先日の高校野球の決勝戦。私はどちらのチームにも思い入れはない。同時にアンチでもない。
ただ、あの決勝戦はある意味「情報開示」だと感じた。野球ファンでもスポーツオタクでもない私の個人的考察。
優勝「慶応」、準優勝「仙台育英」。両チーム以外の選手たちも含めての健闘ぶりに日本中の人が胸を熱くした思いだろう。ただし今回は選手たちのことは一旦横におき、その他のところで目だった言動について話していきたい。もちろんどちらもに肩入れの意思はない。
まず「仙台育英」の須江航監督の言葉。
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「2年連続で決勝の舞台に立てるなんて、奇跡。このチームに負けるなら仕方ない。不思議ですね、もっと悲しいかなって思っていたが、慶応さんをたたえたいなって心から思う」。あまりにも潔く、敗戦を受け入れた。
前例踏襲しない新時代のリーダー 仙台育英・須江航監督 夏の甲子園 より
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以下は仙台育英創設者故・加藤利吉氏の言葉。
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「俺たちは会津軍だ。卑怯な官軍をたたきのめせ!」
「お前だって白虎隊やりたいだろ。会津の者は、誰も官軍なんかになりたくないんだ。あんな卑怯者になりたくないんだ」
「暴力でいじめる奴は嫌いだ。俺はあいつらとの戦争ごっこはやめるから、お前もやめろ。戦争なんか、良くないよ。俺はな、卑怯者なんかいない、争いのない世界を作りたいな」
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確か須江監督はこんな言葉も口にしていたはずだ。
「人生は敗者復活戦」「グッドルーザーであれ」
それらの言葉を聴いた時、咄嗟に上記故・加藤氏の言葉が浮かんできた。加藤氏の表現の方が直接的で攻撃的だ。それは時代を反映してのこと。けれど両者の根本には同じ柱があると感じた。
それは「暴力的に相手をねじ伏せて得る勝利よりもたとえ結果的に負けを喫したととてもその負けそのものを潔く受け容れることのできる懐の深い人間になろう」というもの。
それは言葉をかえれば『道理にかなわなくても勝った者が正義となり、負けた者には不正の汚名がきせられる意で、勝敗によって正邪善悪が定まるたとえ (コトバンクより)』という意味の「勝てば官軍」を意識してのことではないだろうか。これは戊辰・ぼしん戦争の際の薩長軍と幕府軍の戦いから生じた言葉だ。
ちなみに「仙台育英」創設者故・加藤氏は会津若松出身、直接的ではないが幕府軍・賊軍の流れを組む。
一方「慶応」は慶應義塾大学の付属校。慶應義塾大学は中津藩士の福澤諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に1858年(安政5年)開校した「蘭学塾」を起源に持つ大学である(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。その校風というところでは「蘭学」「医療」を柱として「官軍気質」を引き継いでいると取れなくはない。
「慶応」と言えば日本の「エリート」。もちろん選手とは関係ないし今回の試合にも関係ない。しかしその一方で今回の甲子園での圧倒的声援はマナー違反では ? との声も少なくない。その応援のドンは慶応高校OB団の五輪汚職の高橋元理事だと報道されている。
高橋元理事は「何をしても捕まらない」とある政治家に約束されていたらしい。結果、「五輪汚職」という大きなテーマで昨年8~11月に4回逮捕・起訴され、しかし逮捕から一年たったいまもまだ初公判のメドが立たない、という異例の人物。
彼の生きざまこそ「勝てば官軍」の名残ではないだろうか。
エリート、上級国民と呼ばれた人たちのともすれば行き過ぎた「応援」、一方、選手たちのこころを育むこと、健やかなスポーツマン精神を身をもって体現し、させようとしたリーダーの、指導という名の応援、サポート。
今回は大きな流れでみた「官軍気質」に支えられているだろうチームが「勝組」になった。しかし、世論はそれでもそのOBたちの言動にクエスチョンを投げかけた。
これが「いま」の息吹きだ。
たとえ勝負に勝ったとしてもそのチームが絶対正義であり、絶対善とはなり得なかったことが。
その一方で、相手チームの勝利を称え、こころのそこからお相手を持ち上げることで、結果自分たちのチームの価値まで引き上げてしまったリーダーの登場。「グッドルーザーであれ」、そう、たとえ試合に勝っても「正義」ではないし「善」でもない、同時に試合に負けても「邪」ではないし、「悪」でもないということを万人の前で見せつけた新時代のリーダーの台頭。
スポーツと政治を結び付けたのではない。
スポーツとは本来「健全」なものだ。その「スポーツ」を通じてこの日本に少しだけ「健全さ」が戻ってきたことを私はこころのそこから嬉しく感じた。そういった意味で今年の決勝戦は共に素晴らしきチームの闘いだった。勝者も敗者もいて、お互いがあってこその本大会の意義。
旧勢力と新勢力のせめぎ合い、同時に量子もつれ。
この動きが私たち自身の「大宇宙」「内宇宙」で起きつつあるという衝撃。