パピヨンが「バタフライ・スパニエル」と呼ばれていることはきょうはじめて知った。
前エッセイ 愛犬の月命日に寄せて ~ バタフライ・スパニエル「蝶と蛾は表裏一体」【前編】 にあるように、もしかしたら私は「蝶々」と「スペイン」とに縁があるのかもしれない。
愛犬・宇宙・そらとはじめて出逢った時、宇宙の居場所を教えてくれたのは大きな黒アゲハだった。「クロアゲハ」に導かれた先の「パピヨン」。
宇宙は当時「白と黒」のパピヨンだったので私は彼を時に「クロアゲハ」と呼んだ。日本では「クロアゲハ」は宇宙根源エネルギーとしての「瀬織津姫」の遣いとされている。
そのパピヨンは「たち耳」だ。スパニエルの特徴である「たれ耳」のパピヨンは「ファーレン」という。「ファーレン」とは「蛾」の意味。
「蝶」と「蛾」の違いを調べると、実は「蝶」も「蛾」も本来的には「蝶」であることがわかる。逆に「蝶」と思われているものの中に「蛾」もたくさんいるんだとか。
「蝶」という字は「虫」「世」「木」からできている。そこから、蝶とは「大自然の中を薄い羽根で自由に飛び回る虫」という意味になり、明るい陽のイメージを象徴するものとなるらしい。
一方、「蛾」という字は「虫」と「我」からできている。「我」には「クッキリと目立つ」という意味があり、この時の「目立つ」はいわゆる「悪目立ち」のようだ。同時に恨みや妬みなどを表現する時にも使われるという。そのことから、蛾とは「あなたはいま、自己中になっていませんか。もっと周りのことにも気をつけて」という、どちらかというと内側に向けた陰のイメージを象徴するものとなるらしい。
この時の「陽」と「陰」にヒエラルキーはない。外側に向けた力が「陽」であり、それよりも内側に向いた力が「陰」。両者との比較によるものでこれらは絶対的価値ではない。
つまり、「蝶」と「蛾」は表裏一体。どちらもがあっての「蝶」であり、「蛾」である。
では「パピヨン」の原型はどちらかというと、実は「たれ耳」、そう、「ファーレン」=「蛾」が本来のパピヨンの姿だった。後に「パピヨン」と名前が付くようになって「たち耳」=「蝶」と定義づけられた経緯がある。
もっとも家庭犬としてのパピヨンはたれ耳だろうがたち耳だろうが関係ない、どちらであっても本来的には「パピヨン」なのだ。
そしてそれは時に「蝶」であり、時に「蛾」であり、という生き物なのではないだろうか。
「黒」という色はすべての色が含まれたエネルギーの強い色だ。「すべて」が含まれている、だから、宇宙根源エネルギーとしての「瀬織津姫」の象徴なのだろう。
一般に言われているような「白」は「縁起のいい色」、「黒」は「縁起の悪い色」なんてことはないのではないか。
15日は愛犬・華実、キャバリアの月命日だった。
愛犬の月誕生日 ~愛犬飛翔「わんこ村からの卒業」 でお伝えした通り、宇宙を自分の後釜に、と指定してきたのは華実自身だった。私の感覚だと宇宙の中には何パーセントか華実の魂のエネルギーが混入している。
そう、宇宙は宇宙であり、華実であり、そのどちらでもない、という、すべての「〇 丸」を可視化した存在なのではないだろうか。
宇宙はパピヨンでもあり、ファーレンでもあり、蝶々でもあり、蛾でもあり。
華実は「陰陽」で語られる「陰」の存在にも陽を当ててすべてを包括して、というメッセージを伝えるために、一旦あの世に戻り、宇宙に合流してこの世に還り咲いたような気がする。
私が長毛種好きなのは、おそらく時空を超える「羽根」の動きと長毛のフワフワ感に何らかのエネルギー同調性を感じているからなのかもしれない。
羽根が起こす風、長毛によって巻き起こされる風。互いにもつれあうとそれと異なる風が発生する。
蝶と蛾。共に波動の高い虫とされている。羽根のついた生き物は、ついていない生き物と比較するとより波動が軽い、そのため、高次元のエネルギーと同調しやすい、というのが一般的見解だ。
羽根そのものに大きな意味があるらしい。
羽根はこちらの世界とあちらの世界のいずれものエネルギーに感応するものなのかもしれない。そのもつれは一体何をあらわしているのか。
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当エッセイ執筆後宇宙・そらとお散歩に出かけたら、くさむらから綺麗なオーロラカラーのような、まるで幻であるかのような美しいしじみ蝶に遭遇しました。またも「蝶々」です。
◇ 参考