突発性というべきか、外出している時に自分の呼吸音やしゃべる音が耳の内部で響いているような体感。
耳のトラブル。
バクッと言うと、私は何かを聴きたくなくて耳をふさいでいた、同時に私に本当のことを聴かせたくない存在が私の耳をブロックしていた、その両方の可能性があることに気づき、それがいま「開きはじめているのだろう」と瞬間的にそんなことを感じた。
家に戻って調べてみる。
可能性として「耳管狭窄症」と「耳管開放症」のいずれか。どちらも症状はほぼ同じだという。
ただし「狭窄症」の要因は風邪に伴う急性鼻炎、アレルギー性鼻炎、副鼻腔炎、上咽頭炎(鼻とのどの間の炎症)など、鼻の炎症がほとんど。一方「開放症」は大人の女性に多く、顎関節症やストレス、末梢循環障害が原因になることもあるらしい。さらに「暑さ」によるもの。
わが街、気温、すでに37度に到達している。元々暑さに弱いタイプなので後者の可能性の方が高い。同時にノドが弱いため、上咽頭炎などの可能性もあり、どちらとも捉えられる。
ここまで「自己判断」。それほど症状は深刻ではないため、自分でホメオパシーのレメディを選んで様子をみる。
ちなみに「ホメオパシー」は一時お世話になったが現在ほぼ卒業の段階。頓服として何かの時のためにストックを用意。その中から自己流で適当にみつくろった結果、二時間程度で症状改善。
ということは暑さによるストレスからくる「耳管開放症」の可能性が高い。
このあともおそらく病院には行かない。
「病気」「症状」=「悪いもの」「治さなくてはいけないもの」という考え方を卒業して数年が経つ。私の場合、「症状が出るということはそこにたまっていた負のエネルギーが動き、身体が自然に真ん中に戻るためのプロセスを踏んでくれている」という捉え方をしているため、よほど苦しくない限りは、「自然治癒力」任せで過ごす。
その過程でちょっとだけ不安を緩和したいな、気持ちを軽くしたいな、と思った時にホメオパシーなどを適宜活用する。
思い出した。朝、外出先から戻りすぐに「葛根湯」を飲んだ。「葛根湯」は実は万能薬、江戸時代にはたいていの病気、症状は「葛根湯」を飲んでしばらくの様子見でおさまっていった、という情報があるくらいだ。
さて、耳のトラブルについて「心身医学的」捉え方を探ってみた。
ポイントとしては、
〇 周りのエゴによる声を聴きたくない時に耳をふさぐ
〇 周りのエゴによる声に対して「いい加減にして」と怒りを感じている
〇 他人から言われたことに対して「ノー」と言えない場合に耳をふさぐ
〇 他人の言うことをすべて受け容れないといけないという強い罪悪感を抱いている
〇 他人に従わないと自分は愛されないと思い、そもそも他人の声を聴きたくないと拒否している
以上のようなことがあるらしい。
最初に私は「聴きたくないことがあって自分自身で耳をふさいでいた」「本当のことを聴かせないために誰かに耳をふさがれた」と記している。
おそらく、その両方なのだろう、「自分自身の中の強い罪悪感」、同時に「他人の力による強い拒絶感」、そのいずれものエネルギーがもつれあって私の耳は一旦強く「ふさがれ」、症状と共に「解放」のプロセスを進んでいる、自然治癒力の働きによって。
今回の「耳」からのメッセージは、「耳をふさがないでハートで声を聴いて」というものだった。
これでセルフ・ケア、一旦終了。
『病は気から』
その症状を招いている自分自身の「気持ち」「意識」の大元を探ると、たいていの場合、症状は過ぎていく。
そのことを教えてくれたのは、先代犬、愛犬・華実・はなみだ。
華実は生前、たいていの症状は「過ぎていくもの」、私たち生き物にはそのための「自然治癒力」が授けられているのだから、という事の本質を全身全霊で私に伝えてくれた。
華実の世界観はいつも「すべてひとつ」「〇 丸」というものだった。
前エッセイ
愛犬の月命日に寄せて ~ バタフライ・スパニエル「蝶と蛾は表裏一体」【前編】
とここでつながった。
愛猫・海・うみと愛犬・宇宙・そらが華実の世界観を見事なまでに引き継ぎ、つねにアップデイトをくりかえし、その時その時の「ベスト」の状態で私たち夫婦のそばにいてくれている。
◇ 参考
『自分を愛して~病気と不調があなたに伝える《からだ》からのメッセージ』 リズ・ブルボー著
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この本は世間的には賛否両論ある本です。
私は15年来、この本にお世話になっています。
内容をうのみにせず自分なりの解釈を加えて活用します。
ここ一年くらいはあまり手に取ることもなくなりました。
時々、ふとページをめくると「ヒント」の文字がクッキリとみえてくることがあります。
今回はまさに、「私の中の罪悪感」ということがいま、私にとって大切なことだったのだと。
この本の著者はキリスト教意識の強い方です。
ただし活用の仕方次第で「対症療法」ではなく、「自分の真ん中とつながるためのヒント」がみえてくることも少なくありません。
情報が本当に活きるかどうかは活用する側の気持ち次第、こころ次第ということなのかもしれません。