三浦春馬さんの旅立ちが教えてくれたこと

俳優・三浦春馬さんが旅立たれてまもなく2か月がたとうとしています。旅立ち直後から何回か魂レベルでのメッセージを感じ取っていて、執筆しよう、執筆しよう、と思っていたもののなぜか執筆できず、今に至りました。

 

私のメッセージの感じ取り方は特定の誰かの声が聞こえて来たり、特定の何かの映像が浮かんで来たり、という方法ではありません。自分の中に概念として「こういう感じ」という、ひとつのストーリーを生み出すための「単語」「キーワード」がポコンと突然浮かび上がってくるのです。「ひらめき」のようなもの。

 

ものすごく個人的なものです。「これが事実だ」と言えるものではありません。ただ、私自身にとっては大切なメッセージとして浮かんできているものなので文章化していくことにします。私個人の解釈、仮説、感じ方、ということをご理解の上ご覧ください。

 

さて、きょう浮かんで来たのは「時系列でメッセージを執筆する方法」だったのですが、なぜかその方法は却下され、「馬」について書け、と。「春馬さん」のお名前で印象的なのはやはり「馬」という文字ですよね。

 

さっそく「馬」について調べてみました。以下は『アニマルスピーク~自然の力を借りる』(テッド・アンドリューズ著)という書籍を参考にしてまとめたもの。

馬ほど文明の発展に貢献した動物はいない。馬は生死の儀式に関連付けられてきた。神話の登場人物は馬にのって現世を去来する。ヒンズー教の太陽神「スーリア」やギリシャ神話の太陽神「アポロ」は雄馬がけん引する戦車にのっている。

 

中国十二支における「午・ウマ」は訴求力や説得力の象徴。特に手綱のついていない馬は「自由」をあらわす。

 

◇ ここで一旦切りますね。「馬」が太陽神と深いかかわりがあること。さらに「馬」によって私たちの文明が発展してきたこと。個人的に『特に手綱のついていない馬は「自由」をあらわす』が気になりました。これ、春馬さんの『Night Diver』のPVと関係がありそうな気がします。

 

春馬さんの干支を調べてみました。1990年生まれ、午・ウマ年だそうです。『「午・ウマ」は訴求力や説得力の象徴』とあります。特にここでは訴求力、に気持ちが動きました。同時に「説得力」。春馬さんは何よりも自分の作品に「説得力」を持たせようと、一つ一つ、大切に魂を込めて完璧を目指しつつご自身のキャリアを積み上げたのかもしれません。

 

↓以下『アニマルスピーク~自然の力を借りる』(テッド・アンドリューズ著)参考

馬がいたからこそ人々は地域社会を出て、見聞を深め、外の世界に触れるようになった。馬がいなかったら人間社会が国際化することもなかっただろう。乗馬を空を飛ぶことにたとえる人は昔から多かった。海風や波しぶきに見立てる詩人もいる。

 

◇ 国際化の要、あるいはシンボル ?  春馬さんの「海外進出の夢」に関係はないでしょうか ?  また『海風や波しぶきに見立てる詩人もいる』→ 春馬さんは詩人でした、サーフィンが大好きでした。

 

↓以下『アニマルスピーク~自然の力を借りる』(テッド・アンドリューズ著)参考

馬の象徴的な意味合いのひとつに「変化と移動」がある。馬がトーテムとしてあらわれるのは新しい活動を促すためかもしれない。馬がトーテムとして現れたら自分の行動範囲や守備範囲について振り返ろう。今の生活に閉塞感はないか。自分を解放し、新天地を求める時期に来ているのではないか。自分の周囲を「文明化」することに貢献しているか。周りの人はどうだろう、文明社会に感謝しているだろうか ?

 

◇ トーテムというのは自分を守ってくれる「守護動物」のことを意味しています。同時にこの著者は動物は「精霊の仮の姿」としています。

 

馬は「変化と移動」の時を告げる動物、あるいはそれを促す動物。最初の項目で『馬は生死の儀式に関連付けられてきた』とあります。まさに今回春馬さんのこの世での「生」が終わり、「死」という形で、私たちの前に大きなメッセージを投げかけてくれています。同時にそれは春馬さんの「変化と移動」をあらわし、一方でその情報を受け取った私たちの「変化と移動」へのキッカケづくりをしてくれているのではないでしょうか。

 

『文明社会に感謝しているだろうか ?』、どうでしょう、私たちは今のこの文明に感謝しているでしょうか。逆に文明社会だからこそ、春馬さんの旅立ちを通じてさまざまな人とつながり、さまざまな情報とつながり見聞をさらに広めることができているのではないかと。

 

そもそも私たちの見聞を広めるために「馬」という動物が存在した。その、「馬」そのものの存在に敬意を払っているでしょうか。「馬」は「変化して移動する」ことによって、私たちに自分自身の解放を促そうとするのかもしれません。そしてそれこそが新たな文明の始まりとなるのです。ということは春馬さんの旅立ちには「夜明け」という意味も含まれているような気がします。春馬さんの、私たち自身の、そしてこの世の中の、「夜明け」。

 

↓以下『アニマルスピーク~自然の力を借りる』(テッド・アンドリューズ著)参考

馬のトーテムは旅の供。行く先々で自由と活動の場が待っていることを伝えているのだ。

◇ここ、これこそが今回の春馬さんの旅立ちが魂レベルで私たちに伝えたいところだったのではないでしょうか。

 

同著書には『馬には神通力がある。馬は人間がもつ神秘を教えてくれている』と書かれています。おそらく私は今、馬、という名の精霊のエネルギーによって当エッセイを「書かされています」。

 

ここからわかることは、春馬さんのこの世でのストーリーには、「死」というステージが「生」と同じレベルで組み込まれていた、ということ。春馬さんの「生」の課題が「神秘の表現者」だったとしたら、「死」もまたその表現のひとつとして必須だったということ。どちらにも優劣はない、ということでしょう。さらに彼は「死後」の世界に移行してもその神秘の旅、表現者の旅を続けている、ということ。

 

おそらく馬の精霊に守られて一生を送ったであろう春馬さんは、今、さらに高みの存在となって、『旅の供』として私たち一人一人を見守ってくれているのかもしれません。

  

春馬さんの『Night Diver』は「今の生活に閉塞感はない? 自分を解放し、新天地を求める時期に来ているんじゃないかな ? 僕が一足先に行って「自由」を手にして待っているからね。安心して。僕はみんなの旅の供だから。僕たちが自分の意思で突き進む先々で自由と活動の場が待っていることを証明して待ってるよ。あなたたちの世界がさらに素晴らしき新天地として光り輝くように、ね」と、彼の魂としての光のメッセージがこめられている気がするのです。

 

『Night Diver』のPVではロープとループがかけられていて、思うように前進できない、縛られるようながんじがらめの苦しみが表現されていると感じました。

 

が、実はあれは「運命の輪」からの逸脱。そう、カルマの世界を超えて自由な世界に飛び立つよ、きっと世界は変わるよ、あなたたちの一人一人の運命の輪もあなた自身の意思で変えることができるだろう、という意味だったのだと、春馬さんの旅立ちの後、あのPVを観て何回かめに、そのメッセージが私に届いていたのです。「カルマの解消」という意味。

 

私はタロットはまったく門外漢、ただ少しだけ興味があって「運命の輪」というのはタロット・カードの中の一枚の意味です。カードの解釈は人それぞれのようですが、ja.wikipedia.org/wiki/運命の輪によると

 

『転換点、幸運の到来、チャンス、変化、結果、出会い、解決、定められた運命、結束』

 

となっています。春馬さんの旅立ちは春馬さんにとっての転換点であると同時に私たち自身の転換点であったのかもしれませんね。

 

また私は自分を他人に明け渡すな ! の中で春馬さんの旅立ちに対して『「この旅立ちは大いなる存在との契約によるもの、約束通り」という内容でした。どんな最期であれ、その形がどうであれ、すべて大いなる存在との約束による、壮大なスケールでの出来事だというメッセージがすぐに浮かんできたのです。あちらからみれば、です、こちらレベルの話とはまったく別の視点』ということをお話しています。タロット・カードの解釈に添うのなら、「定められた運命」。そう、もしかしたらあのPVを残したことも、あの時、さまざまな疑問を残しながら旅立っていったのもすべてあちら側との契約による「定められた運命」なのかもしれません。こちらの世界での常識とはかけ離れたところでの。

 

そのあとに「結束」とありますね。私たちは手綱から「自由」に解き放たれた春馬さんの魂を通じて、何か運命的な結束という、大きな変化のチャンスをもらったのかもしれません。

 

自由たれ。

 

これこそが今回のできごとの魂レベルのメッセージなのだと。確か春馬さんは「自由」という言葉を何よりも好んだ、というような話をどこかで見聞きしたような気がするのは、私の想い違いでしょうか。

 

 

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※ 追記  当エッセイの前のエッセイはこちらです 自分を他人に明け渡すな ! 

 

当エッセイは私の仮説であり、解釈であり、すべての方に共感していただける内容にはなっていません。ただ、書いてよかった、書けてよかった、と心から感じました。

 

それにしてもビックリしました、こういう展開になるとは。

 

なぜ「馬」なのか。私はやはり動物君との縁が深い。いろいろな側面で三浦春馬さんの人生を解き明かすことができますが、私は「馬」からのアプローチを約束されていたんですね。

 

「馬」に限らず、動物君は何らかのメッセージをもって私たちの前にあらわれてくれた存在、上記参考文献によるところの「トーテム」だと私自身も感じています。

 

「馬」と聞いて「文明の発展に貢献してくれた」なんてちょっと気づきませんしたが、確かにそうですね。しかも「文明に感謝していますか」って、ホント、大切なことを忘れていました。

 

私たちの身の回りに起きているすべてに感謝できるか、という理想論と現実とのギャップ。それでも「馬の姿を借りた精霊」たちのハートの温かさに触れられて、心から感謝の想いです。

 

三浦春馬さん、ありがとう。私たち一人一人、一つ一つの命が「ありがたき」存在なのですね。あなたの旅立ちによって、私たちはそれぞれに新たな旅の一歩を踏み出せてもらったのかもしれません。その感じ方が一人一人違っていたとしても私たちの「自由」に向けての新たな旅の始まりは確かに、あったのです。

 

それをどのように「この世の文明」につなげて行くのか、その課題はそれぞれがしっかりと自分の胸に刻むべきことなのだと、この出来事の魂レベルでのメッセージをしめくくらせてもらおうことで、私の「自由」への一歩をさらに進ませてもらったと感謝しています。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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