私は完全なるアナログ人間。良い、悪いの評価はなく、事実としてそうなのだ、という意味です。
ここ数年、テクノフォビアという言葉らしい概念、テクノ恐怖症に苦しんできました。テクノ恐怖症とはネット情報によると『コンピューターの操作やメカニズムに慣れないため、心身が拒絶反応を起こすもの』となっています。
私の場合はパソコンの機能が理解できない、パソコン用語というかその手のものがまったく頭に入ってこない。仕事でパソコンを使っているので最低限の機能だけは理解できるけれど、ちょっと新しい要素が出てくるとまったくお手上げ状態。
このことで相当のコンプレックスを感じてきたけれど、今、ある本のレビューを読んでナゾが解けました。
『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること 』ニコラス・G・カー (著)という本です。私なりのバクッとした要約によるとこの本はネットによって私たちの認知能力や社会行動がどう変わっているかの着眼点で書かれたもの。タイトルからうかがえるような「ネット時代がいけない」、というアンチの視点ではなく、著者自身ネット依存に近い生活をしているが、時にオフラインの時間を持つことの重要性を説いているとのこと。インターネットの発達、浸透は素晴らしく文明を発達させたけれど、その文明は今、どうやら知識を蓄積できる「農耕社会」から、知識をその場で消費する「狩猟採集社会」へと戻りつつあるものらしいというのです。
今、本当に本を読む人が少なくなったと言われています。私が最近出逢い、どうも話があわない、と感じた人はすべての感覚をポエムで捉えていました。それはそれでものすごく素敵な感性だと思いますし、できれば私もそういう感覚に近づきたい。けれどその人は大切な情報を次の瞬間に忘れていると言います。その人は循環のシステムに上手に乗っかっているのだろうかと感じていたのですが、この本によると知識を蓄積して思考に結び付けることがあまり得意ではない、ということのようですね。
一方、私は知識をその場で消費するのが苦手な脳なので、どうしても知識を蓄積してしてしまうのだ、とわかりました。私も私なりにネット社会に追いついていこうとインターネットを活用する時間は少なくありませんが、それでも私の脳は知識蓄積優位モードでい続けているため、つまりは脳がガンコなのかもしれません。それがテクノフォビアとなって私のパソコン恐怖症を創り出していたようです。
どちらが良い、悪いではなく、その場で知識を使い、すぐに切り捨ててしまえるのはどちらかというと「狩猟採集社会」に適合した人たち。私たち日本人は欧米人と比べれば「農耕社会」型民族ですから、あまりにもデジタルに没頭すると、場合によっては本来の自分と乖離してしまうこともあるかもしれません。
決してアンチ・デジタルの視点ではなく、そもそもデジタル脳は、知識を浅く広く、そして循環のさせ方も上手で、一方アナログ脳はどこか一点に集中したり、何かを掘り下げたりが得意なのでそれらが一致することの方が難しく、ただ100%アナログ脳だと時代の波に置いていかれてしまうので、適度にデジタル脳を活性化させられるように自分のペースでパソコンに向き合っていればいいのだな、ということが明確になりました。
デジタル脳=「狩猟採集社会」、アナログ脳=「農耕社会」。きっちりとした区分けではないでしょうけど、一つの目安としてこの分類はなかなかに腑に落ちるところです。デジタル脳はさらっとしていて深追いはしないけれど深読みができにくい。一方アナログ脳は、ねちっこくてなかなか前に進めないけれど、深読み、掘り下げ、集中力という点ではそれなりの力を発揮してくれる。両者のバランスを取るためにはオフライン時間をしっかりとりながらインターネットを適度に使う。
やはりここでも「ほどほど」がお互いの力をより引っ張り出しやすくできるのだな、と感じました。
デシタル、アナログ、どちらかがいけないのではなく両者のバランス、自分のペースに合わせて、ですね。
この本のレビューを読んではじめてわかりました。しっかりと本を読んだ人はしっかりしたレビューを書く傾向が見受けられます。この手の人はアナログ脳が健在だ、ということ。レビューを書かず、例えば「良い、悪い」だけの評価をしていたり、星の数だけでの評価になれている人は短期決戦に強い人。その時の瞬発力などは半端ないくらいの勢いがあるのでしょう。私たちの脳はどちらかだけ、ということはあり得ませんからケースバイケースでそのいずれもの力が上手に引き出せるようになれるように、自分自身への応援の意味で当エッセイを記したのかもしれません。
ペーパーレスが叫ばれているけれど、紙の本には紙の本の良さがあると改めてそう感じました。効率化は重要なポイント、それでもやはり人にはそれぞれユニークな個性があるのでお互いにそれを尊重し合えるように。
私と同じように機械オンチというコンプレックスをもっている方。こういう時代だからこそ私たちのアナログ脳が役に立つこともあるかもしれませんね。「自分はデジタル時代の落ちこぼれだ」と思いすぎて自己否定を深めないようにお互いに自分の長所もちゃんとみてあげましょう。
今時長文が得意なんて、いい意味での天然記念物かもしれませんから。
一方デシタル脳の方。アナログ人間にも優しくしてください。理解したくてもどうしてもできない脳は存在するのです。これだけはほんと、努力ではなんともできないのです。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。私は仮面うつ病 ?
私たちは人より劣ったところがあると自分はダメな人間だ、と自己否定を深めます。劣っているからこそできること、劣っているからこそ他のところがより光り輝くことだってあります。人より劣っていること = 欠点 =なければいいところ、ではありません。欠点にこそ個性があらわれることだってある。
自分を認めて受け容れていきましょう、嫌いな自分を排除するのではなく。
テクノフォビアについては心理学的にみて、あと一歩掘り下げたいところですが、ここまで書いただけで自己受容、自己肯定が進みましたのでこれはこれでヨシ、と。