愛犬・華実。
お散歩に行ってキャバリアちゃんと遭遇。
はじめての出逢い。
「遠くから一目みてキャバちゃんだとわかりました。おいくつですか。パピーちゃんみたいだけど」
「いえ、14歳です」
「え~っ、すごい !」
「おいくつですか」
「7歳です」
キャバリアちゃんはしっぽをブルンブルンとふって歩くので遠くから見てもお互いすぐ「あ、キャバちゃんだ」とわかります。
きょうお逢いしたキャバちゃんは肝臓、腎臓、心臓が悪く処方食とお薬とでケア、時々点滴などもするんだそうです。
「いろいろあって、やっと7歳になれた、という感じなんですよ」
華実は何もなく今にいたっている、とお伝えしたら、「奇跡のキャバちゃんですね。キャバちゃんは身体弱いからみんな何かしら病気がありますから」と。
なるほど。確かに華実は小さいとき僧帽弁閉鎖不全症とアレルギー体質と血小板減少症の予備群と診断されたコ。治療らしいことは何一つせず、ありがたいことに未だ未発症記録を更新してくれています。特にキャバちゃんは心臓病が多いので、その点だけ考えてもある意味「奇跡」なのかもしれません。
華実は元気なコなので、例えばお腹を壊したりしても私はあまり気にしないでいられるし、ちょっとこれは、と思う症状もほとんど自然に治ってしまうので、私の中ではそれがあたりまえになっていました。あらためて華実の命、存在に「ありがとう」という想いになりました。
ところでそのわんちゃん、それだけたくさんの臓器に不具合が出ているのに、ものすごく満たされた表情をしているんです。たくさんの病気があるから徹底的に甘やかしている、と飼い主さんの言葉です。
そういえば、わが愛猫・海・かいは重篤な心臓病になった時、こころのエネルギーを検査してもらったところ、「幸せポイント」が最高点だったことを想い出しました。
動物君の場合、身体の不具合とこころの状態はリンクしないのか、たまたまそういう性格のコがいるのか。海・かいはすでにあちらの世界に還っていますが、今だからわかることは、海・かいはすべてを承知の上で心臓病の症状を発現化させていた、ということです。
そう、それが海・かいのお役目であり、必然であったと。
自分の使命を果たしているわけですから、こころは「幸せ絶好調」という状態だったみたいです。
きょうのわんちゃんもそうなのかな。キャバちゃんは特に甘やかされることが生きがいみたいな犬種なので、肉体の不具合云々を超越したところに彼ら特有の歓びがあるのかもしれないな~、と、そう考えるだけで、何か感慨深いものがありますね。
犬猫ちゃん、ペット君は、私たちの同士ではあるけれど、人間のメンタルとは少し異なるところがあるのだと。もしかしたら私たち人間も彼らのようにどんなことも歓びとすることができるように創られているのかもしれませんが、何かがそれを阻止しているのかもしれません。
きょうも華実とお散歩に行けてよかった。パピーちゃんなみの軽快な足取りで一時間近く歩いてくれるのです、いまだに。そのお蔭で私も大地とのつながりを感じられるし。
いつもぼぉ~としていてその真価がいまいち理解されていない時もあるけれど、華実は結構スゴイコなのかも。
親バカですけれどそう感じます。
長生きしてほしいな。でも最期はもう決まっているんだろうし。その日が来るまで華実らしく生き続けて欲しい。ただそれだけです。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。「親指姫」赤いチューリップからの愛のメッセージ
ちょっとお願いする用事があって、きょうペットシッターさんに面談にきてもらったんです。華実はいきなりベタベタですが、さすがシッターさん、「華実君は本当に優しい性格ですね」と40分の間に華実を見抜いていました。
わがやは愛猫・海・うみもまったぁり系なのでシッターさんが来ると二匹そろってデロンデロン状態。
これもわがやにとっては当たり前の光景なのですが、もしかしてありがたい光景なのかも。
海・かい時代から、私は彼らに癒されまくっている、という事実をきょう再確認させてもらいました。
ペット君とのご縁、わが家に限らず「最強」ですよね。私の場合、彼らに育ててもらっているところが大きいし。