きょうは三浦春馬さんの二度目の月命日。
朝一番で「春馬さんが白蛇にまとわりつかれていたシーンが浮かんできた」という情報を目にしました。すぐ消されてしまったようで今は目にすることはできません。
白蛇 ? 白蛇は富をもたらすとされる縁起物。同時にインド・ヒンドゥーのサラスヴァティーの化身とも言われています。日本では「弁天」「弁財天」と言われていますね。
サラスヴァティー、芸能、芸術、学問の神さまです。春馬さんの『Night Diver』のPVではたくさんのロープにもたれかかるような春馬さんがいます。足元は水。
サラスヴァティーは川の化身といわれ、同時に水神とも呼ばれています。また 仏教の法話で「蛇縄麻だじょうまの譬え」というものがあります。麻でできた縄を蛇にみまちがえる、というお話。細かい教えはともかく、あまりにも深く思い込みすぎると本当の姿を見失ってしまうこともあるよ、というのが私なりの勝手な解釈。ここから私は『Night Diver』は一見ロープで縛られた自分自身の立場と心を憂いているけれど、魂の世界ではあれは白蛇、サラスヴァティー、芸能、芸術の神様に守られている春馬さんそのものをあらわしているのではないか、と感じたのです。
魂の世界とはあちらの世界のこと。
こちらでは手綱につながれ苦しい想いをした。けれどあちらの世界に行ってみたら、手綱だと思ったものは実は神の姿そのものだった。春馬さんは私たちのいるこの世界とはまったく別のところで、別の価値観で、それでもなお芸能、芸術の神様に見守られ、魂の旅を続けているのではないでしょうか。
あちらの世界で春馬さんはさらに高みに上り、魂の彩度を上げているのではないか。その姿をこちらの世界の誰かが目にして「春馬さんが白蛇にまとわりつかれていた」と表現したのではないでしょうか。その表現をたまたま私は一瞬目にした。「白蛇 ? サラスヴァティーだ」と認識するために。
『Night Diver』のPVについて、さまざまな噂がなされ、私も最初はギョッとして落ち着いて観れる気分ではありませんでしたが、あの、春馬さんのダンスの完成度、あんなに痩せているのにキレッキレの舞いを力強く魅せてくれた、そしてあのヴォーカルも素敵です。何回か再生を重ねるうちに、やはりこれは春馬さんが全身全霊で生の歓びを伝えようと表現してくれたものだと、ただそれだけを楽しませてもらおうと、そんな風に感じるようになりました。
先ほども観てきました。なるほど、サラスヴァティーね。曲の解釈が一人一人異なるように、PVの解釈、画像の解釈もそれぞれ異なっていいはず。魂は何を言いたかったのか、おそらく、ここ、ではないでしょうか。どんな作品であっても、パフォーマー、アーティストが意図する最高の世界を、私たちオーディエンスはそれぞれの感性でそれぞれの世界を堪能すればいい。その解釈は、多彩。多才であり多芸である春馬さんの作品を観て、一人一人異なるケミストリーを思う存分楽しませてもらえばいいのです。
春馬さんの旅立ちに対して、今、情報があふれまくってアップアップしてしまっている場合も少なくないかもしれません。三浦春馬さんの旅立ちが教えてくれたこと でお話しているように、私自身は「その時がきた」とのメッセージを感じました。そう、大いなる存在との約束の元。
旅立ちの直前の春馬さんの苦しみは誰にもわかりません。ただ、どんな旅立ちだったとしてもその時、お迎えはちゃんときていたのではないかと。春馬さんの「せかほし」の最終回の映像を観てそう感じました。あの時、すでに彼のオーラから何かが一部抜けだしているのを感じたのは私だけではないのではないでしょうか。
こちらの世界では春馬さんを苦しめたかもしれない手綱があちらの世界ではカミの愛の抱擁の姿だとしたら。
今、春馬さんはあちらの世界で穏やかな時を過ごしているはずです。彼が求め続けた「愛」のただなかにいるのですから。「愛」のひとしずくとして。私たちには視えなくても確かに「愛」の中で生きている、三浦春馬という魂。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです 三浦春馬さんの旅立ちが教えてくれたこと
春馬さん作詞・作曲の『You and I』、こちらも素敵ですね。ラブ・ソングのその先の魂の世界では私はこの曲は男性性と女性性が統合してひとつになり、カミそのものとして昇華していくイメージを感じました。
歌詞に出てくる「くぐもる」という言葉。一つには茨城弁との情報がありました、意味は口ごもるとか内にこもる、といったもの。
個人的にこれかも、と感じたのは、 「武庫の浦の入江の渚鳥(すどり)羽(は)ぐくもる/万葉集 3578」。ここでの表記は「くぐもる、ではなく「(は)ぐくもる」です。意味は「中に包まれる」。武庫の浦の、入り江の州にいる(雛)鳥が、(親鳥の)羽の中に包まれ保護される、という解釈になるんだとか。この親鳥の羽根、がまさしく地球なのではないか、と。男性性と女性性がひとつにまぐわい、母なる地球の懐に抱かれ、そのひとつとなる。まるでそれは羽根のようなやわらかさで溶け行くかのようにどこまでもたおやかな世界。
だとすると三浦春馬さんは、愛する女性への想いの奥に深い深い母への想いを重ね合わせたのかもしれません。春馬さんの愛するお母さん、そして魂の母「マザー・アース」。春馬さん自身の女性性の成熟も感じました。私たちには誰にでも男性性、女性性があるのです。激しく猛々しい男性性と、穏やかで優しくおおらかな女性性。その融合の先に至福の世界があると。
この曲を聴くとなぜか母親の胎内にいるような気がしませんか。羊水に包まれ、安全で安心できる世界。春馬さんが生前何より望んだだろう、無条件の愛の世界、です。胎内回帰。
これだけの世界観をあの曲の中に詰め込んでくれた春馬さんの天賦の才能に改めて感謝したいと思います。同時に私たちにもそのような才能が備わっているんですよね、誰にでも。もちろん春馬さんとは異なる才能。けれどそれらはすべて唯一無二のもの。すべてこの、母なる地球のために与えられたもの。
※ 追々記 2020/09/19
くぐもる→はぐくもる。もしかしてこれは愛を育む、という意味も込められているのかもしれませんね。深淵なる愛を育む、という意味。
だとするとこの曲は男性性と女性性が統合した「自分自身」への愛を大切に育む、という「自己愛」メッセージも込められているのかも。自分を大切に、という春馬さんのもうひとつのメッセージなのかもしれません。