自粛生活、緊急事態宣言生活。三か月が過ぎました。
最初の一か月は大したことがなかったのですが、後半二か月はしんどかった。これは北海道や首都圏ならではの試練だったのかもしれませんね。
わが街はホテルがたくさんあるリゾート・エリア。そのホテルから一軒一軒と灯りが消えていく、なんとも言えないもの悲しさにやっとピリオドが打たれました。前エッセイ5月の花模様以来エッセイの筆が進まなかったのは、その間に自分自身に向き合い、自分の柱を立て直しなさいという、あちらからのメッセージを受けていたからのようです。
きょうは雨。ご近所の桜林へと足を運びました。もちろん桜の花はありません。けれど桜の木はちゃんと生きている。新緑のまぶしい季節も過ぎ去り、落ち着いた雰囲気での緑たちとの再会。「あ~っ、還ってきた」。正直、そんな気持ちです。
さて、この三か月、私はこころのゴミの大掃除をしていました。特に5月はメイ・ストーム、春の嵐ともいえる状態が私のこころの中で吹き荒れ、感情のアップダウンが大きすぎて起きていられない日もあったほど。
不思議です、今朝目がさめたらそれがすべて過ぎ去っていた。そう、私の中の春の嵐はかつてないほど強烈な勢いでやってきて、さぁっと何事もなかったかのように消えていきました。
その三か月間のこころの大掃除のお蔭で、私の中に「地球回帰、自然回帰、人間回帰」という状態が息をしはじめています。地球とはそもそもどんな生き物なのか、その中で自然とはそもそもどんな意味を持って生きているのか、そして私たち人間は自然の一部として、どうやって地球で命の営みをさせてもらっているのか。なんとなく、けれどクッキリとそんなことが私の中のイメージとして形創られつつあります。
それぞれどんなことなのか、その内容はおいおいお伝えしていきますが、ひとつはっきりしているのは、私たちは地べたにはいつくばって生きている動物そのものである、ということ。幼い時、私たちは四本足の状態でハイハイをして生きていました。いつからかそれが二本足になり、動物であるその事実をどこかに置き忘れてしまってきたかのようです。
今一度四本足でハイハイをしていたあの頃のことを想いだし、大地にしっかりと根をはやして生きていこう、と。
私にとってコロナ・ウィルスとは、そういう、ものすごく大切なことを想い出させてくれる貴重な存在でもあります。もちろん現実的にたくさんの人が苦しんだり、命を落としたり、という現実を軽視する、という意味ではありません。どちらも私にとっては現実だ、ということです。
たくさんの人がきょうから、新しい未来に向かって動き始めているはず。数年後、「ほんと、大変だったよね~」とそれでも笑いながら話せるような、そんな一日を踏み出せたでしょうか。それとも現実の辛さに耐えられなくて必死にもがきながら、でしょうか。そのどちらであっても私たちは生きている、この、母なる地球の懐で。
お伝えしたいことは山ほどあります。たくさん、たくさん。
※ 追記
不思議ですね、ご登録者さまに向けた新時代型メール・マガジンはかなりの頻度で執筆していたのですが、媒体そのもののもつエネルギーってあるのかな、なんだか、当サイトでの執筆が久々につらくて仕方ありません。
何か身体に重いものがのしかかっている感じ。
この手の媒体にも命が宿っていて、もしかしたらそのエネルギー調整をしなければいけないのかもしれません。
あいも変わらず意味不明のところがありますが、母なる地球に見守られながら、三か月間の「自分回帰」期間終了、ということでエッセイ執筆再開のごあいさつをかねて。