マウイ・ラハイナの山火事「私的解釈」~ 多次元への扉

「破壊と再生」。

 

わがベランダのトネリコの木の葉っぱが暑さのせいか枯れ始めています。当時、「誕生樹」だったか「守護樹」だったか、そんな意味合いで迎えたこの木。以来10年以上経っていますが、このような枯れ方ははじめて。

 

幹の力が弱くなっているというより、葉自身による「いのちの選別」が始まっているようで、中には力強くイキイキと緑づいているものもあれば一気に茶色くなってちょっと触れると落ち葉のようになるものあり。

 

まるで一本の木の中で生と死が同時に展開されているようです。トネリコのそもそもの意味合いが「誕生樹」もしくは「守護樹」だとすると、この現象は私自身の生命の死と再生が始まっていることの暗喩ではないかと、生命の神秘というものにあらためて驚かされる思いです。

 

これと同じタイミングでこの地球上で大きなことが起きました。マウイ・ラハイナの山火事です。この災害について、まったくの個人的解釈ですが三次元的視点だけでなく多次元的視点も踏まえてお伝えしていきます。

 

このニュースが流れてきたと同時に私の中にメッセージが浮かび上がって来ていました。すぐに執筆しようか、あるいはこの件は触れないでおこうか。そんなことを考えているうちにきょうになりました。

 

私が感じたメッセージは外からの何者かが伝えてきたものではありません。よく「降りてきた」という表現を使う方がいますが、私の場合はそうではなく、すべて私の内側から浮かんできます。

 

そう、それは私の潜在意識の中の「真実」。いまの私にとってはベストの解釈なのですが、それが絶対的真実であるとか、誰かの考え方を批判するものであるとか、誰かを誘導したいがためのものであるとか、そういうものではありません。

 

あくまでも「私」という宇宙の中から探り出した内容です。

 

「それは正しい」とか「それはまちがっている」とか「何を言ってるんだ」とか、さまざまな感想を抱かれるかもしれません。この件について私自身はどなたかの「ジャッジ」エネルギーを必要としませんので、そのことをご理解いただければ嬉しいです。

 

まず、「ラハイナ」という地名について。こちらを調べてみたところ、

 

〇 灼熱の太陽

〇 残酷な太陽

 

という意味が出て来ました。文字通りとも言える地名だと感じました。さらに「残酷な太陽」については、「物質的太陽の終焉 = 太陽神の時代の終焉」という言葉が浮かんできました。同時に「残酷な太陽 = 核エネルギー」という言葉も浮かびました。この時の「核エネルギー」は三次元的な人工的な「核」のイメージではなく、大宇宙根源意識のエネルギーとしての「核性」というか「核的」な仕組み、あるいはシステム・エネルギーという意味です。

 

大宇宙根源意識とは人格神ではない大宇宙の「創造」や「循環」、「均衡」を司る概念のことを指しています。

 

すなわち、今回の「災害」は「大宇宙根源意識」が全体としての「ひとつ」の「均衡バランス」を整えるための「エネルギー」が物質化、視覚化したものであるという大前提が浮かんできました。

 

今回のことについて「人工」という表現を使っている人たちが多く見受けられます。私自身は「人工」だとは感じませんでした。仮に「人工」だとしても、その大元は「大宇宙根源意識」によるもの。そういう言葉があるかどうかは別にして、一般に言われる「神仕組み」「神工」の一部ではないかと。「人工」もそのうちの一部です。

 

どんな形で起きた災害だとしても、その一番の大元は「大宇宙根源意識」によるものとの捉え方です。

 

ではなぜいま、だったのか。

 

いま行われている多次元的世界大戦の終焉を告げるため。「多次元」としているのは、「三次元」だけではなく私たちの目に視えないところで行われているだろうエネルギー戦争という意味を含めて、です。

 

ではその目的は。

 

ハワイというのは元々「女性原理」の「神」のエネルギーが優位とされているところ。スピリチュアルな言い方では「レムリア」という言葉を使う方が多いようですが、私自身は「レムリア」はいまひとつ響きが少ないのでいまのところは保留。ただし、「地母神」または「女性原理的神」による「女制社会」がベースになっていたはず、ということでおそらく私たちが思い浮かべるところの「縄文エネルギー」と近いものがある島々だと捉えています。

 

一説によると「縄文」エネルギーの社会は「母制・母権社会」「女制社会」だと言われています。なんでも「女将軍」が首長としてまだ「社会」とも言えないような、まるい世界をうまく回していたんだとか。

 

ハワイも「女神」の神話などが多く、おそらくそもそものところは「男制社会」ではなかった、つまり「男神」世界ではなかった。そのハワイと言えども時代が進むにつれ「男神」思想が混入し、さまざまな文明が入り混じり、そもそもの落ち着きどころだった真ん中とは異なるエネルギーに包まれていた。

 

その中心ともいうべき「ラハイナ」のいまのエネルギーを一旦リセットすることによって、元々の女性原理を蘇らせ、均衡のとれたハワイの再生を目指すため、「大宇宙根源意識」自らまるで「核」のようなエネルギーを使って、再生を促したい場所、モノ、コトを優先的に一旦なきものにし、けれど形を変えてバージョン・アップ、アップ・デイトできるように、と今回の「災害」という「現象」を最大限に活用したのではないでしょうか。

 

その過程において私たち人間にはどうしても「痛み」を伴う現象となってしまった。

 

同時にそれは「大宇宙根源意識」の「愛」そのものだということに気づけるようにとのはからいをはらんでのこと。

 

それが今回の「ラハイナの山火事」における多元的私的考察のポイントです。

 

いま、現実的に現地でたくさんの方が苦しんでいてそれに対してしばらくは見守るしかないという立場にあるということは大変つらいことです。その一方で遠く離れているからこそ、その痛み、苦しみも含めてすべて「大宇宙根源意識」からの「愛」というGiftの中だ、ということに気づかせてもらえるチャンスが訪れているのかもしれません。

 

痛みとチャンスによる歓び、いずれものエネルギーがもつれ合っているのがいまの状態。

 

他人事だと思って適当にお話ししているわけではありません。

 

いま、この宇宙は大きなうねりをあげて変わろうとしている。それは私たち一人ひとりの宇宙の中で起きていることです。その「世界」の中で「光と闇」とか「アライアンスとDS」とか「ネガティブエンティティと光側宇宙連合」などの類の二元論、二項対立から抜け出すチャンスが「いま」なのだと。「原罪」というこの地球最大の「刷り込み」から自分自身を解放できる最大のチャンスの時。

 

それを乗り越えるためのトリガーが今回のこの一見「災害」なのだと思えてなりません。私たちに起きているのは、一見「懲罰」のように見えたとしてもその本質は「愛」なのだと気づかせるために。

 

私はこの内容はすべて自分の内なる声として発しました。私自身が「全宇宙」とひとつだったということをかみしめながら。

 

当エッセイにおいて誰かの声を拡散しません。自分の声のみ、です。

 

それでもこの情報が絶対真実ではないことを私は知っています。私の宇宙における現時点での真実ではあっても。

 

 

 

※ 今回は「です、ます」調でまとめてみました。

 

頭が重く文章が想うように書けません。過去の例にならってみるとこういう時はその直後に「大きな変容」の波が訪れてきます。

 

当エッセイは2023/08/17と08/18の二日にわたって執筆しています。

 

二日目の執筆に入る前に「ハワイ王国」について調べてみました。

 

「なるほど」

 

地上の楽園「ハワイ」といえども、古代ハワイにはカースト制度のような「階級制度」があったと言います。またハワイ建国の祖「カメハメハ大王」は西洋の武器を活用してハワイの島々を統一した人物です。

 

その中で「マカアイナナ(平民)」「カウヴァ(奴隷)」とされた人々が本来的に信じていたのは「男神」なのか「女神」なのか。それとも「両方」なのか。

 

ハワイにとっての本当の「地」の民たちの大いなる目覚め、蘇りのための「いま」。

 

「破壊と再生」。

 

破壊の側面はひかりの当て方によって時に「新しいスタート」「創造」「誕生」とみえることがあります。

 

 

 

 

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