生命力と情熱を届けてくれる天華 ( 天の花 ) 「曼荼羅花・まんだらけ~梯梧・デイゴ」

わが街、梯梧・デイゴの花、真っ盛り。

 

その真っ赤な姿はまさに情熱の花。

 

『神話と伝説にみる花のシンボル事典』( 松原梨江子著 )によれば、「炎のよう真っ赤な花を房状につけることから【情熱のシンボル】とされ、「初夏から初秋まで長期にわたって咲くことから力強い【生命力】のシンボル」、とみなされるという。

 

またこの花はヒンドゥー教の創世神話で神々と阿修羅 ( 鬼神 )が不老不死の薬「アムリタ」を得ようとして大海を攪拌 (かくはん)、その泡の中から誕生した愛と美の絶世の女神「ラクシュミー」そのものをさす、とも言われているそうだ。

 

そんなことから梯梧・デイゴの花は、「曼荼羅花・まんだらけ」とも呼ばれ、【天花/天華】とされている。「てん‐げ」とは《「てんけ」とも》天上界に咲くという霊妙な美しい花【デジタル大辞泉より】、の意味。

 

「ラクシュミー」は日本では「吉祥天」。

 

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奈良時代から平安時代にかけての貴族たちは、吉祥天と弁財天を美しい女性の仏として好んでいた。ところが鎌倉時代以後に吉祥天信仰が後退して、弁財天信仰に吸収されていった。

 

https://www.kyosei-tairyu.jp/shichifukujinn/bennzaitenn/78.html

↑『七福神の名前と意味を知る』

 

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なんでもインドでは水が特に神聖視され、水から生まれた神様であるラクシュミーは、同じ水となじみが深い象の神様であるガネーシャと仲良し、同時にサラスヴァティー河が神格化されたサラスヴァティーとも仲良しだと言われているんだとか。

 

サラスヴァティーは弁財天、弁才天なので吸収されてしまった「ラクシュミー・吉祥天」にとってもそれほど哀しいことはないんじゃないかと、個人的に。私の中では「サラスヴァティー・弁財天、弁才天」は「一柱」ではなく、すべてを包括、包含する宇宙意識そのものの「記号化」という位置づけ。ということはそもそも「ラクシュミー・吉祥天」は「サラスヴァティー・弁財天、弁才天」の一部であり、同時に「サラスヴァティー・弁財天、弁才天」そのものだったということになりはしないだろうか。

 

ここまでは少しだけ宗教チックに話を進めた。私自身宗教は「卒業」の段階に入っている一方で、「サラスヴァティー・弁財天、弁才天」とは縁の深さを感じ続けている。

 

さて、ここからが本題。

 

梯梧・デイゴは別名「珊瑚樹」と呼ばれるらしい、英名でも「珊瑚の木」。

 

「珊瑚」にひっかかり調べてみると、珊瑚色「コーラル」は第ニチャクラと共鳴する色とのこと。

 

仙骨チャクラ、セイクラルチャクラ、性腺チャクラ、ともよばれる「第二チャクラ」は臓器としては性器、膀胱、前立腺、子宮、腸の下部、循環器系に関係する。

 

キーワードとしては「生命力」「性的エネルギー」「創造的エネルギー」。

 

そう、ここで前エッセイの 毒婦の汚名返上なるか~いのちを悲劇で終わらせないために 【後編】 につながる。

 

【前編】【中編】【後編」の三部作でお届けした『毒婦と呼ばれた高橋お伝さん』の「痛み」と「嘆き」と「哀しみ」の象徴であったろう「切り取られた性器」にいのちが蘇った、より強い生命力を携え、「女神性」の情熱とともに。もっとも「女神」という言葉は後付けでそもそもは女神という記号さえなかったただ「在る」という概念だけれど。

 

ここから新たな「創造性」が本来のポテンシャルを発揮する。女性性、男性性の両性具有性を備えて。

 

その強いメッセージがあの天華「曼荼羅花・まんだらけ~梯梧・デイゴ」として視覚化されたのではないか。おそらくあの赤は血の色だ、生命そのものの色。高橋お伝さんはあちらの世界で本物のひとつに戻り、名前をうしない形をかえ、エネルギーをかえ、それでも確かに生きているのだろう、生命の歓びの一部として。

 

天の華、といえば今は亡き愛犬・華実 ( はなみ )の存在がちらつく。

 

彼らは肉体を脱いでも私たちのそばにいる、時に時空をこえて。

 

わかるか、わからないかのような微妙なニュアンスで「気」を伝えてくる。

 

 

 

 

 

◇第二チャクラ参考

 

https://www.timeless-edition.com/archives/11785

『自然と調和するライフスタイルを提案』

 

 

 

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