自分の人生を「他人」に明け渡すな、というメッセージが浮かんできました。
実はこれ、俳優・三浦春馬さんの旅立ちについて考えていたら、急に浮かんできたのです。私は春馬さんが亡くなってすぐ、魂レベルに近いところでのメッセージをいくつかキャッチしていました。春馬さんの声をキャッチしたとか姿をキャッチした、とかではありません。自分の魂が勝手に「今回のこの現象の真意はこれだよ」とキャッチしてしまうのです。
私は霊能者ではありませんが時々このように魂に近いレベルの情報をキャッチします。おそらくこういうタイプの感受性を持ち合わせている方は多いのではないでしょうか。
そのキャッチした内容を整理して私なりに言葉で記そうとしていたら、突然「自分の人生を他人に明け渡すな !」という概念が浮かんできました。
どういうことか。
その直前までYouTubeで占い師と呼ばれる人、数人の、春馬さんに対する動画を観ていました。中には霊感が鋭い、としている人も。
今回、春馬さんが亡くなったことをきっかけに、私はチャネラーと呼ばれる人、タロットなどのカード類を使って占いをしている人、さらに独自の手法で占いをしている人数人の動画を観させてもらいました。
なるほど、そういう視点があるのか、と目からウロコのところもあれば、「ん ?」というところもあれば。姓名判断のような占いも含めて、多数の人が同じことを言っていたのは『三浦春馬さんは運命的に短命の相があった』ということでしょうか。占いの世界に疎いので正しい表現は忘れてしまいましたが。
これは私自身もキャッチしました。ただし、私の場合は「短命である、という運命」という表現ではなく、「この旅立ちは大いなる存在との契約によるもの、約束通り」という内容でした。どんな最期であれ、その形がどうであれ、すべて大いなる存在との約束による、壮大なスケールでの出来事だというメッセージがすぐに浮かんできたのです。あちらからみれば、です、こちらレベルの話とはまったく別の視点。
今頃言うと後出しのように聞こえるかもしれませんが、このことは登録読者さまに向けたメール・マガジンで配信させてもらっていますので、証拠、証人あり、の内容です。この点、宗教家やスピリチュアル・ティーチャーなどは「自〇」というカリキュラムはない、とされていますが、私はそれとは異なるメッセージをキャッチしました。当然のことながら「自〇」を推奨する、という意味ではありません。
もちろん、どちらが正しくてどちらがまちがっている、ということではなく、一般的常識はそうかもしれないけれど、私は「たまたま」それとは異なる情報をキャッチした、私の中に浮かんできた、というのが事実です。
この大前提ともいうべき、スタート地点。まぎれもなく、私自身がキャッチした内容です。
ところがさまざまな情報を見聞きするうちに、柱がずれてしまっていることに気づきました。Aさんはこう言っている、Bさんはこう言っている、Cさんはこう言っている、整合性を照らし合わせると、もしかしたらこれが事実なのかな、というイメージが漠然と浮かんでくる。ところが時が経つにつれて、情報の方向性が変わってきて、こんな情報も出てきた、あんな情報も出てきた。一体、事実は何なんだろう、と。
そこで「自分を他人に明け渡すな」が出てきたのでしょう。他の人がキャッチした情報はその人にとっての事実だとしても、私にとっての事実とは限らない。逆に言うと、万人にとっての事実をキャッチできる人はこの世の中に存在しない。誰もが自分にとっての事実をあたかもすべてにおいての事実であるかのように、あるいはそんなことさえ思わず、「占いではこう出ました、私の鑑定ではこうなりました。私のチャネリングではこうなります」のように発信しているに過ぎない。
それに対して「ごもっともです。あなたの直感をすべて受け入れます」と言っている人がたくさんいて怖くなりました。同時にそれは私自身の姿として、私が私に警鐘を鳴らしていることに気づきました。
そもそも、の大原則で私自身が受け取った柱を崩してまで、他の人がキャッチした、その人にとっての「事実」を私自身の「事実」として受け容れる意味があるのか。
答えはノー、です。
春馬さんの旅立ちについていろいろな説があることはちゃんと理解しています。
私にとっての事実は、『自分の人生を「他人」に明け渡すな』ということ。ただこれだけ。
この後、余裕があればおいおい「三浦春馬さんの旅立ちが教えてくれたこと」についてお話していきたいと思いますが、もしも情報に振り回されて、苦しみがより深くなってしまっている方には、私のようなメッセージも何かのヒントになるかもしれませんので。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです マスク鬱から自分を守る方法
霊能者ではない私が霊能力について調べてみました でお話したように、私には以前霊能者の友人がいました。すでに他界しています。
彼女とのやり取りの中で当時は「すごい ! そんなことが視えるんだ」といわば尊敬のまなざしで彼女を捉えることが多かったのですが、今となっては、彼女が視ていた世界は彼女にとって必要なものだったけれど、その世界すべてが私にとって必要なものではなかったのでは、ということがわかり始めてきました。
彼女との間にあった「癒着コード」「共依存コード」が外れてくれたお蔭なんだな、と。少しずつでも進化、成長させてもらえる私たちの人生のありがたみに今頃気づかせてもらえた気分です。
ちなみに「霊能力」というのは本来すべての人に備わっています。それを認識しているか、そうでないか。それを上手に使いこなせるか、そうでないか、の違い。
霊能者を取り立てて「特別視」する考えはあちら、魂の世界には存在しません。これもまた私にとっての「事実」として私自身がキャッチした情報に過ぎませんけど。