エメラルド・グリーン、黒と黄「ゼブラカラー」、そして一瞬「ゴールド」? と感じたオレンジ色。
きょうはアゲハ蝶によくあう。ある意味「大漁」。
その中でもオレンジ色のアゲハ蝶はとりわけ鮮やかだった。
アゲハ蝶について調べると「波動が上がるからアゲハ」とか「神様の遣い」という言葉がたくさん出てくる。
翅が生えているので前者はよくわかる。一方、後者については「生き物はすべて神様の遣いなんじゃないの ?」という素朴な疑問がわく。念のため、この時の「神様」は人格神ではなく「宇宙根源システム概念」のこと。ただし前者についても「波動が上がることは良いこと、同時に波動が下がることは悪いこと」の含みが感じられなくもないので、現時点ではどちらも「保留」。もちろん「否定」もなし。
オレンジ、という色については、生命力の強い色、という側面があり、「エネルギーの高まり」、また「人間関係の大変容」という意味があるらしい。
瞬間的に「ゴールド ?」と感じたのは、もしかしたら前エッセイ 超健康主義と健康不安のもつれは何を生むのか ? の中の「拝金主義からの卒業」と関係しているのかもしれない。
お金 = ゴールド。
ランチ時に立ち寄ったスーパーの店頭に早くも「コスモス」が並んでいた。園芸市場は「先取り」が多く、最近では季節感はあまり感じられない。私が幼い頃にはコスモスと言えば「秋」だった。それとも「キバナ」は太陽との関係が深くそもそも夏の花なのか。
オレンジと黄色の「キバナコスモス」が目をひいた。いつもならさっそくプランターに植えるところだが、きょうは「お持ち帰り」には至らず。
その後で「オレンジ色のアゲハ蝶」に遭遇した。
コスモスについて調べてみる。
『宇宙の調和と秩序をあらわす花。表シンボルは調和、秩序、美。裏シンボルは芯の強さ』。
放射状の花びらが整然として調和がとれていることから「秩序」をあらわし、同時に秩序を保った完全な体系から「宇宙 cosmos」をあらわすそうだ。
なるほど、「宇宙」か。
私たちはそもそも一人ひとりが「宇宙」だ。
花も一つひとつが「宇宙」。プランターに植えればそのプランターが「宇宙」になり、そのプランターが増えれば、全体で「宇宙」ができる。
私たちの内側を「小宇宙」と捉えるのがホリスティック・ケア。ホリスティック・ケアでは外側に拡がる「全宇宙」と自分宇宙である「小宇宙」とのバランスを取ると健康になれるという考え方をする。
4年ほど前だろうか、実は私たちの内側こそが「本宇宙 = 全宇宙」ではないか、という捉え方にたどり着いた。
仮にこちらの考え方を採用すると、ホリスティック・ケアはそもそものところで理論が反転していることがわかる。
いま思うと、その頃から、私の中に「ホリスティック・ケア」に関するさまざまな疑問が浮かび上がって来ていたのはもしかしたら偶然ではないのかもしれない。
誤解のないように説明をしておくと、私は以前ホリスティック・ケアに「ドハマリ」した。「ホリスティック・ケアが世界をひとつにつなげる」という、ある獣医師の言葉に引き寄せられて。
愛犬、愛猫のケアでも「ホリスティック・ケア」は大活躍した。
しかしある時、「何かが引っかかる」という感情がわいて来て、その後何回かにわたってスライド卒業を果たした。
前エッセイで私はこう記している。
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「自然体」とは「自然志向」「自然主義」とは違う。私の場合の「自然体」は「自然・じねん」、そう、宇宙システムの一部としてより均衡のとれた、けれどアンバランスも同時に兼ね備えた「その時々のベスト」を探るというものだ。
本来、これが「ホリスティック・ケア」の本質だったのではないか。ところがいつからか、いえスタート時点からか、ホリスティック・ケアは西洋医学に対する「補完代替療法」として、「ナチュラル・ケア = 自然療法」に近いものとの設定が常識化している。
「ホリスティック」にはすべてを包括する、という意味がある。ところがそのすべては「限定」バージョンだった。なぜなら、そもそものところで「本当のひとつ = すべて」を体現した人たちの理論ではなかったからなのかもしれない。その先を「超える」ためのGiftとしての設定。
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もしかしたら、私は理論としてのホリスティック・ケアを超えて、その本質はなんなのか、を探ろうとする段階に入っているのかもしれない。
もちろん既存の「ホリスティック・ケア」を揶揄する目的などまったくない。むしろ、「それら」があったからこそ、今さらに視野を広げられるのかも、というチャンスをもらったに過ぎない。それさえ、私自身の勝手な「思い込み」の可能性だってゼロじゃない。
ということは ?
先ほどのオレンジ色のアゲハ蝶は、私自身の真ん中の「宇宙」の可能性を少しだけ拡げるそんな「時」の到来を感じさせてくれるための「方便」として現れたものなのかもしれない。私自身の潜在意識の力で。
オレンジ色のアゲハ蝶のメッセージの一つに「人間関係の大変容」というものがあった。
この時の「人間関係」は外側に拡がる人間関係と同時に私の自分自身との関係性というふたつの量子もつれを意味しているのだろうか。
キバナコスモスを「お持ち帰り」しなかったのは、私の「宇宙 cosmos」はまだまだ完成形には程遠く、無限の可能性を信じなさいとのメッセージを感じたからなのか。
やっと少しだけ私の宇宙は拡がりつつあるようだ。それでもまだまだ十分ではない。何しろ無限の可能性の中のほんのひとしずくのことなんだろうから。
◇ 参考
『神話と伝説にみる花のシンボル事典』 松原梨江子著
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「コスモス」の花言葉は「真心」とあります。著者は「この言葉は園芸化された中でのもので、本来の花のシンボル的なものではない。色別の花言葉も花の印象によって新しくつくられたもの」としています。
「野生」と「園芸化」によって花の見方が変わっているということ。
これは、「本当の本物」と「上書きされた偽りの一見本物」との関係の暗喩ではないでしょうか。
私が探りたいのは「本物であり偽物でもあり、本物でもなく偽物でもない」そんな世界。
またまたハードルを上げてしまいました。終わりのない、正解のない世界。