男性社会の「揺らぎ」 ~ ジャニーズと高野山、ともに新たなフェイズへ【後編】

私はジャニーズはかねがねカルトに近い組織だと感じていた。

 

⇒ 当エッセイは『男性社会の「揺らぎ」 ~ ジャニーズと高野山、ともに新たなフェイズ【前編】へ』の続きです。【前編】を読んでいただいてから【後編】をお読みいただくと内容の理解がより深まると思います。

 

メンバーやスタッフにとってはジャニー喜多川は、ある意味教祖さまに近い存在だったのではないか。

 

またファンにとっては「推しのメンバー」との自己同一化が顕著になり、そこに「お金」がからんでくる。彼らにとっては「メンバーを守ること」は「自分自身を守ること」と同一なのだろう。同時に彼ら「隠れ信者」は上層部にとっては絶対に手放したくない存在。彼らは「推し」を通じて「推し」と一体化することで「教祖」に仕えている、という構図が透けてみえてくる。

 

しかも教祖・教団を管理するまた別の隠れ教祖、隠れ教団に相当する何かがあることは想像にかたくない。

 

巧みなシステム。

 

こうしてみると「ジャニーズ」もまた「ジャニー喜多川」という「太陽神」を崇拝する形でひとつの宗教をなしていたと捉えられなくもない。それとも「ジャニー喜多川」の向こうに別の「太陽神」の存在があったか。

 

いずれにしてもその一つの柱とも言える「稚児」「男色」「少年愛」概念とシステムがここへきて明確に「非難」の対象へと変わってきた。

 

はたしていまのこの動きがエネルギー的に「高野山」にどう影響を及ぼすのか。

 

「高野山」にしろ「ジャニーズ」にしろ、女性を排除するところからその柱が組まれている。「稚児」「男色」「少年愛」などは「男性社会」ゆえのシステムだということだ。

 

だから「太陽崇拝」。

 

古来日本では、というか世界的に「太陽=男性」「月=女性」と捉えることが多かった。

 

特に日本では一部の女性神を太陽神の荒魂・あらみたま、とみる節が多かった。荒魂は往々にして「なきもの」として封じ込められたり、「鬼」あるいは「穢れ」として、さらには「悪魔的なもの」として忌避されることが少なくなかった。つまり「女性」は「太陽である男性」に劣る存在として設定され続けてきた。

 

その一方で本当の太陽は生命の根源として三次元的にひかり耀くものではなく、もっと深いところで精神的に私たちのいのちを支えているものなのではないか、という説がある。

 

私たちが「太陽」としてみているあの「太陽」よりさらに強く荒々しい力をもった「太陽 (と記号化される何か)」が存在しているのではないかということだ。

 

もしそうだとしたら「太陽神」「太陽崇拝」の「ジャニーズ」と「高野山」の中にすでに変化の波が押し寄せていると考えてもおかしくはない。その波の正体こそ、私たちが目にしたことのない本物の太陽なのではないだろうか。

 

その本物とは、おそらく「男性神、男性性」を含み、超越しところのものではないか。

 

これが「いま」の私の推察だ。

 

現在の「ジャニーズ」がらみのうねりは日本の芸能界だけにとどまらない、大きな波及効果をもたらすものなのかもしれない。

 

もしかしたら、明治維新以降のこの日本のシステムを抜本的に変えるほどの大きな力。あるいはさらに時代はさかのぼり、この日本と呼ばれている土地に「男性社会」が構築されたその時にまで。

 

私が前々エッセイ 『「勝てば官軍」時代の終焉 ~ すでに両者の「量子もつれ」』と前エッセイ『サイパン、わがこころの故郷 ~ 日本に浸透した「仏教」という名のキリスト教 』、を記したのには、理由があった。

 

特に『「勝てば官軍」時代の終焉 』『日本に浸透した「仏教」という名のキリスト教 』のフレーズと当エッセイの『男性社会の「揺らぎ」』は互いに呼応し合っていることがわかる。

 

私たちの、私自身の「宇宙」の中で、均衡に向けた「量子もつれ」によるうねりが確かなものになっているということだろう。

 

「太陽神」と記号化されているものともつれるもうひとつの「太陽神」の存在をはらみながら。

 

 

※ 当エッセイは2023/08/31にほぼ執筆していましたがひっかかりがあり、翌日9/1に加筆修正をしての更新になりました。そこでわかったのは以下の事実。

 

『令和5年(2023年)は弘法大師空海さまがご誕生されて1250年の記念の年にあたります。』

 

なるほど、あくまでも個人的推察です、弘法大師の得意とする「結界」の効果はもしかしたら「1250年」という、期間限定という意味なのではないでしょうか。多次元レベルでみると。いえ、多次元であれば「1250年」という数字さえ関係ないのかもしれません。「1250年」はあくまでも三次元レベルでの解釈。「125」を足して「8」。「1250年経つと元のひとつに戻る、それを数字であらわすと8」。「8の意味、森羅万象全宇宙」「0がついているのはひとつの〇に戻る」の意 ?

 

というように多次元的かつ私の妄想上のお話。断言するものではありません。

 

もしかしたら、ですが今年、弘法大師の教えや言動における「何か」が開示され始めるかもしれません。

 

その一つが「ジャニーズの性加害問題」としてあらわれたのか !?

 

これが「オカルト」的世界観の参考例です。

 

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る