2018/06/21 、私はこんなエッセイを記している。
タイトルのせいかこのエッセイは訪問、閲覧数が多い。
前エッセイオレンジ色( ゴールド )のアゲハ蝶、金色蜘蛛 ~ 昆虫たちの波動ダンスでは「金色 =ゴールドの持つ意味」として「女神性エネルギー = 全宇宙の叡智」ではないかと推察した。
きのう、2023/08/08は「8」ダブルの日。まぎれもなく「森羅万象全宇宙」をあらわすエネルギーの日だった。浮かんできたのは「母胎回帰」という言葉。それが「女神性エネルギー」とどう関係するのか。
ある著名人のバックグラウンドを調べているうちに『生長の会』にたどり着く。いままでその名は知っていてもそれ以上の興味はわかなかった。きのうは「調べなければ」と強い想いにかられた。
そうして浮かび上がってきたのは「水子供養、水子信仰」という言葉。以下はあくまでも調べた範囲。事実検証はできていない。
私がたどり着いたデータによると私たちはたいていの場合、「水子をちゃんと供養しないと祟りがある」というような観念を抱いている。ところが現実にはそれ自体が「観念」であって、本来水子の霊が意識をもっているのか、そもそも「霊」という存在になっているのか、実のところは誰にもわかっていないらしい。
簡単に言うと、「水子」という概念は存在する。しかし、そこに「供養」「信仰」という概念を植え付け、政治の道具として、同時にビジネスの道具として仕立て上げたチームがいる。そのチームリーダーが『生長の会』ではないか、というのである。
そもそも水子は祟る存在ではない。その水子を観念的に怨霊化させ、「あなたが不幸なのは水子の霊に呪われているからだ」「水子供養さえすればそれはおさまる」という論法を編み出したというのだ、この国の国体のため、そして政治のために。それを「信仰」として浸透させた。
それによって女性は「子おろし」という罪を背負いながら生きて行く。たとえ堕胎をしていなくても「女性としての罪悪感」というような集合意識の中に引きづりこまれながらもがき続ける。
そうした罪悪感の中で生きる女性は常に「下位集団員」に配置され、一方男性は常に「上位集団員」に配置される。
そう、「水子供養、水子信仰」はそもそも論で「男性理論」で創られたものであり、同時にその理論で構築された社会は「男制社会」ということになる。つまり、男性上位、女性下位というカースト世界構築のための理論のひとつとしての方便として「水子供養、水子信仰」が編み出されたのではないか、ということなのだ。
さらに調べてみると『生長の会』の創設者の思想は日本のスピリチュアル業界の起点、元締めとも言える『大本教』とかなり近い。ということは日本の精神世界では「男性上位、女性下位」というヒエラルキーが柱となっている可能性も排除できず、それは神道などを含む宗教やカルトの世界でも同じ構造になっているのではないかと推察できる。
世界の宗教でも同じ。「信心」が「信仰」へと変わり、さらにその世界が組織化されてピラミッド型をなし「宗教」になった時、女性性はそこから分断され、弾かれる。これこそが「分離、分断の世界」の本質ではないだろうか。
2023/05/07、私はしばらく休んでいた当エッセイをリ・スタートさせたことを筆休め 筆はじめとして執筆した。
その後のタイトルと内容を見ていただくとわかるかもしれない。私は「男性上位、女性下位」のこの構造こそがこの世界の大元の「歪み」ではないかと捉え、常にそれを真ん中へと整えられるようなテーマを中心に執筆し続けてきた。
この世の根幹に「歪み」がある限り、私たちのいのちにも「歪み」が生じるのは当然のこと。
男性はおそらくこれを指摘しない。なぜならそれを指摘することによって、自分たちにとって優位なこの世界の根幹がひっくり返ってしまうから。また女性はその「歪み」の解決方法を「男性理論」に頼っている。「女性」だからこそ「男性理論」を踏まえての「女性理論」を構築できるはずという可能性を秘めて。
男性と女性にヒエラルキーはない、男性性と女性性にもヒエラルキーはない。どちらが「上」でも「善」でもなく、どちらもが同じ価値で同時に存在する。現時点での私の意識のベースはここにある。
私はフェミニストでもなんでもない、女性の権利主張などとは無縁の存在だ。
ただ、私自身の課題として「女性性に徹底的に向き合う」というものがあった。個人的に長きにわたり取り組んできた結果、ようやくそのかけららしきものがみえてきたような気がする。
オレンジ色のアゲハ蝶 ~ キバナコスモス「ゴールドのメッセージ」 の中で私はこう記している。
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コスモスについて調べてみる。
『宇宙の調和と秩序をあらわす花。表シンボルは調和、秩序、美。裏シンボルは芯の強さ』。
放射状の花びらが整然として調和がとれていることから「秩序」をあらわし、同時に秩序を保った完全な体系から「宇宙 cosmos」をあらわすそうだ。
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花の花びらを「花弁」という。「花弁」によってできあがったひとつの丸い花を「花冠」と表現する。花は中心から放射線状に花びらがはえている。そのはえかたそのものが「冠状」になっていてそれは「完全」な形をしている。その完成形を「宇宙 cosmos」という。
そう、花と呼ばれる存在のたいていのものはそもそもが完全な「森羅万象全宇宙」のモチーフだったのだ。その形は「冠 (状) =英語・クラウン = ラテン語・コロナ」。
2018/06/21 花は植物の性器 を執筆した時、私にはまだ「男制社会」における「宇宙」の端っこすら理解できていなかった。
あれから5年、その間に「コロナ」を経たいまの私の意識。女性性と男性性の量子もつれ。それが「森羅万象全宇宙 = 女神性エネルギー」の正体なのではないか。そのエネルギーもつれは「8」の字マークのように無限に続く。
それと同調してダンスのステップを踏むように私は執筆を続ける。
「ほぅら、これって宇宙のエネルギーなんじゃない ?」
まるで蜂が「8」の字ダンスを踊って、仲間に「蜜」のありかをしらせるかのように。
ここで記したことはいまの私が感じることであって絶対的真理ではない。時が経てば、私の意識はまた変わっているだろう。
◇ 参考
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「水子」についてかなり掘り下げた内容の論文です。著者は「フェミニスト」、女性の権利を強く主張するというスタンスのようです。
個人的にそのテーマそのものには賛同できません。そのこと自体に政治的思想が強くうかがえるから。ということは男制社会における権威という存在の影がちらついてみえるから。
今回はあくまでもヒントとしてスポット情報を客観的に活用させてもらいました。
「権威社会」からの解放。