた、いま再び、より強固な「女性性」として浮上するために。

 

そのための「父権社会」「男性社会」「男制社会」だったのだと改めてこの流れを演じてくれている「演者」たちに、ありがとうの想いを強く抱く。

 

日本・にほん、とは「二本」の意味だとする説がある。さまざまな解釈があるがもしかしたら「女性性と男性性」が一本にもつれ合い、メビウスの輪になるように「にほん」という「記号」が設定されたのかもしれない。

 

そのためには、「男性社会」だけではダメだし、「女性社会」だけでもダメだ。

 

両方があってもつれあい本来の一本の「日本」になる。

 

もしかしたら、「日本」という名称自体統一を目指す「男性社会」の存在ありきで設定されたものだとしたら、この国の名称、記号さえ変わるほどの大きな「変革」がエネルギーレベルで始まっているのかもしれない。

 

フォーブスジャパンによると、『インドで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議を控え、ドラウパディ・ムルム大統領から送られた晩餐会の招待状に、従来の「インド大統領」ではなく「バーラト大統領」と表記されていたことがわかり、国内で政治的な論争が起きている。』とのこと。

 

インドはインダス川、インダス文明をあらわす国名だそうだ。

 

一方、バーラトはヒンドゥー語、どこにあるかわからない、つまり一旦姿を消した「サラスヴァティ―川」文化・文明と関連しているという。

 

一説では「インド」ではなく「バーラト」の表記は、イギリス植民地時代の名残りを払拭することが目的か、との憶測もなされているらしい。

 

イギリス植民地、大英帝国、産業革命、資本主義。

 

これらのキーワードは「男性優位社会」の象徴だった。

 

それらがリセットされる時が来る !?  ことの暗示だとしたら。

 

サラスヴァティ―は弁財天と同格、「水の神」。

 

この時の「神」は人柱、人格神としての「神」ではなく「宇宙根源神意識」、森羅万象全宇宙の根源である概念とシステム、そのエネルギーそのもののこと。

 

サラスヴァティ―復権ということは弁財天復権。

 

日本だけでなく、世界に「水」が蘇る。

 

その前に均衡回復のための作用が行われている。

 

膿だしは汚い何かを排除するためのものではない、新しい本来の何かを手にするためのステップ、プロセスとして前向きな力を持つものだ。

 

いま、背中を押されているのは、実は女性性、そして女性なのではないだろうか。

 

女性が女性らしい本来の母性、女神性を取り戻すために、ジャニーズ事務所が存在してくれている。もちろん男性にも女性性は存在する。

 

共に「女性性」を本来のポジションに戻すための一歩が踏み出された。

 

私は勝手にそう感じている。

 

敵対の時代の終焉、同時に協調の時代の始まり。

 

 

 

 

 

 

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