性暴力被害者という立場からの解放 5

ジーンズについていたパールアクセサリーがとれた、それも一つではない、いくつも。

 

虚飾、という言葉が浮かんだ。

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虚飾(きょしょく、英語: Vanity)とは、他者に自己を良いように見てほしいため、うわべや体裁を整えること。周囲から自己をよく見てもらおうと無理をすること。実質を伴わない上辺だけの飾り。虚栄、見栄(みえ)ともいう。14世紀以前では、ナルシシズムの要素は無く、単に無価値(futility)を意味していた。

 

西洋美術では、虚栄心を多くの場合聖書の大淫婦バビロンや孔雀によって表される。略。虚栄心のシンボルは宝石、金貨、財布 略 。【『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用】

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イミテーションであるとはいえ、「パール」=「虚栄心」のシンボルであることに見誤りはないようだ。

 

では大淫婦バビロンとは何か。

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『黙示録』によれば“悪魔の住むところ”であり“汚れた霊の巣窟”である。女という隠語で表されておりきらびやかな装身具を身につけ、手に金杯を持つが、その杯は姦淫による汚れに穢されているという。略

堕落しきった女という隠語で暗喩されているもの 略 。【『ウィキペディア(Wikipedia)』より部分引用】

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上記を整理すると、

 

◇ 西洋美術では、虚栄心は多くの場合聖書の大淫婦バビロンや孔雀によってあらわされる

◇ 虚栄心のシンボルは宝石、金貨、財布でもあらわされる

◇ 姦淫による穢された霊の巣窟を「大淫婦バビロン」と呼び、それはそもそも「堕落しきった女」という隠語の暗喩である

 

ということが浮かんでくる。それらを「虚飾」といい、それは同時に「無価値(futility)」を意味しているということになる。

 

ひとつみえてきた。

 

旧約聖書の時代から、女性は堕落しきったものでそれらは姦淫による穢された霊の巣窟ともとれる存在。そもそもそれらは「無価値」な存在、「虚飾」の象徴、とされてきたらしいことが。あくまでもそれはひとつの側面として、だろうけれど。

 

いゃあ、まわりくどい。地球のエネルギーが大きく動いている時に私の文章はまわりくどくなる。

 

しかしスッキリした。そう、女性はそもそも「堕落しきった無価値な存在」だと位置づけられてきたのである、長い間私たちの潜在意識において。

 

それが「男性中心社会」のひとつの柱だった。はじめからひずみがあった。本来的「宇宙」「創造主」の概念では女性性、男性性の両性具有性が認められているという説がある。どこかで女性性と男性性が切り離され、同時に「男性性上位」「女性性下位」というヒエラルキーが構築されてしまったようだ。

 

そもそものいのちの概念では女性性と男性性は一体化している。当然その価値に「上下」「優劣」などはない。いずれもの特性、特徴があってお互いに補完し合いながらのひとつのいのちであり、それは同時にいのちのすべてだったのではないだろうか。

 

「男性中心社会」に傾きすぎるとひずみが視覚化されるのはなぜだろう。

 

それは「男性性優位」の概念は「本来」の姿、本来のひとつからかけ離れたものだから。本来の姿を取り戻すための均衡作用として、男性、男性性、男性エネルギーが暴発して、たくさんの人に視覚的にその事実を教えてくれるようになっている。

 

それがいま、伝統芸能、芸能、スポーツの世界をはじめとして如実にあらわれはじめている。

 

それだけではない。北朝鮮の弾道ミサイル報道。弾道ミサイルの形は男根と重なる。首相公邸での「階段寝そべり」「閣僚ひな壇」写真流出報道。「階段」「ひな壇」は男性性優位のピラミッド型社会の象徴。いずれにも「男性性エネルギー」の暴発がうかがえる。

 

「男性中心社会」において、なぜ、女性、女性性、女性エネルギーは「性暴力被害者」になりやすいのか。それははじめから女性、女性性、女性エネルギーは男性より劣る、穢れた堕落した存在、エネルギーとして設定され続け、同時にそれをほとんどのいのちが容認してきたから。

 

女性、女性性、女性エネルギーは男性のそれらより無価値なのだと。

 

男女いずれもの華美すぎる装飾は、無意識のうちに自分自身が無価値な存在だという潜在意識をますますふくらませてしまうという衝撃の事実も浮かび上がった。

 

最後にWikipediaの言葉を引用する。

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『今日の多くの宗教では、虚飾は自己崇拝として考えられている。自分のイメージのために、神の偉大さに自らの自己をなぞらえ、そしてこれより分離し、長い時間の中で神と神の恩寵から離れていくとされる。』

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私自身は「宗教」に興味がない。けれどヒントにはなる。 

 

無意識のうちに自分自身を無価値であると信じ込み、実質を伴わない上辺だけを飾ろうとするその意識と行為は、本物の「ひとつ」からかけ離れる「分離」システムの根幹となる。逆に言うと、私たちはありのままで貴重な存在だという本来的価値観を想い出すために、とことん「虚飾」の世界を構築し続けてきた、男性性が優位となって。

 

男性性のリードによる「虚飾」の世界があったからこそ、いま、そのバランスが見直されようとしている。

 

もうまもなく「均衡」が近づく。そのまえの「一見」ジタバタだ、断末魔だ。おそろしいだけの状況ではない。

 

その「均衡」作用、システムこそが宇宙の叡智であり、哲学であり、愛、なのだから。

 

パール付きジーンズ、お役目終了。

 

ありがとう。私の深いところでくすぶっていた自分に対しての強すぎる無価値観を解放させてくれて。

 

自分の本当の「価値」を想い出すためには「無価値」という概念も同時に必要。

 

どちらかだけが「良い」「悪い」ではない。両者あるからこそ。

 

 

 

※ 当エッセイ、2023/06/01 加筆修正

 

 

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