いきなりの桜吹雪、花の舞い、です。
きのう、主人と二人、わが街の桜林、桜並木を巡ってきました。
わが街は桜の街にしようとした計画があるらしく、街のそこかしこに桜が植わっています。ところが海に近いため根付かない木もたくさんあったんだとか。その中で元気に生き残ったのが主に大島桜と河津桜。ソメイヨシノは数えるほどしかありません。
それでもこの季節、この街を散策できるのは幸せな気分。
今朝、突風にまみれ、桜吹雪がわが家の目の前を飛んでいきました。
まだ満開ではないのに、すでに花の舞い。自然界は何が起こるかわかりませんね。
きのう、桜巡りをしてわかったこと。
こんなにもたくさんの桜並木があるのに、一番よく咲いているのは、わが家の周りだった、という事実。もちろん時期的にたまたまこの辺りの桜が真っ先に開花しているということなのですが、これってすごいことだな、と。
ひとつの桜林に行きました。お花は三分咲きくらいでしょうか。それでも十分お花見ランチが楽しめます。ところが人間は欲張りなのです、「ねっ、もっと他のところに行ってみようよ」、そして町中の桜並木を網羅したでしょうか、「なんだ、結局家の周りが一番きれいじゃない」。
私たちは自分に必要なものはすべて私たちの内側にもっていると言います。けれどなかなかそのことに気づけず、「何かあるんじゃないか」と外へ外へとさまざまなモノゴトを求めます。求めて求めて疲れ果てて帰ってきたら、「あれ、全部ここにあったんだね」と、そんなことにようやく気付ける。
わが街の桜は私たち夫婦にそんな基本のキを教えてくれたようです。
毎年桜の精に呼ばれて近くの桜林に日参するのが私のここ数年のこの時期の過ごし方。おもしろいもので五分咲きくらいまではほとんど人が集まってきません。独り占めです、たくさんの桜のエネルギーも。いえいえ、独り占めしてはいけないけれど、ちょっとした貸し切り気分。
今年、すでに桜林でのお花見ランチは四回楽しみました。いつも一人。友達を誘うのは、ほぼ満開の時だけ。というか友達から声がかかるのは満開の時だけ。
それが私にはちょうどいい。
今年はこの辺もお花見自粛の看板がたくさんたっています。一人でお花見ランチは、私の楽しみでもあるし、こんなに素敵な時を楽しまないという手はありません。
いつまでお花がもってくれるんでしょう、今年は特に桜の開花が楽しみでした。
いつもと変わらない春を堪能させてもらえて、桜君たちに感謝しています。
今年も逢えたね、ありがとう。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。専門家との共依存エネルギー、卒業へ
桜の季節のお別れ。私の場合、兄、義父(舅)、そして晩年はやりとりをしていなかったかつての親友。思うところがたくさんあります。
けれど私は今も生きている。来年もまたあの花たちと再会できるように生きていかなくてはなりません。どうせ生きていくのなら楽しく生きていきたい。
自分のやりたいことはやった方がいい。いつ、その道が途絶えるかわからないのですから。