私は比較的ヒンドゥーに馴染みがある。
なぁんちゃって、だけれどヨーガは15年ほど続けた、いまは卒業。
なぜ卒業したか。
ヨーガのベースにカースト制度があることの違和感から。
6、7人のヨーガの先生に触れた。海外での単発レッスンも加えれば10人ほどになるだろうか。
修行として取り組んだわけではなく私の場合はあくまでもエクササイズの範疇。
その先生の中で、女性三人はガリガリ、あるいは筋骨隆々。
みんな「胸」がなかった。
別の一人の先生はお年頃もあるのか、しょっちゅう体調を崩していた。話を聴いてみるとどうやら女性ホルモンのバランスが乱れているよう。
そう、たまたまなのかもしれないが、私の知るヨーガの先生は、その多くが男性ホルモンと女性ホルモンのバランスを崩していた。本人たちは気づいていないようだったけれど。
私は割と早い段階に「ヨーガはバラモン教の男性司祭たちが自分自身をカミと高めるために体系化したシステムである」というところにたどり着いた。
そもそも論で言えば、ヨーガは土着の民 ( 私は土着の民は先住民と同じ感覚で捉えている、元々いるその土地の人々という意味 ) のものとしてスタートしたらしい。メインは瞑想だったという。ところがその後「アーリア」人が侵略してきて、土着の民族や宗教を吸収・変化させながらヒンドゥー教を確立、ヨーガの体系化もほぼ同時だったのではないか。
アーリア人は土着の民とされたトラヴィダ人とは一線を画したいと考えた。その中で「カースト制度」を中心としたさまざまな文化・思想を体系化したその中心的柱のひとつがヨーガだと私自身は捉えている。
ヨーガの修行はマスターのもとで行われる。彼らは階段をのぼるかのように修行の道をきわめていく。おそらく「比叡山」などの修行体系も同じだろう。
ピラミッド型。
前エッセイ
オリーブ色 ( メジロ色 ) のワンピース ~ 「ありがとう」 ~ 大乗仏教からの卒業
の中で私はこう記している。
『仏教というのはもともと「女性は女性のままでは仏になれない」という教えがあって、女性が仏になるためには一旦男性に生まれかわらなければいけないとしているそうだ。これを「変性男子」というらしい。』
「変性男子・へんじょうなんし」という言葉をはじめて知った。「変性男子」についていくつかのサイトを調べてみると、複数のサイトに『当時のヒンドゥー的な女性蔑視の考えを色濃く反映したものと言われる』といったような表現が出てきた。
そう、ヒンドゥー教とは女性蔑視の考えがベースにあるもの。そこから派生した仏教における女性差別は「大元」の根っこの部分にしっかりと息づいている概念だったのだ。
大乗だから、小乗だから、という視点で仏教を語る場合もあるけれど、いや、そもそも「女性」を度外視している時点でそれらは明らかに「男性」のためのもの、ということが浮かび上がってくる。
『法華経』に登場する「変成男子」という言葉は、一般には「女性は男性に生まれ変わらなければ仏になれない」といった意味に理解され、そもそも女性は、女性のままでは仏や菩薩( 仏の候補生 )にはなれない、とされているそうだ。
少しまわりくどい言い方になったが、そもそものところでインド宗教、およびヨーガは「アーリア人」主導、同時に「男性」主導のものなのである。日本に形が変わって入ってきたと言ってもルーツは一緒。大元のエネルギーは一緒なのではないか。
私が触れたヨーガの女性ティーチャーが男性ホルモンと女性ホルモンのバランスを崩していたように思える、と感じていたのはあながちピント外れのことではないのだろう。
私はヨーガを卒業した。ヨーガのゴールは「てっぺんに到達すること」であってそれは「女性ホルモン」「男性ホルモン」のバランス、均衡とはベツモノだ、と感じていたから。
けれどその一見「遠回り」も私の大切な宝物のひとつ。
女性蔑視とされる男性主導のヒンドゥー、ヨーガがあったからこそ、それを15年間「のぞいた」からこそ、私の中に眠っていた「本来」の「女性性」が「そろそろ起きなきゃ」と目覚めてくれたのだろう。
ストレッチ・エクササイズとしての「ヨーガ」は実は大好きだった。
インド・カレーは週2回食べている。
古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー ~ 時空のもつれ【前編】
にあるように「サラスヴァティー」意識エネルギーとの縁は深いはず。
おそらく「サラスヴァティー」に関してはまだ掘り起こさなければならない何かが隠れていそうだ。
お楽しみはまだまだ続く。
※ きょうも頭が重くて文章が引っかかります。この後大きなアップ・デイトがなされるという前兆です。
当テーマは長い間ひっかかりを感じていたものの「答え」の片鱗のようなもの。
もちろんすべてがわかったわけではありません。
けれど「ヨーガ」「仏教」に対するひっかかりの要因はなんだったのかを自分自身で解き明かすきっかけが見つかって「あぁ、よかった」とホッとしています。
◇ 参考
https://blog.buddha-osie.com/kotoba/1694/
↑ 仏教のことば:「変成男子(へんじょうなんし)」
https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs000010gzzl-att/GT189-kaneko.pdf
↑ 現代宗教と女性