東京・水元公園に行ってきた。
自動車での移動の途中、「888」のナンバーに3回遭遇。
「8」には「森羅万象全宇宙」というメッセージがたくされているという。横にすれば「無限大」のマーク。それが「9個」。DNAの二重らせんが頭に浮かぶ。
水元公園行きの目的は蓮・ハスの鑑賞。蓮・ハスは古代蓮とも表現される。
私が「古代蓮」の存在を知り、その存在をはじめて目の当たりにしたのが水元公園だ。
以来夏には必ず水元公園を訪れる。
今年は千葉市の「大賀蓮・オオガハス」、埼玉・行田の「行田蓮・ギョウダハス」、そして東京・水元公園の「古代蓮・コダイハス」を鑑賞。
中でも圧巻だったのは「埼玉・行田・古代蓮の里」。なんでもここの蓮は3000年くらい前の原始的形態をもつものが「自然発芽」によっていまに蘇ったんだとか。リーフレットによれば42種類の花蓮が植えられていて、背の高さ2メートルくらいのものが咲き乱れ、まさに「古代蓮の里」の名前にふさわしい気が満ち満ちていた。
東京では絶滅種とされている黒アゲハとみまがうような黒トンボ「ハグロトンボ」がペアで宙を舞い踊り、一瞬にして時空を超越した所に紛れ込んだ気分。
「ハグロトンボ」、別名「カミサマトンボ」だそうだ。「カミサマトンボ」の舞いと古代蓮の饗宴。まさにそこは「極楽浄土」の再現なのではないかと錯覚する。
水元公園の蓮はそれと比較するとひっそりと咲いている。それはそれで優しい気持ちに包まれる。
やはり「蓮・ハス」の花そのものが『世俗に染まらない純粋な生命の根源の象徴』とされているからなのか。
水元公園には「オニバス」も咲いている。ハス、となっているがその実「睡蓮・スイレン」。植物全体に大きなトゲが生えていることから「鬼」の名が付けられたという。
今回はいつにも増して「オニバス」に魅かれた。なぜ「オニ」がついているのか。日本の伝統では、かつてカミ、あるいはそれに準ずる存在をあえて「鬼・オニ」とした支配層が存在する。「睡蓮・スイレン」としないで「ハス」にしたのはなぜなのか、トゲがあるからと「鬼・オニ」をつけたのはなぜなのか。
トゲがポイントなのか、あるいは正体を知らせたくない「本物」が存在するよ、のメッセージなのではないだろうか、と深読みをしながら「オニバス」の花をいつもより丹念に鑑賞してきた。
睡蓮もまた『清浄な魂を秘めた聖なる花』とされているという。
古代インドでは蓮も睡蓮も仏教が起こる前から聖なる花と捉えられていた。そのいずれもを含めて「蓮華・レンゲ」と呼ぶのだそうだ。ちなみに「蓮華・レンゲ」と「蓮華草・レンゲソウ」はまったく別の花。
その「蓮華・レンゲ」は、インド宗教の流れでは「8つの吉兆のシンボル、八吉祥」のひとつとされている。
ここに「888」とのつながりがみえてくる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると【仏教においては、ハスの花びらは4枚か8枚、16枚、24枚、32枚、64枚、100枚、1000枚で表現される。これらの数字は、身体のなかの「内なる蓮」、つまりエネルギーセンター(チャクラ)についても適用される】と記されている。
私は当エッセイで「古代蓮」の話を何回か記している、チャクラの話もまた数回記している。
何より私が「古代蓮」に魅かれるのは、私の身体のなかの「内なる蓮」が何かを放射しているからなのではないだろうか。
蓮華・レンゲは宇宙のエネルギーとつながるための花 ?
私たちの身体の中には蓮華・レンゲと同じエネルギーがいくつもある ?
そのエネルギーは無限大 ?
そのエネルギーの形は二重らせん ?
今年の古代蓮と睡蓮・スイレンとの対話ではここまでが限界。
来年の古代蓮と睡蓮・スイレンはまた何か異なる世界を教えてくれるのだろうか。
何しろ彼らのエネルギーの可能性は無限大なのだから、いまの私にはここまでで精一杯。
一方、ここまでたどり着けたことの歓びもひとしお。
※ わが街わがエリア、いま、ものすごい湿度です。
そのため、頭がもうろうとしています。文章もスムーズに書けません。
が、こういう時はエネルギーが大きく動く前兆なので、どんな「吉兆」が訪れるのか楽しみにして待っていようと思います。
◇ 参考
『神話と伝説にみる花のシンボル事典』松原梨江子著
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花を市場に流通させるための「花言葉」ではなく、花の名前が生まれた背景、意味、物語、歴史を探るためのヒントとして最近活用させてもらっています。