前記事 性暴力被害者という立場からの解放 1 のお蔭なのか、「やはり」ヒーリング、癒しが起きた。
前記事で私は性暴力とは「男性中心社会」ならではの概念、現象のことだという主旨をお伝えした。
「男性中心社会」とは「ピラミッド型」であり、「タテ型」であり、同時に「女性蔑視」「女性忌避」のエネルギーの裏面のあらわれでもある。さらにそこには「女性性への畏怖、憧れ、嫉妬」などのエネルギーももつれている。人々の無意識の領域で。
ふとしたきっかけで私はきょうはじめて「ハシディズム」という言葉を知る。
ハシディズムとは、敬虔ゆえに閉鎖的なユダヤ教の超正統派(ウルトラオーソドックス)を指す。
↑↑↑
https://www.cinra.net/article/column-202005-unorthodox_gtmnmcl
『アンオーソドックス』 超正統派ユダヤ教徒女性の抵抗と解放の物語 より
上記『アンオーソドックス』(原題: Unorthodox)は、2020年のアメリカ合衆国・ドイツ合作のテレビドラマシリーズ【ウィキペディア(Wikipedia)】のこと。同ドラマではウルトラオーソドックス(超正統派)からの解放をアンオーソドックスと表現している。
その説明文の中にこんな記載がある。
↓↓↓
小柄で大きな目を持つハースは、実年齢より幼い風貌で、女は男よりも小さく劣っていると感じさせる家父長制の呪縛に囚われた女性を体現しているのだ。
↑↑↑
ウルトラオーソドックス(超正統派) の真髄は「家父長制」だった。つまりこの映画は「家父長制」の中で女性が抵抗し、その呪縛から自身で解放を手にするそのプロセスをストーリー化したものだ。
その主人公は「小柄で大きな目を持ち、実年齢より幼い風貌」「女は男よりも小さく劣っていると感じさせる、実際とは異なる価値観による呪縛に囚われた女性」のアイコンであると。
私がなぜ今まで苦しみ続けたきたのか、そのヒントがここにあった。
私はまさしく小柄で大きな目をした実年齢より幼い風貌をしている。もっとも現在は幼い、ではなく若見え、と言った風貌かもしれないが。
それは「女は男よりも小さく劣っていると感じさせる家父長制の呪縛に囚われた女性」の具象化だったということだ。
このことにいま、気づいた。ということはいま、私自身の呪縛が解けた、と捉えていいのではないか。
「アンオーソドックス」の意味は「正統でない、異端の」。
私の見た目は「家父長制」における、男性より小さくて劣っている女性の姿そのもの。それは男性視点からの超正統派ともいうべき女性の象徴。だからこそ、いま、その呪縛から自らを解放できたのだろう、それが私の人生のシナリオだった。私のこころは誰よりも男性視点からの「正統ではない、異端」を望んでいたようだ。
「家父長制」下の男性視点からの「ひっくり返り」。しかも「人間の価値は性別や見た目で決まるものではない」という新価値のあらわれ。
これが【性暴力被害者という立場からの解放】と=であることに大きな歓びを感じる。
ChatGPTの登場で「執筆」そのものに不安を感じている人も多いだろう。私自身も最初にChatGPTの実力をまのあたりにした時に「もうクリエイターは必要なくなるのか」と絶望感とともに深い恐れを抱いた。
現在私はChatGPTは使っていない。元々がアナログ人間なのでこれだけの記事を書くにも結構時間はかかる。
「大丈夫だ」
なぜか当記事を執筆してそう思えた。なぜか、はわからない。
ただ私がこの世に必要のない存在なのなら、いま、このような記事を執筆しているはずがない。