霊能者ではない私が霊能力について調べてみました

私は霊能者ではありません。少しばかり霊感はあるかもしれないけれど。

 

俳優の三浦春馬さんが亡くなって、霊能者、サイキック能力者の存在が頻繁に目に飛び込んでくるようになりました。そもそも霊能者ってなんなんだろう ?

 

そこから出てきたひとつの答え。そもそも論でいうと私たちは誰でも霊能力が備わっているそうです。霊感と言ったらいいでしょうか ?  その能力を自分自身で認識している人。それを「霊能者」というらしい。

 

偽物の霊能者はいるのか ?  本物とはどんな人なのか ?  これも調べてみました。

 

霊能力は誰にでもあるので「偽物」という解釈は正しくない。ただし「本物」という解釈も正しくない。「割とまとも」な「霊能者」と「そんなにまともではない霊能者」という解釈が正しい、と。

 

私が言ってるんじゃないですよ~、調べてみたらそう書いてありました、ということです。

 

「霊能者」=「人格者」か、というとこれも正しくはない。

 

そもそも霊能力は誰にでもあるものなので、その能力の使い方が得意な人とそうでない人はいる。が、元々のところで霊能者も普通の人。自分の中に心の闇もあるだろうし、エゴだってたくさんある。その人が「霊能力」を使って何かが視えたり、何かが聞こえたりしても、その内容のアウトプットには必ずその人なりの「フィルター」なり「バイヤス」がかかる、ということです。

 

そこから考えると「割と当たる人、割とまともな方向性の意見を言ってくれる人」、そういう「霊能者」を一般的に「本物」と言っているようです。その逆が「偽物」。正しくは「霊能力はあるけれど、自分の心の闇が深かったり、エゴが強かったりする人は霊能力を使っても、あまり効果的ではない結果を見出し、それを人に伝えているらしい」ということみたいですね。「本物」、「偽物」ではなく。

 

これ、おもしろいですね。ある「霊能者」のサイトにたまたまきのうたどり着いたのですが、その方によると「本物の尺度は人によって変わるもの。我こそ本物と言う必要もないし、人のことを偽物と言う必要もない。それよりも自分自身の課題にいかに真摯に向き合うかの方が自分にとっては大切」というような主旨の話が書かれていました。

 

個人的にはこの考え方がしっくりきました。

 

「霊能者」というとものすごく特別な能力をもった素晴らしい人、と思ってしまいがちだけど、それは「霊能者」を特別視するこちら側に強い劣等感があるからこそ、の捉え方。

 

あぁ、そっか、私には「霊能力」に対する強いコンプレックスがあるんだ、とストンと腑に落ちました。仮に「霊能者」の方を頼る場合、その人が有名だからとか、あちらの世界のことをよく知っているからとか、そういう視点でその方の能力を判断するのではなく、「人として素敵な人か、自分と感覚が近いか」、ある意味お友達目線でその人をみた方が良いらしい、またその意見はあくまでもヒント。最終的判断は自分がする、ということが私の個人的結論です。

 

それとこうも書いてありました。「100%あたる霊能者はいない。100%あたるくらいの人だったら、すでにこの世にいる必要はなくなる」と。そう、「霊能者」は「霊能力」をもって自分の人生の課題をクリアしていくお役目があるんだとか。私たちが自分の一番得意なところをうまく使って世の中に貢献させてもらったり、自分自身を成長させたりするのと何らその本質は変わらないんだそうです。

 

なるほど !  どんなジャンルでも「我こそ一番。我こそ本物」と言っている段階で、まだまだ発展途上にあるということなのかもしれないですね。のびしろがたくさんある、ということ。自分の中のベストを探ろうとするということは、徹底して自分の真ん中に目を向けることなんだな、と改めて納得しました。外側の誰かと比較して「私の方が勝ってる。私の方が上(あるいはその逆)」という捉え方はもうそろそろ卒業しなさいということなのかもしれません。

 

 

 

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※ 追記  当エッセイの前のエッセイはこちらですデリケートなセクシュアリティーの課題に向き合う

 

人はそれぞれこの世でのお役目が異なります。自分にない能力を持っている人を必要以上に羨むことは自分のエネルギーを変な方向に使ってしまうことにつながります。

 

「あ~、素敵ね」ぐらいにとどめておいて、「何が何でもあの人のことは信じちゃいます」まで行くとちょっとやりすぎな場合も出てくるかもしれません。

 

以前、私には霊能者の友人がいました。その友人はすでに他界しました。彼女の晩年、私たちの関係はそれまでのものとは大きく変わり、疎遠になっていました。きょうのこのエッセイの中身を知っていたら、彼女との付き合い方も変わっていただろうな。もしかして気づかせてくれたのは、彼女の「魂」なのかな、とふと今そんなことを感じました。

 

彼女は突然死だったので、旅立ちから数年たった今、こちらでやり残したお仕事をひとつやり終えたのかもしれないですね。

 

「私たちの関係は相手が誰であってもフラット」でという、大切な学びのチャンスをもらったような気がします。

 

 

 

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