「私は不幸」という感情を感じ切ってみました。
ここ数日セルフ・トラウマ・セラピーを続けていたら、私は赤ちゃんの時にこころに傷を負っていたらしいことがかなり具体的にわかってきました。
両親が生きていれば確認できるのですが、すでに二人とも他界しているため、たぶんこういうことなんだろう、という感じ方でしかありませんが。
セルフ・トラウマ・セラピーはもしかしたらトラウマ・リリース・ワークかもしれません。私の場合、自然に「あ、こういうことがトラウマだったんだ」ということが浮かんできて、その時の状況を想い出しながら時に推察しながら、そしてその感情を感じ切ります。認知の歪みがある場合は自分自身で書き換えることもします。
そんな中で出てきたのは、私は乳幼児の時のおむつ交換と授乳に関しておそらくトラウマがあるのではないかということ。乳幼児の時のことなので私自身「思い違い」をしてのトラウマのようです。幼い私はおむつ交換や授乳を母がいやがった、と認識しているようす。「私は何かを求めるとお母さんがいやがるんだ。私のことがいやなんだ」という感覚。「私の存在そのものがいやなんだ。生まれてこなければよかった」という感覚。
推察するに、の範疇なので正確かどうかはわかりませんが。
さらに言えるのはどうやらこの感情は母のものではないか、ということ。
すると次に浮かんできたのが「私は不幸だ」という感覚。そういえば今まで私は「私は不幸だ」という感情を意図的に感じてきませんでした。瞬間的に「あ~、なんて不幸なの」と感じたとしても、それが持続する感覚はありませんでした。
もしかしたらこの感情を抑圧してきたのではないか。私たちは自分が感じて「気持ちよくない」と思う感情は本能的に抑圧する生き物です。「あ~、なんて不幸なの」は、不幸な自分を受け容れなければならないので、私は私自身を守るため、その感情を抑圧してしまった可能性があるのです。
しっかり感じつくしました。まず下腹あたりに強い感覚。そして左の卵巣に強い痛み。それが段々上がってきて背骨沿いに軽い痛みを感じます。その後、痛みはなくなり、ただエネルギーがサワサワとハートの真ん中に。それがのどから鼻に抜けて最後は頭のてっぺんへと。
割と長めに感じていたので集合意識の中の「あ~、なんて不幸なの」という感情につながったのかもしれません。
ここでまた一つトラウマが癒されます。私は日常生活には支障のない範囲での広場恐怖症なのですが、その理由の一つは集合意識の中にある「あ~、なんて不幸なの」という感情につながりたくなかったことによる防衛本能らしいということがわかったためです。
このようにトラウマと呼ばれるこころの傷はいくつもいくつもあります。実は無数との説も。ですから一つや二つ手放したところで大して人生に影響は出ない場合もあるのですが、特に幼い頃のトラウマはそれが原型となってその後の人生のさらなるトラウマに影響を与えている可能性もあるので、幼ければ幼い時のものほど、後の人生への影響度合いが強いとの捉え方もできるはずです。そう、トラウマの大元の芽をつむ感覚です。正確には癒す。
臨床の現場での見解として『身体はトラウマを記録する』(ベッセル・ヴァン・デア・コーク著)という説もありますから、トラウマに向き合うことはムダなことではないでしょう。この本によるとトラウマによって脳の機能が変わってしまうんだとか。認知の歪みがデフォルトとなるということのようです。
ということはこころの傷は脳にも影響を及ぼすということ。
トラウマ・セラピーは深いところで起きる「癒し」なので、安易に素人が手を出すべきところではないかもしれません。少なくとも私自身は「セルフ」でのセラピーが可能になっています。ご自分にとっての深刻度がさほどではない場合はセルフ・セラピーも可能になるかもしれませんね。
瞑想経験や何らかのワーク体験のある方、エネルギーに敏感な方なら、割とスムーズにできるのではないかと。私流ではありますが、メソッドとして展開できるレベルでのグレードまでもっていくつもりです。
自分自身のたてなおし、着々と進んでいます でお話したように私はツールを使いません。感情と意識とそのエネルギーだけです。
このメソッドができれば、犬猫ちゃんと暮らす方のより深いところでのこころのケアのお手伝いが可能になります。ママさんのこころが癒されれば、それに伴い犬猫ちゃんのこころも癒され、同時に問題行動や病気などの症状改善のお手伝いにもつながるはずです。
病は気から。
その根本へのアプローチに近づけるように。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。勝利の時
明日は旧正月の元旦です。さらに新月なんだとか。
その前にたくさんのこころのデトックス進んでいます。ありがたいですね。旧正月を意識していたわけではないのに身体とこころが勝手にデトックス・モードに入ってくれて大掃除をしてくれました。
自然に任せていれば自然に流れ出す。この世にはちゃんとそういう仕組みがあるみたい。
そういえば。私、ゴースト・ライター時代にある専門家の「トラウマ・セラピー」の本を執筆しています。なるほどそこにつながっていたわけですね。