古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー ~ 時空のもつれ【後編】

以下 古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー ~ 時空のもつれ【前編】 から続く

 

車で家へと向かう途中で、わが街の「弁天」エリアに行こうとこころが動く。

 

わが街は昭和に入ってからの埋め立て地なので、この地名の「弁天」が果たして「弁財天」がらみなのかはわからない。

 

そこにある公園には小さなビオトープが創られ、この季節には睡蓮が花を咲かせている。

 

白、ピンク、黄色。

 

そのビオトープにつながるところにこれも人工的な小さな滝のようなせせらぎがある。

 

私は以前からそこに「サラスヴァティー系」のエネルギーとつながるポータルがあると勝手に思い込んでいる。この時の「サラスヴァティー」は「弁財天」と同じエネルギー、同じ意識。

 

川の化身であると同時にそれは私たち自身の真ん中にしっかりと息づくエネルギーそのもの。

 

古代蓮、そして弁財天、蛇穴、蛇石、サラスヴァティー。

 

私の中ではうねうねと一つのものにつながるけれど、果たしてその想いは誰かに届くのだろうか。

 

さらに調べてみた。

 

きょう訪れた弁天池・大賀蓮のそばには、「千葉縣護國神社」があったという。「千葉縣護國神社」はそもそも「千葉縣招魂社」として創建されたもの。元の鎮座地は千葉県庁公園内、まさに私がきょう訪れた「厳島神社」「弁財天」とは目と鼻の先。

 

 「千葉縣護國神社」とは戊辰戦争から太平洋戦争に至るまでの、千葉県出身の国事・戦争殉難者を祀る神社のこと。一般的には戊辰戦争の悲劇と共に、また第二次世界大戦後は「軍国主義施設」として、人々の記憶に深く残っているものではないだろうか。

 

公園そのものは戦後、千葉市戦災復興都市計画に基づいて創られたものだという。けれどあの地には近代日本における闘いの歴史が十分すぎるほどに刻まれていた、まるで知らなかった。

 

闘いの地に、平和と共にある永遠の時を刻むかのように古代蓮がいのちをつなぎ、そのすぐそばで死と再生と無限の象徴とされる「弁財天」エネルギー、および「蛇石」が私たちの営みを見守り続けている。

 

それはこの後も続く。

 

「争いと和」、そして「生と死」のもつれがきょうの私のテーマのようだ。

 

悠久の時空をこえて、さまざまなエネルギーが渦巻きながらもつれながら私を包み込む。

 

その形はおそらく二重螺旋、DNA型。

 

この星が放つエネルギーそのもの。

 

 

 

 

◇ 参考

  

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