時代の変化、を感じます、新時代の胎動。
春分を過ぎたあたりから同じような感覚を持っている人も多いかもしれませんね。
きのうは法事でした。主人の父・義父の三回忌。私の両親、兄、そして元親友が突然死の形で旅立っていく中、義父はいわゆる大往生に近い形での旅立ちでした。
もちろん残された家族の中には「もっとこうすればよかった」「もっとああしてあげたかった」などの後悔は残っているでしょうが、桜の季節の旅立ちでもあって、私としては割とスムーズな移行を感じることができました。その義父の一周忌の時に私は義父からのメッセージを受けていたのです、「自由になれ」と。それを受けた形なのか、きょうとてつもない感情が浮かんできました。
ひとつは「嫉妬、羨望、妬み」などの感情群。もう一つは「気の使いすぎ = 見栄っ張り」という感情群。両者ともにもちろん誰の中にでもある感情群ですが、きのうの集まりの中で誰かから引き受けてしまったようすのもの。誰、というのは私の中では「おそらくあの人だろう」ということはわかっていますが、元々私の真ん中の奥底に眠っていたものなので、自分のものとしてしっかり感じ切りました。
するとエネルギーが動いたのです。まず仙骨に強く。そして背面、特に肩甲骨の下あたり。心臓のうらっかわあたりでしょうか。
仙骨にたまったエネルギーのひとつに「自己信頼感や自信の欠如」というものがあるんだとか。それが動いたということは、そのエネルギーがプラスに転じる、ということです。肩甲骨の下あたり、はおそらく第三胸椎、第四胸椎あたり。そこに関連する感情として「嫉妬心」というものがあるとのこと。さらに「心ブロック」という捉え方をすると「愛を遮断すること」という感情も関係しているようです。(参考 『体が伝える秘密の言葉』イナ・シーガル著)
シンクロですね。嫉妬心にしろ、見栄っ張りにしろ、自尊心の低さが原因。自尊心とは自分自身への愛、そのものでもあります。それらの感情があぶりだされて「自己信頼感や自信の回復」へと大きくシフトし始めているということなのかもしれません。
なるほど、と思ったのは義父のメッセージ「自由になれ」は、「嫉妬や見栄など手放して自己信頼感、自信を取り戻せ。自分自身をこころから愛せ」の意味だったんたな、ということです。
私の魂は自尊心の低さから、かなりの「硬直化」状態だった。その「硬直化」がほどけ、やっと本来の自分の姿に戻れる。そのキッカケとなったのがきのうの法事だったのかもしれません。
きのう、朝なぜか突然咳が出だして、やばい、と感じたのですが、その時点ですでに浄化のプロセスが始まっていたようです。きょうもわずかながら微熱が残っていますが、時の流れとともにこの微熱もまもなくすぎていくことでしょう。
そうやって新時代への調整。一人一人の中で始まっているのかもしれませんね。
春は解毒の季節です。こころのデトックスもいつもよりスムーズに行われます。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。桜が飛んできた !
2020年3月4日に 自尊感情が蘇った ! というお話をしています。これの続編がきょうのエッセイとなっているようです。
きょうは雨模様。きのうに続き愛犬・華実とのお散歩は無理かも。ということは一人でしっかり大地を踏みしめてこい、ということなのかもしれませんので、一人散歩&お花見、ちょっと、ふらっと。
今も仙骨付近に強いエネルギーが流れています。