そもそも「龍」とは ?
さっそく前エッセイ 虹蛇、虹蜺(こうげい)、「虹の彼方へ」 への返事が来た。
◇ 古代中国では「虹」は「天と地を結ぶ蛇」の姿と捉え、それは「龍」へと姿をかえる、と考えられていた
◇ 虹の「主」を「雄龍」、虹の「副」、つまり「副虹」を「雌龍」と捉え、その「主」「副」二本で「虹蜺(こうげい)」と呼んでいた
上記二点が「虹」に関する「古代中国」の捉え方のポイントだった。私は個人的に、
◇ 「主」の「虹」が「雄龍」、「副」の「虹」が「雌龍」というのは男性神、あるいは男性宗教による男性中心社会の捉え方では ?
と考察した。
「龍」という文字について調べてみたら、興味深い考え方に遭遇した。それは『漢字考古学』という学問。
にわか勉強の範囲でだが、どうやらこういうことらしい。
今からおよそ3500年前、中国の黄河領域で漢字の起源となる甲骨文字が生まれたと考えられているという。この甲骨文字を解明することによって、文化・政治・歴史の土台たる人間の営み ( 経済 )を解き明かそうとする学問のことを『漢字考古学』というのだそうだ。
『漢字考古学』の考えを参考にして「龍」の起源の由来をみていくと下記のポイントが浮かび上がってきた。
◇ 龍は中国人の心中、最も神聖な動物神である。また中華民族の象徴でもある
◇ 「龍」という字は皇帝の権力を象徴する、力強く気勢のある調和の取れた美観を体現している
さらにこの字が生まれてくる時代的背景をみてみると、「これだったか」と思わず膝を打ちたくなる内容が隠されていた。
この文字が生まれた時期に漢民族の生産方式に大きな変化があらわれている。それは、「天に依存した飯を食べる、つまり穀物の栽培という農業生産方式」が急速に発展する段階だ、というのだ。
甲骨文字として生まれた「龍」という字は時代と共に金文字という文字に移行していく。その移行に伴い、「龍」における庶民性は少なくなり、次第に皇帝の権力、帝王の専用のシンボルへと変貌する。
ここまでを要約してみると。
◇ 「龍」は中華民族の象徴
◇ 穀物の栽培、農業生産という「支配」「管理」体制を生む男性中心社会の始まりの時期に「龍」という字が誕生した
◇ それは同時に「龍」が文化や政治における男性皇帝や帝王の権力のシンボル的意味合いが強くなった時代の象徴だということである
これを日本におきかえてみると、「龍」の概念は、「縄文」文化から「弥生」文化へと転換した、ちょうどその頃のエネルギーに相当するものだと捉えられるのではないか。そう、女性中心社会から男性中心社会への急激な転換期。
今から3500年前というと「縄文」時代の後期、晩期あたり。なんでも西日本の一部で稲作が始まっていたとされる頃。実はこの稲作は「縄文人」ではなく、大陸から流入してきた「弥生人」によるものでは、とする説がある。つまり「縄文人」による稲作ではなく、「弥生人」による稲作が西日本の一部で縄文時代の後期・晩期に始まっていたということだ。
仮にこの説が正しいとすれば、わが「列島」に「龍」の概念が届いたのは、まさに「稲作文化」の移入と同時期だということになる。実際この「列島」はその後「弥生」時代へとさまがわりする。
このような時代背景を考えると、私たちが「龍」と記号化するこのエネルギーは、この「列島」に届いた時点で男性優位の社会の象徴だったことが透けてくる。
中国においてはいまなお、「男性皇帝、帝王」意識などが強いのは言うまでもない。そうした中で「龍」をあらわす虹について「主」の「虹」が「雄龍」、「副」の「虹」が「雌龍」としているは当然のことだろう。日本がその影響を受けているかどうか、「何をかいわんや」。
一般にいわれる日本が龍体列島であるという概念については私も納得している。
ただなんでもかんでも「龍」が、とか「龍神」が、としていることには正直ひっかかりがあった。
ここにその謎をとくヒントが隠されていた。
そもそも「龍神」とは一般的には水の神意識。日本で言うのなら弁財天のテリトリーだ。弁財天の遣いは「白蛇」「白龍」との説もあり、あるいはこれらは「弁財天」の化身、とする説もある。さらに弁財天を女神性の人格神ではなく祖神の一つ、つまり両性具有性のエネルギーをもつ宇宙意識と同様の概念だとする捉え方もある。つまり「弁財天」と記号化された宇宙システムエネルギーを「龍」や「蛇」、あるいは「川」の化身に照らしあわせるという考え方。
私にはこの考え方がしっくりくる。
だが少なくとも中国における「龍」は男性中心社会の偶像であることがわかった。当然「虹」もそれに準ずるだろう。
あなたの龍は ? 虹は ?
私たちは長きにわたり、中国文化のお世話になりながら、一方で特徴ある「日本文化」というものを構築し続けてきた。
けれどもしかしたら思想の真ん中には、中国で「龍」という文字が生まれた頃のままのエネルギーがいまなお息づいているのかもしれない。
良い、悪い、ではなく、お世話になり続けるところはこれからもきちんと感謝しつつ受け容れ、同時に自分たち独自の価値観をもつれさせながら、新たな時を刻むチャンスが訪れているのではないか。
「皇帝社会」「帝王社会」エネルギーの終焉とともに。
「虹」は希望の象徴。私たちのこころに新たな道を彩なす優美な力そのものなのかもしれない。古人はそこに「龍」を見出したのだろうか。
◇ 参考