虫が突然目の前にあらわれるとたいていの場合、私たちは「ギョッ」とする。
例外があるとすれば蝶々だろうか。その蝶々でさえも中には「気持ち悪い」と感じる人がいるかもしれない。
わがベランダに金色蜘蛛があらわれた。前エッセイオレンジ色のアゲハ蝶 ~ キバナコスモス「ゴールドのメッセージ」で私はゴールドについてはさらっとしか触れていない。しかもタイトルに「ゴールドのメッセージ」と書くほどの内容は本文には出てきていない。
しっかりつながった。
蜘蛛があらわれた、しかも金色。
蜘蛛には言葉の番人という意味がある。言葉を紡ぐことによって自分自身の人生のストーリーを編むことができる、という万人に与えられた「Gift」の存在を蜘蛛は私たちに想い出させようとしているのかもしれない。
金色についてカラーセラピーサイトで調べてみる。きょう、はじめて遭遇したサイト。そこにはこんな内容が記してあった。
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◇ 金色は豊かさを示す色
◇ その豊かさとは「物質性」から「智慧」「自己」に至るまで、あらゆるものの「豊かさ~価値」を意味する
◇ 金色は「光を放出し、分ける」色。 黄色の「個人」ではなく、「分配者~与えて行く」テーマを持つ
◇ そのためゴールドの「豊かさ」は個人で終わるものではなく、「他者へと分配」するためのもの
◇ 過剰に惹かれると金の「深み」を忘れ、「わかりやすい豊かさ」~「物質欲や名声・地位」という安易な「価値」を欲し、表面的な「賞賛」「ステータス」に流されてしまいがち
◇ 真の「豊かさ」とは物質だけではなく「智」の豊かさを指し、そのいずれもで金色=ゴールドは「叡智」の色となる
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「豊かさを個人にとどめるのではなく他者へと分配する」という内容は今までに気がつかなかった内容だ。
私たちは豊かさを得て、誰かに分配、シェアしているだろうか。
この時の分配とは、自然にあふれだすそんなイメージなのかもしれない。意識的に「与えよう、与えよう」とするのではなく、何かが満ち満ちて自然に周りへもその豊かさが拡がっていくような、緩やかな水紋のような感じ。
そう思ったら、水上の忍者とよばれるアメンボの姿が浮かんできた。スイスイスイ。
アメンボと蜘蛛、私の中では似たようなイメージ。
『アメンボのように確信をもって軽やかに生きなさい、水はしっかりとあなたを支えてくれるから』。
なるほど蜘蛛のメッセージは「信頼して」「より軽やかに」のようだ。この時の水は「人の母」、つまり「ソースという概念」という意味だろう。
もう一つ、「金 = ゴールド」の解釈の中で、「あまりにもそれに執着すると、目に視える豊かさだけに流されてしまう」という点。
前エッセイの中で私はこう記している。
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瞬間的に「ゴールド ?」と感じたのは、もしかしたら前エッセイ 超健康主義と健康不安のもつれは何を生むのか ? の中の「拝金主義からの卒業」と関係しているのかもしれない。
お金 = ゴールド。
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『「金色 = ゴールド」はお金のことだけじゃないよ、宇宙の叡智そのものを意味しているんだよ。お金だけに執着すると真の豊かさとは程遠い生き方になるんだ。あなたにとっての本物の豊かさとは何か、いま一度見つめ直すチャンスだね』
また2023/06/28に執筆した 神秘の作家 ~ 金色蜘蛛のお届けもの の中で残したこの言葉。
『人生は自分を基点にして織り上がります。私たちはみな運命の設計者であり、人生のストーリーを編む作家です』
そう、蜘蛛は言葉の番人であると同時に自分自身という「宇宙」における創造主 =宇宙根源神エネルギーという概念のアバターとしての側面もあるのではないか、という、アメリカ先住民の伝承とのつながりがここで浮かび上がる。それこそが「真の豊かさ」の本質なのではないか、と。
アメリカ先住民は蜘蛛を「女性」と結びつけている。また「水」の生き物は人間の直感や創造力を刺激し、女性的な一面、「女性性」をあらわすとされている。
蜘蛛の話に突然「アメンボ」が出てきたのはどうやら「女神性エネルギー」の働きのようだ。
明日は「8月8日」。蜘蛛の体型は数字の「8」に似ている。蜘蛛の足は「8」本。「8」は横にすると無限大、「森羅万象全宇宙」の可能性を象徴している。はたして「女神性」との関係は ?
もしかしたら明日、何らかのお返事が届くかもしれない。届かないかもしれない。どちらも嬉しいプレゼント。
◇ 参考
『アニマルスピーク ~ 自然の力を借りる』 テッド・アンドリューズ著
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蜘蛛に関するメッセージの中に神話や民話の言葉がたびたび出てきます。もしかしたらこの国の「土蜘蛛」についての執筆を促されているのかもしれません。渡来人であったろう権力者たちに一方的に「悪」として排除され続けてきた存在の声にいまこそ耳を傾けて。