性暴力被害者という立場からの解放 7

期せずしてシリーズ化になってしまった『性暴力被害者という立場からの解放』、いよいよ当エッセイで一段落となりそうだ。

 

「大和川」、学校で習っただろうか、ニュースで目にするこの名称がやたら気になった。記憶がさだかではないのでさっそく調べてみる。

 

『ウィキペディア(Wikipedia)』によると『大和川(やまとがわ)は、奈良県および大阪府を流れ、大阪湾に注ぐ一級水系の本流。川の名前は大和国・大和盆地に由来する』とある。

 

なんでもこの「大和川」、古代から何度も洪水をくりかえし、江戸時代には人の手によって人工的に流れを変える「つけ替え」という工事が大々的に行われたんだとか。時代をさかのぼり、律令制定以降も度重なる水害、大洪水などの記録が残されている。延暦7年(788年)ごろには摂津郡の大夫であった和気 清麻呂(わけ の きよまろ)が治水工事にあたったものの完成に至らなかったという記事が後の『日本後紀』に記されているという。

 

和気 清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。いわゆる朝廷側、藤原氏 ( 飛鳥時代の藤原鎌足=中臣鎌足 を祖とする神別氏族/蘇我氏を滅ぼす) 側の人物である。歴史的にみるとある意味、「ヒーロー」のひとり。

 

この和気 清麻呂と当時勢力争いをしたのが、奈良時代の女性天皇、のちに「称徳天皇」となる「孝謙天皇」と僧侶の道鏡。一般的歴史観によると、女性「孝謙天皇」の病気を熱心な看病によって治した男性「道鏡」が天皇の寵愛を受け、のちに政治的権力に野望を抱いた、ということになっているのが定説。その「道鏡」と対峙したのが「和気 清麻呂」、朝廷サイドの人物。

 

後に道鏡は平将門、足利尊氏と共に「日本三大悪人」とされているという。

 

検索しながらの執筆なので文章がまどろっこしいことをさしひきながらも、なるほど、「道鏡」は「朝廷側、つまり大和」目線から視た悪人のひとりであって、果たして歴史的史実が「フラット」な目線かと言うといささか怪しいのではないかということが透けてみえてくる。

 

歴史的には明確に「和気 清麻呂」は「善」、女性天皇「称徳天皇」と「道鏡」は「悪」という二元論の設定がなされている。

 

歴史は勝者によって創られる、勝者である藤原氏、あるいはその系譜によって編纂された。そう、歴史は男性によって「書かれ」、男性によって「読まれる」。彼らにとって最大の「敵」は女性であり、女性を愚かな存在として貶め、女性を絡めて敵対勢力も貶める。勝者であるわれわれは絶対的善で、敗者である彼らは絶対的悪だ、と。

 

これは「男性中心社会」の大きな特徴、「善」と「悪」、「勝者」と「敗者」、「男」と「女」というようにすべてを二元論で論じる。「どっちもあって」とか「どっちもなくて」とか、「両者ともにほどほどに」とか、「お互いがお互いを尊重して」という価値観にはいたらない。これを女性、女性性、女性エネルギーも受け容れてきた。

 

だからいま、「ひずみ」が視覚化され、その「ひずみ」の「均衡作用」が現象化しつつある、さまざまなところで。ということは多くの人が行き過ぎた「男性中心社会」の中で自分自身も「ひずみ」が生じていることに気づき始めたのではないだろうか。ではどうしたらいいのか。一人ひとりが自分の意識に向き合うチャンスをもらっている。「男性中心社会」が長い間続いたからこその「いま」。

 

さっと調べただけでも「大和川」という単語からこれらのことが浮かび上がってきた。

 

つまり「大和川」には、この国が「日本」と呼ばれ始める頃 (  もともと「日本」という国があったわけではない )、いやおそらくその前から「水」による「均衡作用」が 働いていたことがうかがえる。まちがいなく「大和川」は「大和」の地の源なのだ。 さらに「大和」と記号化されたエネルギーの源。

 

その「大和」が「水」の力で揺れる、揺さぶられる。より「均衡」がとれやすいように、本来のエネルギーを想い出せるようにと。

 

「水」がこの世の始まり、とする説がある。ということはこの世界を本来の姿に近づけようとする調整作用も「水」によってなされる場合もある、ということだ。それに対して「善」「悪」で物事を判断するには限界がある。たとえそれが私たちの目には一見「悪」の「水害」「洪水」とみえたとしてもその本質は「恵み」である場合があるということなのだから。それは視えない目で感じられるものなんだろう。

 

「男性中心社会」の「国家」という概念のもとでは、勝者は「善」、敗者は「悪」と定義される。『勝てば官軍』、これは明治維新の時に作られた言葉だという。明治維新によってそれまでの数々の歴史が書き換えられただろうことは、ネット社会の「令和」の現在にはあたりまえのこととされつつある。

 

そもそもはじめから男性よりも劣っているとされた女性は、もしかしたら「勝ち負け」の土俵にもたたさせてもらえないのかもしれない。「男性中心社会」における「衆道」「男色」文化はそのあらわれのひとつではないだろうか。その概念はもしかしたら「国」が意識されたと同時に生まれたものなのかもしれない。

 

なぜ、私は「大和川」に反応したのか。それは昨冬わが家で植えた「なでしこ」の花の種が発芽して葉っぱが伸びた今でも蕾さえつけていないことに気づいたから。

 

「なでしこ」とは小さくかわいい花を愛児に託して名付けたものだという。

 

「大和なでしこ」、一般的には日本女性の美しさのシンボルとされている。意外にも平安時代から江戸時代くらいまでは広く「愛しい人」などの意味で女性だけでなく男性にも使われていたようだ。

 

ところがいつからか、「名のある男性に大切にされる女性」「男性をたてる女性」というように微妙に立場が変わる。特に昭和に入ってからは戦時中の国威発揚 ( 国家の威光をふるいたたせたり国民の意識を高める) のために「大和なでしこ」が意図的に活用されたという。

 

そう、「大和」とは「男性、または男性中心社会」の暗喩としての言葉だということがみえてくる。

 

種を植える時に私はこのことを調べていた。だからなのだろうか、わが家のなでしこは蕾をつけなかった、花を咲かせようとしなかった。私へのアンサーとして。

 

「男性のためにあなたのいのちはあるんじゃない、権力者のために生きる必要はない。あなた自身を生きて」

 

明治維新によって桜、特にソメイヨシノは軍事活用された。それと同じようにナデシコも本来の役割とは違うところに置かれた、男性為政者の権力によって。

 

このように男性、男性性、男性エネルギーによるリードはともすれば、花のいのちさえ私物化しかねない。そこにあるのは「所有」「管理」の意識。だからこそ、「排除」「排外」の意識も生まれる。逆に女性、女性性、女性エネルギーは男性、男性性、男性エネルギーによる「被所有」「被管理」「被排除」「被排外」を受け容れ続けてきたと言えるのだろう。

 

そのいずれもがあっての「いま」。パートナーだったということだ、互いに「男性中心社会」の。

 

「ひとつ」に戻るための「均衡」。

 

「大和」という概念を受け容れつつも、一方で俯瞰しつつ、様子を観察するきっかけをもらったような気がする。

 

「大和川」「大和なでしこ」がさまざまなきっかけをくれた。ここに今回の「水」のうねりのエネルギーが関与していることは確かだろう。

 

「水はすべてのいのちの母」なのだから。

 

当シリーズ、あえて整理はしない、ただ「性暴力被害者という立場からの解放」はなんとかうまくいったような気がする。それは外側の世界をなんとかしようとする努力ではない、私自身の真ん中の「意識の解放」に他ならない。私の場合、それは執筆という行為によって現象化させることができるということがくっきりとみえてきた。

 

もしもこのテーマに興味があるようなら、できれば1からすべてを読んでいただけるとより内容が明確につかめるのではないかと思う。

 

 

 性暴力被害者という立場からの解放 1

性暴力被害者という立場からの解放 2

性暴力被害者という立場からの解放 3 

性暴力被害者という立場からの解放 4

性暴力被害者という立場からの解放 5

性暴力被害者という立場からの解放 6

 

 

◇ 参考  にわか勉強のため書籍は一冊のみ

 

『神話と伝説にみる花のシンボル事典』 松原梨江子著

 

http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2015072600070/ 大阪府柏原市「大和川の歴史」

https://www.touken-world.jp/tips/59414/ 刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド刀

https://jpnculture.net/yamatonadeshiko/ 日本文化研究ブログ 「大和撫子」の意味

小学館 Domani(ドマーニ) 公式ウェブサイト 「大和撫子」

Yahoo! 知恵袋 「日本三大悪人」

 

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