虹。
愛猫・海・かいが天に召された時、空にはかつてみたことのない巨大な虹が出た。
愛犬・華実・はなみが天に召された時、雨の降る中ダブル・レインボウがみえた。
隣にいた夫に虹の存在を知らせると夫は静かに涙を流した。
目に視えない世界、精神世界に興味のない夫の中に突然何かが沸き起こった瞬間だった。
きょう「15日」は愛犬・華実の月命日。だからなのか、「虹について言葉を紡げ」と指令が届く。
『虹蛇』・にじへび、という言葉を最近知った。なんでも世界各地に伝承される蛇神のひとつで、特にオーストラリアの先住民族・アボリジニの間では「創造神」としての神格をもち、また死と再生の神としての「エインガナ」という虹蛇の存在が特別視されているらしい。同時にアボリジニ伝承における根源神として「ウングッド」もまた虹蛇だという。
アメリカ・ハワイ州は、レインボー・ステイト(虹の州)と呼ばれるほど、毎日ほぼどこかで虹がみられるのだそうだ。ハワイの人にとって虹は幸運の象徴。「No Rain, No Rainbow(雨が降らねば、虹は出ない)」、そんなことわざがある。一般的には「つらいことや哀しいことのあとにはきっと良いことが起きるよ」という意味だというが、ん~、雨をつらいこと、哀しいこと、と捉えるのか。ここはちょっと素朴な疑問。
いずれにしても「虹」は希望の象徴であり解放の象徴であり自由の象徴でもあり、虹をみただけでこころが弾むのは私だけではないはず。それがダブルとなれば、歓びも嬉しさもひとしおだろう。
ところが本来、虹は「ダブル」として捉えているのが「古代中国」。中国では、虹は龍に変化する大蛇が天と地を結ぶときに現れると考えられていた。「虹」という字の偏・へんは「蛇」を意味する「虫」、つくりは「天と地を結ぶ、または「貫く」という意味をあらわす「工」、つまり「天と地を結ぶ蛇」の意味が「虹」の中に集約されている。
虹は明るくくっきりとみえる「主虹」とそのうえにやや暗くぼんやりとみえる「副虹」ができる。これがいわゆる「ダブル・レインボウ」の正体。「主虹」を「虹・にじ」と呼び、「副虹」を「蜺・げい」と呼び、あわせて「虹蜺(こうげい)」と呼んだという。
虹蜺の「虹」は雄の龍、「蜺」は雌の龍と捉え、雄雌一対の龍が現れたものを「虹」としていたそうだ。
いかにも中国らしい解釈に唸ってしまった。その一方で。
雄の龍を「主」、雌の龍を「副」としているのも、なるほど、という気がした。
蛇は実は「雄」なしで子供をつくることができる、いわゆる単為生殖が可能な生き物。蛇からの転身である龍に対しても同じことが言えるのではないかと私自身はそう思っている。
世界各地の伝承や神話などによると、「創造神」「根源神」「始祖神」として登場する蛇はすべて両性具有性を兼ね備えた「雌」の神、つまり「女神」であることがわかっている。この時の女神とは人格神としての存在ではなく、「両性具有性ではあるけれど女神性優位の意識あるいはそのエネルギー」という意味。
だとすると、本来的に虹は「ダブル」なのか、もしかしたら「シングル」がデフォルトなのではないか、という勝手な推察が生まれ、同時に「主」が「雄」、「副」が「雌」という設定はまぎれもなく男性神、あるいは男性宗教にもとづく男性中心社会の考えなのではないかとも思えてくる。
ちなみに「虹」は「七色」というのが私たちの一般常識となっているけれど、アメリカやイギリスでは6色、ドイツや中国では5色、ロシアでは4色と考えられているとする説もあるんだとか。
そう、一言で「虹」と言ってもさまざまな解釈があることがわかる。
ということは虹は本来的に「ダブル」なのか「シングル」なのかも世界共通の概念ではないし、もし「ダブル」だとしても「主」が「雄龍」、「副」が「雌龍」であるという証はどこにも存在しないということになる。
また、『「主虹」を「虹・にじ」と呼び、「副虹」を「蜺・げい」と呼び、あわせて「虹蜺(こうげい)」と呼んだという。』のこの箇所、なぜかLGBTQの「レインボーフラッグ」との関りが浮かんできた。
この場合の「レインボーフラッグ」は6色の虹色だ。
虹は創造神と直結して捉えられる貴重なひかりの現象のひとつ。それだけに「権威・権力」をわがものにしたい人たちにとってもうまくとりこみたい「存在」でもあるらしい。
「虹」は「虹」。それそのものに良いも悪いもなく、ただ「虹」であるものが地上に降りてくるといろいろな色がついてしまう。
ここに宇宙意識の愛が隠されている。
「虹」をどうとらえるかはその人のこころの色による。
◇参考
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』